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『おまえの代わりはナンボでもおる』と言い続けた結果: #さよならテレビ を観ていて思ったこと

先日、福岡市内で『さよならテレビ』という映画を観ました。
このドキュメンタリー映画を制作した東海テレビについて、2011年の重大な放送事故(あえて此処では触れない)のことを思い出す人が多いと思います。
自分もその一人です。
当時は各メディアで『大炎上』してしまったことも記憶にあるし、自分を含めて悪ノリで『大炎上』に乗っかった人も多かったはずです。
時には悪ノリで、時には"マス『ゴミ』"と罵倒してテレビ業界を非難することも多いでしょう。

そんな自分ですが、『さよならテレビ』を観ていくうちに、『テレビ局の中の人々は仕事を投げ出したくても投げ出せない立場なのかな、なんとかして踏み留まっているんじゃないか』と、そして、テレビ番組を作ることはちょっとしたミスや手抜きが命取りになることだと思うようになりました。

さて、東海テレビの中では
・正社員
・契約社員
・派遣社員
の大きく3つの形態で働いている人々がいるようです。
その他に制作会社などの関連会社・協力会社(下請け)などもテレビ業界には存在しています。

特に、契約社員/派遣社員の人たちは、会社から契約更新がなければ終わりです。
それでもテレビ業界に踏み留まっているのは、使命感だったり、テレビ業界が好きだったり、などの事情があるからなんだろうなと思いました。

ベテランの編集者は、新聞業界などの取材/編集の経験を活かして番組を作ろうと努めています。
硬派な社会問題を取り上げた企画が採用されて放送されることもありました。
ただ、本人が望む形ではないこともありました。

また、(おそらく)契約社員として入ってきた若手のアイドル好きの記者、彼は番組制作の現場で足掻きもがき続けました。
功を焦ってしまったのか、小さいながらも放送事故につながるミスや取材時の確認不足からのクレームを引き起こしてしまったこともあり、彼は1年で東海テレビを去ることになりました。

『おまえの代わりはナンボでもいる』-
テレビ業界の場合は
①視聴率を上げる/安定して一定値を取れる
②ミスをしない
③広告収入を得る(民放の場合)
ということが基本にあるのですが、そんな中で①②ができる人物が重宝される業界だという印象を持ちました。
平成バブル後の『就職氷河期』や『小泉構造改革』を経た雇用形態の変化で、先に挙げた『正社員/契約社員/派遣社員/関連会社/協力会社』の関係において、相対的に『正社員』以外の地位が保証されなくなっています。
契約社員/派遣社員の人たちは、『結果』を出せなければ、会社から契約を切られる/更新の終了という形で会社を去ることになります。
ぶっちゃけて言うと『おまえの代わりはナンボでもいる』という形です。
労働問題などの社会問題などを追及し、時に『社会の公器』とも言われるマスメディア業界でさえ、そういう感覚が浸透しているのです。

そうやって業界を志した人びとが不本意ながら去っていく、それが続いてきた結果(無論、労働環境が厳しいにもかかわらず改善が進まない現状が伝わっている結果でもある)というべきなのでしょうか、それともソーシャルメディアなどの台頭もあるのでしょう、テレビ業界の志望者の減少、という話がこの映画の中でも出てきました。

それは、就職活動を行っている人びとからテレビ業界が『さよなら』と既に言われ始めていることのあらわれではないでしょうか。

『おまえの代わりはナンボでもいる』とふんぞりかえる人びとが多数派となってしまい、マスメディア業界でさえそれが当然となってしまった日本の社会。

テレビ業界だけでなく、もしかすると、私たちの住まう日本の社会そのものが人びとから『さよなら』と言われ始めているような気がしてなりません。

※この話はもっと膨らませて別にブログに書こうと思います。


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