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嫌いと共感

写真というのは、好きなところ以外を排除してしまうある意味残酷な一面を持っています。これは写真家の濱田英明さんも仰られていて、僕はこの特性はSNSの登場によって加速したと思っています。

僕は常々撮っているものがあり、撮っていないものがあると認識して撮影しています。写真の外側の世界は、確かにあることを覚えておかないと自己中心的な思考に陥ってしまうと考えているからです。

ところでみなさん、海老は好きですか?僕は苦手でして、その他にイカ、タコ、貝も苦手です。でも何故かこの食材はほとんどの人が好きなんですよね。小学生以来、僕はたくさんの人に「損をしている」「もったいないよ」「おいしいよ」と言われて過ごしてきました。結構これって不思議な現象だよなと思っていまして、僕が海老を好きだろうが嫌いだろうがどうだって良い話なんですよ。

人は自分が出来ることを他人ができない時に共感能力が著しく落ちると思います。仕事ができる人、テストができる人、運動ができる人はそれと対極の人の事が理解できません。このテーマは書籍にもなっています。


そもそも好きなこととかできることとか、ポジティブな要素を持つものに対して理由ってあまり持たないと思うんですよね。僕は仕事柄なんでそこを撮ったの?と言われる問いに良いと思ったからとは返しづらいのですが、だいたいなんとなくじゃないですか?

逆にできないとか、嫌いというネガティブな物は理由を見つけやすいと思うんです。何も嫌いと伝える必要はないです。争いの元ですからね。ただ、自分が嫌いなものを知っていれば、同じような人に寛容になれると思いませんか。

全部好きというのは、全部興味がないに等しいんじゃないかな。

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松千代
オラに力を分けてくれって何世代にも渡って伝わるセリフですよね。広辞苑に載せても良いと思います。