実家母の退院、義父の49日、後遺症、脳梗塞から23ヶ月目
◇概要◇
北陸の実家、そこに住むマル(保護ネコ、3歳)と実母がこの11月に次々に病気にかかった。母は2週ほど入院したが、ようやく退院し実家へ戻った。
その翌日、義父の49日も何とか終わってほっとした。
そして、その日、今度は自分の後遺症が悪くなった。
<この記事はアフィリエイト広告(もしもアフェリエイト)掲載しています>2022年大晦日の脳梗塞発症、そこから1年と11 ヶ月目の今。
ワレンベルグ症候群という脳梗塞の一種を突然発症したのは、2022年末の大晦日、緊急搬送だった。
そのまま年が明け2023年初から寝たきり状態、少しずつ回復し4月に退院。療養し、一年後2024年4月から再就職、社会復帰もぼちぼちと。
4月より役所の出先機関(とある施設)でのパート事務職員(公務員扱い、一年契約)となった自分。
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はてなブログ・・「脳梗塞 ワレンベルグな日々」は、日々感じたこと
「ワレンベルグのパート生活(脳梗塞の狂想曲)」は、この4月から始まった
パート就職後の変化を綴っている。
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◇実母の退院にホッとし、義父の49日を終えて一区切り◇
実母が、北陸実家で突然、腎盂腎炎で意識朦朧のまま救急車で救急搬送、そのまま入院になってから、落ち着かなかった。
一週間後、夕食後に実妹が入院中の母と電話させてくれて少し落ち着いた。
その時は病院食も、おかゆから普通食に戻っていて、トイレにも自分で行けるということだった。元気そうな声で安心したが、その日の昼には発熱が少しあったということで、まだ退院までは日数がかかるようだった。
そこから一週間、容態はどうなったかと、夕食後を見計らって母の携帯に電話したところ、やはり繋がらない。 少ししてかけ直すと、
「いま、家に戻ってきた、(実妹と)退院してきた」とのことだった。
元気そうな声にホッとした。
そして、その翌日日曜は、朝から近くのお寺で49日のお参りだった。
懸案だったことも、一区切り、ぱたぱたと片付いていった。
母は、自分のことはさておき、家で独りぼっちの保護ネコのマルが心配だったらしい。早く帰りたかったようで、でもなかなか帰れなかった。
マルも少し前に入院(日帰りだったが)したばかりで、しかも母が2週間近く家を空けることなど、マルが家に貰われてきてから無かった。
母の入院中、マルの世話は、近所の実妹がしていた、仕事に行く前、終わりに立ち寄り、エサとトイレの世話をしてくれていた。感謝。
しかし、マルはさすがネコで、エサを貰うときだけ擦り寄り、いつもと余り変わらなかったらしい。
当然、母が2週間ぶりに戻ってきたが、いつもと変わらないツンデレ猫。
(これが、もし犬なら、暴れて尻尾がちぎれんばかりに振り、鳴き叫ぶのだろうけど、マルは、家に来たときには鳴いていたが、しばらくしてからほとんど無駄鳴きをしない、媚びも売らない)
◇田舎の49日、不信心なよそ者、後遺症の憂鬱◇
義父が亡くなって、この49日までの毎日曜の午前に、そこのお寺では集まりがあって、妻や義妹、義母や親類は他の供養者とともに合同でお経をあげて貰っていたのだが、自分は仕事で行けなかった。この49日は、さすがに休みを調整して参加した。
元々土日は来客が多くイベントも企画され、手薄になりがちな職場だから仕方が無いところもあるのだが、そんなのは実は言い訳なのだ。
親類から見れば、葬式翌日にひとり北陸実家へ旅立った不躾モノ、毎週の法要にも(一回も)出てない不信心、もろもろ田舎のしきたりに馴染まず付き合いも悪いという誹り、は免れない。
その罪悪感の自覚はあるが、嫁が申し訳なさそうに言った。
(口の悪い親戚に何か)変なことを言われても気にしないで、と。
最初から気が重い法事。
49日の当日、お寺でのお経に参加したが、当日は朝の気温6℃と冷え込み、お寺の建屋は底冷えし、全然暖房が効かないまま、約一時間半ほど居た。
隙間風吹く朽ちかけた本堂は、イス席だったのがせめてもの救いだったが、体はおでこからつま先まで冷えきった。まさに修行、辛い時間だった。
その後、親類と暖かい実家に戻ってきて、お昼を挟んで3時間ほど居間にいたのだが、お昼前にも関わらず、ビールだ、酒だとオヤジどもが語り出す。田舎の集まり、法事にもなれば朝も昼も関係なく飲む。いやだ。
昼酔いがイヤで、元々付き合いも悪く、よそ者で話しベタな私、今回はさらに疎外感、あまり話が合わない親類からすこし離れて座った。
遠くから予想通りビールを勧められるがとうぜん、飲まないと作り笑いで断る、何か言いたそうだったが別の話題になる。
罪悪感が深まり、更に独り、だまってテレビを眺めるくらいしかなかった。
手持ち無沙汰で、出されるもの、田舎の団子や厚揚げのはいったそうめん、を全てたいらげ、仕出しも食べた。すこし食べ過ぎた。
揚げ物が胃にもたれ始めた。右脚の痺れ冷え、痛みが鋭くなった。
◇中座、後遺症の脚のケア、読書◇
痛みの元凶、脳梗塞の後遺症である食後の脚や顔の痛みは、消化に伴う血液の胃腸への集中が一つの原因だが、ここ最近、仕事中は昼食後の痛みはほぼなかったので、気にしてなかった。軽い食事が良かったようだ。
この日は朝、寺で体が冷えたり、量を超える食事、昼食を挟んで長時間あぐらをかいていたのが、脚の血流や廻りを更に悪化させたようだ。
嫁に申し訳なかったが、中座してひとり歩いて家に帰った。
家で、痛み止めを飲みすぐ横になりながら脚の腿や膝廻り、ふくらはぎ、足首、股関節などを順繰りに揉んだ、本を読もうとしたが眠ってしまった。
我ながら情けない中座、法事だったが、終わった。
一眠りした後、嫁が疲れて戻ってきた。ほんとは、義父の名代というか、口の悪い飲んべえの親戚どもの相手、その役を全くせず放棄し帰った私の働き不足を責めたかっただろう。脳梗塞の後遺症だとしても。
脱ぎ捨ててあった法事用に久しぶりに袖を通した白シャツをかけ直して、軽い夕食、入浴後は、少し残っていた読書をベッドで再開した。
痛みは取れてなかったが、読書で後遺症痛みがまぎれる、脳が意識すればなお痛むので、意識を他にずらすのが良いとされている。
そして、ヒポクラテスの誓いを読み終えた。面白かった(このことは、はてなブログに記す)次が楽しみだ。
明日は、月曜。仕事休みで良かった。嫁は仕事だが。