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良い性格、悪い性格とは?~手段としての性格から考える①~

ここまで、性格とは「いのち」の生存手段であり、「いのち」の性質によって、選択される手段が変わることで、人とは異なる性格になっていくとお話をしてきました。

性格を手段として考える視点で、性格を考察することで、新しい気付きを得ることができると思います。

第一弾として、良い性格、悪い性格とは何か?から考えていきましょう。


良い性格、悪い性格はあるように感じるが・・・?

日常では「性格悪いよな」という言葉があります。「自分の性格が嫌だ」という人もいるでしょう。というか、自分の性格の全てを肯定的に受け止めている人は稀かと思います。

逆に、人に親切だ、勇気がある、誠実だなど、良いとされる性格もあります。

議論の余地なく、良い性格も、悪い性格もあると思われているわけです。

しかしながら、性格は手段という視点で考えると本当にそうか?という疑問が浮かんできます。

手段に良い、悪いはあるだろうか?

手段、つまり、箸やハサミやスプーンを考えてみます。

箸、ハサミ、スプーンは悪い?

箸は悪い?

意味の通じない日本語になりますね。

手段それ自体に良いも悪いもないのです。同様に、性格は「いのち」の生存手段なのですから、性格という手段に良い、悪いはありません。

性格それ自体に良いも、悪いもないというのが大事なポイントです。

「いのち」が生き延びるために、人生をかけて築いてきた生存手段であればこそ、どんな性格であれ一生懸命研鑽してきた手段だと思います。「いのち」が磨き上げてきた性格には、敬意を払うべきだと僕は思います。

これはどんな性格も素晴らしいから自分を受け入れましょうとかそういう結論を導くものではありません。

「いのち」の害になる性格は確かに存在します。性格に良い悪いがないなら、これは一体どういうことなのでしょうか?

生存手段の”使い方”に問題がある!

馬鹿もハサミも使いようと言いますが、手段の良し悪しはどのような状況でどう使うか?です。

「いのち」が生存手段としての性格を上手く使えればいいのですが、使い方に問題があるとき、性格という手段が自分の生存にマイナスに働く状況が生じてしまうのです。それは一見、性格が悪いように見えます。

抽象的な話が続いているので、具体例を出して説明してみましょう。

ここから書いていく精神力学は、悪用すれば人の心を効果的に傷つけ、破壊することができるものです。良い目的のために使ってください。

誠実な人がブラック企業で壊れるメカニズム

忠実な人という性格タイプの人がいます。彼らは誠実で真面目な人たちです。

家庭や学校ではその誠実さはいい方向に働きます。家族の中で従順に役割を果たし、学校ではルールを守る真面目な生徒として評価されるでしょう。

こういう人が大学を卒業して、ブラック企業に入社したら、心が壊れるまでそこで働く可能性があります。

ルールを守るという一般的には良い性格である誠実さが、会社を一方的に辞めるという不誠実な行動を抑止し、破滅的な結果を招いてしまうのです。

誠実な人は何故誠実さを生存手段にしたのだろうか?

誠実な人の脳内神経物質のバランスは、セロトニン低、ドーパミン中、ノルアドレナリン高です。不安感が強く思考力が高く行動力は中庸(従順に動く)です。

セロトニンが低く、常に不安を感じるこのタイプは、高い思考力を無自覚に発揮して、将来起こりえるリスクを次々に考え付きます。そのすべてに自分で対応することは不可能で、誰かの保護を求めるようになります。

家族であれば父親のような存在に。社会であれば組織に保護してもらおうと考えます。その対価として、ルールを守り、従順であるのです。

この力学で身につけてきた頼れる存在に保護されるための手段である”誠実さ”は、家庭、学校と長い間有効に機能してきた良い生存手段でした。実際多くの場合有効に機能するので、誠実さは良い性格傾向だと一般に思われています。

しかしながら、ブラック企業という環境では、この生存手段は適しません。不安から逃れるために上位者の保護を求めてきた「いのち」にとって、上位者(会社組織)の保護を捨てることは、「いのち」の性質に根差す不安に直面する方法です。死への恐怖に匹敵する強烈な心理的抵抗感を感じることでしょう。

事実、会社の庇護を捨てられず、自殺するケースがあることを考えれば、「いのち」の性質から来る不安は死への恐怖に匹敵、ときおり凌駕するとすら言えます。

誠実さの使い方を変えられなかった硬直性が問題

上記の例で言えば、誠実さという人生で有効に機能してきた生存手段を、ブラック企業という状況に合わせて変える(不誠実になる)ことができれば、破滅的な結果にはなりませんでした。

長くなるので、一例しか挙げていませんが、性格の問題は「性格という生存手段の使い方が硬直的であること」に起因しています。

性格に悪いものはありませんが、適した状況で適した生存手段を利用できない状態は健全であるとは言えません。

不適切な状況で有効ではない生存手段に固執してしまう状態は不健全な状態です。「いのち」が不健全であるわけではなく、「性格」が悪いわけでもなく、「いのち」が「性格」を使う方法に問題があるのです。

性格を手段と捉えることで、問題の構造を正しく把握することができるようになります。これは、各自の抱える性格や人間関係上の問題を解きほぐし、解決の糸口を見つけるキッカケになるでしょう。

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