love letter / 悪魔はいつもそこに
観賞後どう思った?
わたしは「救い?そこになければないですね〜」と再確認したような気持ちになった。信仰と負の連鎖は相性がいい。仲良しじゃん。
「宗教やっていません」「神様信じていません」タブー視している人も多い宗教だけど、誰もが心の拠り所としたり、軸としている思考を持っている。それを神と呼ばないだけで、目に見えない何かを信じている。思考は祈りそのものだから。
だからか、飼い犬を捧げる父や汚職保安官、信者を搾取する神父といった登場人物たちが異常な状態とは思えなかった。神でも悪魔でもなく、そこにいるのは人間だけ。
こじれるのはいつも、その信仰を他人に強要する時。
父からの信仰の強要やその姿勢に対してトラウマを抱え、祈りを辞めたアーヴィンだが、父親と同じように暴力で物事を解決させる。そこもまた新たな負の連鎖と、輪郭のない信仰的なものが生まれている気がしてならない。でもそうしなきゃ誰かの無念は晴らせない、自分までもが死に追いやられてしまう。
普通に生きると、親の人生をトレースしてしまう。誰かの地獄が、また誰かの地獄になる。個人単位で終わらない負の連鎖を抜け出すには、人生をかけて向き合わなければならない。
…?これ、この言葉の引き出し、前も開けた気がするな…?と思ったら「あの子は貴族」でも同じことを思っていた。
ここにも共通項があったとは思わなかった。アレ、これ邪悪版あの子は貴族だったのか???
いや、国やルールが違っていても、地獄そのものが地続きなのかもしれない。本当に、救いなんてないと錯覚してしまうような世界だ。
だからせめて、「こうしたら救われる」と、自分に言い聞かせられるものが欲しかったのか。それを宗教と呼び始めたのか。アァ、信仰にまつわる話は面白い。1番人間の中身が晒されて、試される。悪魔はほんとうにすぐそこにいる。
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