韓(から)のくに紀行2023【その2 新羅(シルラ)編】
その1
参考書籍:司馬遼太郎『街道をゆく 韓(から)のくに紀行』
宣伝:KBCラジオ『キテマス。K』=韓国のエンタメやグルメの話題が強い、九州朝日放送のラジオ番組
1 古都慶州へ
旅行前
秋雨前線の影響で韓半島全域で曇り・一部雨で風景を観るには不向きな天候という週間予報が出ていたため、釜山市海雲台区にできた超高層ビル『Busan X the SKY』の展望デッキ(100階にある)やNソウルタワー訪問は晴天が多いシーズンに行くことにし、歴史好きの自分はガイドブックに出てきたいくつかの国立・市立博物館や史跡・名勝を見物することにした。
1日目(2023/08/28の釜山・慶州:曇り、釜山=27℃/29℃)
この日半島を縦断していた秋雨前線の南側に入っていた慶尚道・釜山広域市付近は湿っぽい空気だったが、釜山は大韓海峡(対馬海峡)から風が吹くと比較的過ごしやすかった。
『地球沸騰時代に入った』とまでUN事務総長に言われた2023年の夏の猛暑が続いていた日本よりひと足先に秋が近づいていた。
高速船クイーンビートルで釜山入りし、13時頃に入国手続を済ませ、ホテルでのチェックイン・WOWPASS受取・荷物一時預かりを行い、釜山14:32発のKTX40便で新慶州駅へ向かった。
駅の窓口で定型文的な韓国語を使って指定席を確保したが、外国語はテンプレート的な表現を使えるようになると気分がだいぶ楽である。
今回のようにKORAIL PASSを使う場合はKORAILのWebサイトでも座席予約できるが、確実な方法として窓口予約を選択した。
2 古墳群
新慶州駅の仏国寺方面乗り場から乗ったのは市内バスの711系統だったが、路線図を見ると仏国寺には行かない系統だった。
バスから観た慶州の街・盆地の雰囲気は奈良に似ていて、慶州市と奈良市が姉妹都市になっているのも自然なことのように思える。
約30分で古墳群がある景観保護エリアの月城(ウォルソン)地区に差し掛かったが、古墳群が目を惹き『住民センター』で急きょ下車し、天文台として使われた瞻星台(せんせいだい/チョムソンデ)を見物した。
月城地区と市街地は幹線道路や川で分けられており、川の南側が景観保護エリアとされているようである。
瞻星台はかつて天体観測や暦の計算に使われていたという。
いつ作られたかについては不明とのことだが、昔から農耕など慶州の人々の生活に役立っていた文化財であることは間違いない。
参考リンク(慶州市)
瞻星台付近の月城(ウォルソン)地区一帯は、宮崎県の西都原古墳群のような芝に覆われた古墳群が多数あり、雰囲気は奈良の平城京一帯を思い出す。
瞻星台付近には韓国の古い時代の建物(韓屋=ハンオク)を再現したレトロ地区があり、地区の中にスイーツ店やカフェ・ハンバーガー店がある。
それらの店舗群の中に『キテマス。K』で以前紹介されていた『10ウォンパン』の店を見つけ、小腹を満たすために買って食べた。
食感はチーズ入りワッフルといったところで、甘味がマイルドだった。
なお、チーズが溶けやすいので上手く食べないとチーズがこぼれてくる。
近年流行している『チーズハッドク(韓国風のホットドッグ)』のように、あえてチーズを伸ばして食べるのが理想的だったようだが、それを十分理解せずにとりあえずかぶりついたのは個人的なミスだった。
瞻星台付近以外にも韓屋デザインの店舗が目立ち、古都のイメージを残すようにしているようだ。
3 司馬遼太郎氏の足跡を辿る:仏国寺
月城地区から10番系統に乗り換えて30分ほどバスに乗り、1971年(朴正煕軍事政権『第4共和国』時代)の『韓のくに紀行』取材時に司馬遼太郎氏が訪問し近くに宿泊した仏国寺を訪問した。
2023年夏時点で寺自体は無料拝観可能で、寺の博物館は有料で見物できる(月・祝休)。
仏国寺をはじめ慶州盆地一体は松の木が多く、境内に入ってすぐのところには枝ぶりが見事な松の木がある。
仏国寺の建築物はミントグリーンのよう緑を主に使った色彩が目を引く。
日本の寺社では太宰府天満宮のような色彩が特徴的なところは珍しい方だが、経年変化による退色があるとはいえ、この仏国寺の色彩も見ておいて損はないだろう。
境内はモミジもあり、秋が深まると紅葉の名所になるのだろう。
春は慶州市一帯のサクラが咲き誇るといい、『慶州さくらマラソン』という市民マラソン大会があるほどである。
4 懐かしのバスターミナル
仏国寺から10番系統で市中心部へ戻り(間違えて市場付近のバス停で降車したが)、慶州市外・高速バスターミナル(BT)付近を歩いてみた。
BT周辺にも『10ウォンパン』の店舗がいくつかある。
市外・高速BTは古い建物の頭端式ホームであった。
日本だと1960-70年代に出来た比較的小さな地方都市のバスターミナルを彷彿とさせる、1940年代〜70年代生まれのバス全盛期を生きた人だと懐かしさを感じるだろう佇まいである。
韓屋に合わせた外観のスターバックス・バーガーキングの向かい側にあるが看板を見ないと見落としてしまいそうである。
乗り場の構造は光州の高速BT『ユースクエア』や釜山市の沙上にある西部高速BT、日本の長崎新地BT・佐世保BTに似ている。
市内の移動は新慶州駅〜仏国寺間は1時間程度の所要時間を見込んでおく必要がありそうだ。
主要幹線の道幅は広く車は結構飛ばす。
仏国寺付近には遊園地やヒルトンなどのホテルも多数あるが、新慶州駅や市の中心部からはバスよりもタクシーやマイカーやレンタカーの方が移動しやすい印象である。
その他にも郊外部はロードサイド型の施設が目立つが、韓国の地方都市も日本の地方都市同様今や車社会なのだろう、と思わされた。
道中『ゴールデンシティ慶州』というキャッチコピーを目にしたが、その理由はソウルの国立中央博物館で知ることになった。
朝鮮半島に新羅(しらぎ/シルラ)・百済(くだら/ペクチェ)・高句麗(こうくり/コグリョ)の3つの体制が並立した『三国時代』に、慶州や慶尚道一帯を支配していた新羅では金をふんだんに使った装飾品が作られており、それらの中で現存するものが重要文化財が国立中央博物館に所属されている。
このことは後述する。
かつてマルコ・ポーロが『東方見聞録』で日本のことを『黄金の国ジパング』と述べたが、それは中世の大航海時代の話であり、新羅の地だった慶尚道で発見された黄金の装飾品のことをマルコ・ポーロが知っていたら、朝鮮半島も『黄金の国』と述べたかもしれない。
この日は夜釜山のホテルまで戻り、南浦洞での夕食(初めてソルロンタンを食べた)後、土産物をロッテマートなどで買った。
行き当たりばったりで南浦洞を歩きながら夕食を食べる店を勘で決めた。
注文・精算も簡単な韓国語で済ませることができた。
(その3へ続く)
(2023/09/08公開:その3☟)