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10月、10ヶ月ぶりの帰省、限られた時間、脳梗塞から22カ月目

◇概要◇

義父の葬儀のあと、12日に独り北陸へ帰省した。9月に亡くなった叔父の件や墓参りは昨日10月13日までに済んだ。今日は、よろずごと、近所の神社へのお参り、年に一度のガス展で実家のガスコンロ10年選手の相談、100円ショップでの買い物、スーパーでの食材買い出しなどなど。
(長文です)

ワレンベルグ症候群という脳梗塞の一種を突然発症したのは、2022年末の大晦日、緊急搬送だった。そのまま年が明け2023年初から寝たきり状態、少しずつ回復し4月に退院。療養し一年後2024年4月から再就職、社会復帰もぼちぼちと。

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4月より役所の出先機関(とある施設)でのパート事務職員(公務員扱い、一年契約)となった自分。
2022年大晦日の脳梗塞発症、そこから1年と10 ヶ月目の今
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はてなブログ・・「脳梗塞 ワレンベルグな日々」は、日々感じたこと
ワレンベルグのパート生活(脳梗塞の狂想曲)」は、この4月から始まったパート就職後の変化を綴っている。
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◇亡くなった叔父、残された叔母◇

9月に親父の弟である叔父が、闘病の甲斐なく亡くなっていた。

さすがに鹿児島から叔父の通夜で、北陸までおいそれと往復するというわけには行かない、今回の帰省予定は元々計画してあったので、その時に遺族である叔母に挨拶できればいいかなと思っていた。母に言うと、母も叔父のお通夜以来会ってなく、お通夜の時もそんなに長く叔母と会話できてないという。叔母は未亡人の一人暮らしになっていて、同じ境遇だった母は心配していた。
13日に墓参りに行く途中に、叔母の家に寄ったが、あいにく留守であった。お土産とメモを玄関扉に残していったが、墓参りの移動中に母の携帯に叔母から電話があった。そして墓参りの帰宅後、叔母がわざわざ家に来てくれた。携帯で少し話したが、実は母とゆっくり話がしたかったらしい。いっきに堰を切ったように話す叔母を母と一緒に慰めた。叔父が元気だった頃の昔話をした。
まぁ帰省が、塞いでいた心を開いた、というと大袈裟だが、何かのきっかけになったかもしれないし、憔悴から少し落ち着いた頃で、誰かと話をしたかったかもしれない。独りでも帰省出来て良かったと思う。
墓参りという行為自体が、心を和ませ思い出を蘇らせ、何かを引き寄せ、遺された者の疎遠を縁にするものなのかもしれない。

◇墓を守るというのも大事だが、、◇

昨日13日は、父方、母方の墓参りに母と2人行ってきた。前日12日に400キロ、9時間のドライブで実家に戻ってきたばかりだが、疲れたとのんびりはしていられない、帰省日程も限られていて、予定は前倒しが大事だ。

墓仕舞い後の新しい合葬墓

母方の墓は、数年前に墓仕舞いをして移転し、合葬墓になっている。その結果、父方の墓と車で15分くらいの所になり、高速インターからのアクセスもよく、綺麗で、お参りするのにストレスもない。
故人の母の兄を納骨した三年ほど前に、故人の家族が山の中の古くなった墓仕舞いを決断した。交通の便が悪く、墓裏の山が崩れ墓地が斜めになり、手入れの行き届かない雑木草が生い茂り、墓石も傾き、危険なスズメバチ、その他の虫の恐怖、お参りどころでは無かった。そういう時代の流れだ。

墓参りというか、罪滅ぼし

まぁ、もっと言えば、死んでから入る墓を未来永劫守ることよりも、いま生きている親との限られた時間、どう向き合うか、が自分にとって大事かもしれない。
お盆や正月の期間をずらして、10ヶ月ぶりに帰省が叶ったので良かった。
(亡くなった義父の葬儀、火葬、納骨の翌日から出勤、帰省移動を快く送り出してくれた嫁さんに感謝)
自分の場合は、2年前は同居していた。大義を持っていったんは鹿児島に妻を残し、自分は故郷の実家で、それぞれの親元で2拠点で暮らす決断をした。しかし、大病を患い、今は再び離れて暮らしている。親にしてみれば一旦帰ってきたのに戻って行ってしまったわけだから、内心、虚しいだろう。
その年老いてゆく親に、帰省墓参りという形で会いに行き、大病後の回復の姿を見せつつ、身の回りの買い物や世話を焼きながら、少し罪滅ぼしをしている気に、なっている自分がいる。

どうでもいい用事、を頼まれても

付き合う。まずは、近くの神社にお参り行き、病気の回復を祈る。

その後、近くの小さなショッピングモールで、地元のガス会社主催のガス展に行きたいと母がいう。タダで食用油500ml?が貰えるから、という理由。今使っているガスコンロは、10年前に台所をリフォームした時にシステムキッチンの一部で導入したもの、買い替えないといけないのかと聞くと、そうでは無いらしい。どこも不調はなく別に買い替えが今すぐ必要なわけでは無いのだが、もし買い替えるなら、いかほどのモノか、というどうでもよい用事だった。その後、同じ店内の100均に行きたがった、そこで自転車のカゴのカバー、乾電池を買った。久しぶりの100均が楽しいようだった。
自分はついでに、そのモール内の土産物屋で、鹿児島実家や勤め先用の土産買いを済ませることにした。少し早いが。
その後別のスーパーに行った。北陸の米(コシヒカリ)を買ってあげるから持って帰れという。ありがたく5キロいただいた。明日は、ホームセンターに行きたいという。庭に撒く砂利石を買うのだという。
次々と用事が出てくる。ボケてないのは助かるのだ。まぁ何でも付き合う。そういうことも大事なのだ。
限られた時間。嫁の父母、義父は癌の闘病で亡くなり、義母は少し認知症が進んできた。世話をするのも大変だが、死ぬ前に、痴呆ける前にできることをする。明後日は早朝から帰路のドライブが始まる。

続く

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まつ@ワレンベルグな日々、時々No+e日記
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