【日記】仕事辞める。を始めた。
「充電できなくなったiPhoneのようだ」
自分のことをそう思うようになった時に辞職を即決した。
寝ることどころか、食べることもできなくなっていた。(お腹がすく、という感覚すらなくなっていたのだ!)記憶もよく飛ぶようになり、部屋の掃除もできなくなって「ハ〜〜?明日ってなんで来るの?ヤダ〜〜」と言っては朝日を見るような毎日だった。ずっと自分の状態に気づけずにいたが、記憶を振り返れば4ヶ月近く異常事態は起こっていた。
仕事の情報発信用に作ったSNSのアカウントを振り返ると5月から「長野大分茨城あたりに行きたい(※1)」と書かれていて、口癖は「電波の届かないところで生きたい」だった。早く病院に行くんだよバカタレが〜〜。8月あたりに「もうギャルにならないと生きていけない…」と思って金髪にしたが(※2)、年末には「ギャルならこの仕事辞めるわ」と悟る。ギャルは強い。そして気づいてからは全てが早かった。
数え切れないほどの人たちに退職の報告をしたけれど、お客さんも誰も否定的なことは言わなかった。「いいんじゃね〜〜」「よく頑張ったね!」「次の名刺くれ」という感想で溢れ、このドラマは最高のシーズン1を終えた。ありがとう。みんなありがとう。元気になったらまた脚本書くね…。という感じでわたしは上手にフェードアウトした。
つもりだった。早くもシーズン2の運営チームが結成されつつある。
暮らしていけないかもしれないこと、組織というものから外れること、一般的に「不安」と呼ばれる事態は多発したが、不思議と1mmも絶望は感じなかった。うそ。「お母さん心配するかな」と少々思った。そんなことよりも、4年間ひたすら誠実に仕事をしてきたということと、頼もしくて面白い人たちと出会ってきたということに自信があった。だから、こうしてニコニコして生きている。真面目に生きててよかった…。お母さん、みんな、ありがとう…。わたしはどこに行っても楽しいだろうよ。
とりあえず今日の日記はここまで。もう寝るからね。表現も運動や外国語と一緒で、使わないと衰えていくばかりなので、定期的に書き留めて起きたい。月末にはお客さんたちに会いに行く予定なので、そこもうまくまとめられたらいいな。みんな面白い人だから。北は名護市から、南は八重瀬町まで。あ、もうひとつ。わたしと同じように「病院案件なのに見過ごしている」誰かが、この日記を見て気づいてもらえたら幸いだ。
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(※1)投稿の3ヶ月後、本当に長野へ逃亡する。お客さんの顔が浮かんできたのでちゃんと沖縄に帰ってきてしまう。
(※2)「夏休みの自由研究しない?」と言って頭皮を友人に託した。美容師もドン引きの漆黒の髪を持っているため、5回のブリーチでもあまり色が抜けなかった。友人の腕は美容師も褒めるほどすごかった。
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