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京都と水/その1
嵯峨 ー愛宕山南麓の水景ー
この秋冬、ゼミメンバー+αで京都の水をめぐるリサーチツアーを行いました。その様子について書いていこうと思います。
お正月明けに訪れたのは、嵯峨野の水辺。大学からは片道10km。金閣寺・龍安寺・仁和寺の門前を走り抜け、自転車で1時間くらいです。
京都盆地の北部は、北山の山裾にいろいろな水辺スポットがあります。
嵯峨野は竹林のイメージが強いですが、山裾には水辺景観が点在しています。嵯峨野から北に山を入っていくと愛宕山に至ります。東の比叡山に並ぶ西の高峰、火伏せ信仰の山です。
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(下図:Google Earth)
「京都と水」リサーチツアーのテーマは、京都の大地の(地学的な)性質と、人々の生活史や生活文化という、マクロとミクロの時空間を横断し、接続しながら、この土地に「住む」という行為を水を通じて実感することです。
ひとつながりで、想像もちょっと難しいほど広く深い「大地」。
そこに人はどんなふうにして棲み着く場所を見いだし、生活するための環境を、「つくる」という行為によって住み継いできたのか。
これは、研究室のいろいろな調査に貫ぬかれている、大事なテーマです。
棲み着く場所の発見と、住むことの持続にとってかなり重要な要素に「水」があります。
そこで、松田研の「京都と水」リサーチでは、「京都の地学的性質と、人々の生活史や生活文化というマクロとミクロの時空間」の間に結ばれている、いろいろな「生活のかたち」に注目することにしました。
少し前置きが長くなってきたので、コンセプトの続きはまたにして、嵯峨野の水辺に戻りましょう。
あれっ、池の底が見えている。
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実はこれ、12月に行われる「鯉揚げ」という行事の後なのです。
鯉揚げとは池干しのこと。冬には池の水を抜き、池底に溜まった泥を取り除くことが目的だそうです。広沢池の西側にある解説板によると、水を抜くことで泥の中の微生物が日光と酸素で活性化され、泥中の有機物の分解も行ってくれるのだとか。
広沢池・大沢池のまわりは豊かな農地です。
池の水は農業用水として分配されており、鯉揚げは周辺の農家によって行われます。結果として池干しではコイやフナなどが言うなれば獲り放題に獲れるので、鯉揚げというようです。モロコ(在来種の小型魚。琵琶湖の食としても有名です)やエビもいるようで、販売価格が掲示されていました。水を抜いた後、池の底にあらわれる生け簀と思われる設備も見えています。
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浅くなった池には、澪のような筋ができています。田植えの前にはまた満々と水が溜められ、まわりの田んぼを潤すのでしょう。
大沢池は秋の観月の地として知られていますが、嵯峨野の農家と京都の食を担う水面でもあったんですね。
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広沢池の西には大覚寺があり、その境内に大沢池があります。広沢池の1/3くらいの大きさです。境内のあるところは、元は嵯峨天皇の離宮で、大沢池はその庭池でした。平安前期の名残を留め、現役の庭池としては日本最古のものになるそうです。
離宮の造営当時は唐風文化が流行していました。池は中国の湖南省にある洞庭湖という名所を想像してつくられたものです。
ちなみに、「近江八景」などの「八景」がありますよね。あれも、その洞庭湖あたりの風景を詠んだ瀟湘八景からきています。
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中秋の名月のとき、大沢池では龍頭鷁首〔りゅうとうげきしゅ〕の船を浮かべた平安風の観月の会が催されています。
池の全周は約700メートル。名古曽の滝や石組みを見ながら、一周することができます。
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さて、そんな雅な大沢池の水も、農業用水として使われているのです!
池の東側に取水堰が設けられています。
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天皇の離宮につくられた、とてもコンセプチュアルなこの水域の水も、生産に役立っていたんですね。
大沢池と広沢池に挟まれた、南向きのゆるやかな斜面では、いろいろな農作物が育てられています。わずか2kmほど南の嵐山駅前や渡月橋の混雑からは想像できないような、静かな農業地帯。この土地に根ざした、生産、なりわい、生活の風景が広がっています。
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その農業地域の中を、大沢池から流れ出した水が縦横にめぐっていきます。
ところどころ、農産物の直売の棚も置かれていました。100円や200円を料金箱に入れて、新鮮な野菜を買うことができます。この日は、水菜やセロリ、七草がゆのための七草などがありました。
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南に開けた農地は、西は嵐山、東は神護寺から伸びる丘陵に挟まれ、ちょうど小さな盆地のようでした。
東から登る朝日を浴びて、嵐山に沈む夕日を送る。そして東からは名月が昇る。そんな天体の運行をおおらかに見やりながら営まれる生活は、きっととても豊かだろうなぁと想像しました。今度は農家のみなさんにもお話を聞いてみたいです。
それでは、また。