英語スクールと私
この時期(3月)は、私が経営する英語スクールの動きが激しい。新年度からのクラスを調整したり、体験レッスンが増えたり、今まで来ていた子たちが進学で退会したり、普段よりも心と身体が忙しくなる。
英語を教え始めて15年になるが(あっという間だ)、長年スクールに通ってくれていた子どもたちとのお別れにはいつまでたっても慣れない。最終レッスンの数日前から、うっすらとした悲しみを心に隠して生きている。
最初の数年は顔には出さずに心で泣いて見送り、ドアを閉めた後でさめざめと泣いたりしていたが、40代後半になってからは歳のせいか涙もろくなってしまった。ドアを閉めるまで我慢できずに、子どもとお母さんと話しながら鼻声になってしまうこともある。
ちなみに夫のデイビッドは意外とドライなので、いつも笑顔で見送っている。(たぶん前を向くタイプだからあまり執着心がないのだと思う。うらやましい)
今年は特に、中学や高校進学のタイミングが重なって退会の子が多くなってしまった。
園児クラスや小学校低学年から長くて10年くらい見てきた子どもたちだから、ものすごく感慨深い。今年は区切りの時期なのかな、とも思う。
この悲しみは、収入が減るからではない。もちろんその心配はゼロではないけれど、そうではなく、成長を見つめてきた子ども個人との別れがシンプルにせつないのだ。退会したらめったに会えないことを、経験によって知っているから。
とはいえ、中には数年後に大学生になって「TOEICを受けるのでレッスンしてほしい」と連絡が来ることもある。こんなときはものすごくうれしい。先週もそんな生徒とのプライベートレッスンがあった。高スコアを目指すTOEICレッスンは体力知力がいるけれど、楽しくやりがいがあり、あっという間に時間が過ぎた。
その同じ日の、とある中3生たちの最後のレッスン。普段わりとおとなしくてドライなコメントの多い彼女たちだが、レッスン中にはっと気づくと二人とも泣いていた。
私は最後みたいなまとめ語りをしてしまうと自分が泣きそうになってしまうので、あえてカジュアルな感じで「高校になってどんなに難しい文法や文章をやらされても、基本は中学英語だよ。中学英語の文法さえマスターしてたら話せるからね」と伝え、中学英語の総まとめ教材の解答を渡して見送った。
そんなわけで最近はいろいろな感情の波に飲まれ(プラス黄砂や花粉によるアレルギー反応もあり)、ぼーーっと晩酌をする夜が多かったのだけれど、今日の春分からまた切り替えて、春から新しく来る生徒さんや今いる生徒さんに全力を注ぎたい。
翻訳会社を辞めて和歌山に戻り、英語スクールを始めてから「私って教えることに向いているんだろうか」と悩み続けた15年。でも去年くらいから、ようやく教えることに腹をくくれてきたような、やっと自信らしきものが出てきた気がする。遅い。さすがのスロースターター。
でもこれが私のタイミングなのだろう。
去年は念願だった本(『ほめ英語入門』)も出版できて、英語を教えてきた中でずっと伝えたかった思いを形にできたことも大きい。
私にとって悩みの種にもなるし励みにもなる仕事だけれど、英語を教えることが好きなのだと思う。
相変わらずこの年齢でも人見知りするし、たくさん人が集まる場所は苦手なままだ。でも、それが英語を教える場であれば何かスイッチが入る。なぜか使命を帯びた違う自分になる。だからレッスン後はものすごく疲れるのだけど、気持ち的には救われることが多い。レッスン前にたとえどんな嫌なことがあったとしても、レッスン後はあまり気にならなくなっていたりする。
ありがたい仕事だなと思う。もういいかげん、英語講師である自分を受け入れてやっていこう。これまで以上にお別れを告げることが多かった春。ひとつの区切りの時期に、そんなことを自分に誓った。
Kana