暗号機でもなければジョジョでもない謎と、キルダルトン海岸にそびえる巨人
第六夜・LAGAVULIN 16years old
一昨年の沖縄撤退時に、持ち帰れなかったものはヤマト運輸に依頼して、自宅まで運んでもらいました。
営んでいたのはBARなので、酒は売るほどあるけれどすべてを持って帰るわけにもいかず、6本だけ選って残りはシンクに流して捨てました。
選抜した6本とも思い入れのあるボトルでして…このまま飲んで「はい、おしまい!」にするのは忍びない。
そこで。
お仲間数人でnoteを運営されている放送作家・高須 浩平氏主催の、【今夜、この服でどんな酒を飲む?】というマガジンがあるのですが…
その企画を、まるっとパクってしまおうというこの企画。
アイデアの盗用については、この場を借りて深くお詫び申し上げますm(_ _)m
最終回は、アイラモルトの“ラガヴーリン蒸留所”ラガヴーリン 16年。
スコットランドはアイラ島南東部の、“アードベッグ蒸留所”と“ラフロイグ蒸留所”に挟まれた場所にある“ラガヴーリン蒸留所”。
その始まりは、1742年に創業された密造所でした。
蒸留所があるキルダルトン地区には、それまで10軒ほどの密造所があったのですが、1816年にジョン・ジョンストン氏が周りの密造所と合同で蒸留のライセンスを得て、合法蒸留所になりました。
そのときに、付けた名前がラガヴーリン(ゲール語で水車小屋のある窪地)。
ちなみにスコッチウイスキー蒸留所の大半は、ゲール語由来の名前が付いています。
その後、所有者が何度か入れ替わった1889年に「1/3は天才、1/3は誇大妄想、1/3はエキセントリック」と評されるピーター・マッキー氏が蒸留所を相続すると、翌年リリースしたラガヴーリンをキーモルトにしたブレンデッドウイスキー、ホワイトホースが国際大会でグランプリを受賞してロイヤルワラントに指定されると、ラガヴーリンの名は世界中に知れ渡るのです。
ピーター・マッキー氏は、他にもキャンベルタウンの“ヘーゼルバーン蒸留所”(現在は閉鎖)を所有しており、そこにはNHK朝の連続テレビ小説『マッサン』のモデルにもなった竹鶴 政孝氏(“ニッカウヰスキー”創業者)が、ウイスキー造りの実習に訪れていました。
ENIGMA MCMXC a.D.
今では、外で聴いた気になるあの曲もスマホに向かって口ずさめば、SIRIやGemini(Googleアシスタント)が曲名やアーティスト名を教えてくれますが(よほどの音痴でないかぎり)、インターネットも普及していなかった平成の初期は、ソコにたどり着くまでが一苦労でした…
音楽をつまみに酒を飲む。
もう、30年以上も前のこと。
仕事上、関係のあったBARでかかっていたBGMに心臓を鷲掴みにされるのです。
それは…
いにしえのグレゴリオ聖歌に現代のグラウンドビートを被せてくる、これまでに聴いたことがないパターンでした。
しばらくして…
店のラックにある大量のCDの中から、なんとか探し当てたのはクラブミュージックのオムニバスCDで、目当ての曲が入っている原盤を見つけ出しては、すぐさま近所のCD屋(その店は、演歌のカセットテープ主体の店だったけれど)で取り寄せてもらうのです。
曲の名は…サッドネス・パート1。
“エニグマ”の原点にして頂点。
この曲が収録されている1stアルバム サッドネス・永遠の謎には、“エニグマ”という音楽プロジェクトが何者なのか?を示すクレジットが一切ありません。
まさに、謎でした。
(3年後の1993年にリリースされた2ndアルバムのエニグマ2 ザ・クロス・オブ・チェンジス で、マイケル・クレトゥ氏なるルーマニア人を中心に結成されたユニットだということが、初めて明るみに出る)
2nd、3rdアルバムになると、宗教音楽から民族音楽へとシフトしていくのですが…
元々、ファッションにかぎらず『ハズし』的な組み合わせが大好物で、意表を突いてきたサッドネス・パート1が琴線に触れてきたんですけれど、アフリカンミュージックになると「ソコハ、チガウ…」感覚に。
ヤプーゆえ、黒人になびかず白人に傾倒するのは仕方がないこと。