読書と私①
自己紹介の記事で趣味として「読書」を挙げた。そんな私が読書を通じて印象に残り、自分自身の考え方に影響を与えた内容を皆さんにご紹介したいと思う。
著者:塩谷舞 『小さな声の向こうに』より
私には、人生のうち一定期間だけ「交際期間」というものが存在している。異性と”単なる知り合い”や”友人関係”、”上下関係”にある分にはそんなに大きな問題ではない(たまにやらかすが)のだが、”交際”となると話が大きく変わる。
”交際”という段階にいくと、私の人付き合いの下手くそ具合が如実に表れてしまう。これまで交際させていただいた女性を複雑な心境にさせてしまった経験があるため、異性との交際になかなか一歩を踏み出せない状況が3年ほど続いている。(加害者のくせに勝手な事をほざいています。)
「自分にとっての正義と相手にとっての正義は違って当然。」
なぜか当時(大学1回生)この考え方が自分の意識として薄く、言うなればただの自己中心的な人間であったと思う。この引用にもあるように、自分が知らないうちに加害者になるかも知れないという想像力が完全に欠如していた。自分さえ良ければ交際しているとはいえ、他人なのだから関係無いなどといった思想を持った、超絶クズ男だったと書きながら振り返る。今現在は当時の考え方は捨て、そのような無礼がないように気を付けている。
本当にすみませんでした。反省しています。
「付き合う」とは、それ自体がゴールなのではなく、新たな関係のスタートである。お互いが思いやりのもと、譲歩と衝突を繰り返しながら、関係性を深めていく。そして無自覚なうちに加害者になるかもしれないという想像力を持ち続ける。この感覚は付き合う事に限った話ではなく、他者とのコミュニケーションや人間関係の構築を図る上で重要な考え方だなと私は感じた。
著者:宮崎智之 『平熱のまま、この世界に熱狂したい』より
「自分がかけがえのない存在であると実感出来ていますか。」
「自分が社会にとって必要な存在であると実感できていますか。」
この文章に心を惹かれた私はおそらく実感できていない。
やはり心のどこかで「自分要らないじゃん」とか「社会において私の存在って何?」と思う節が少なからずあるのではないだろうか?
自分を自分で傷付ける事により心のテリトリーを維持している状態では、自分自身が誰かや社会にとって「不要な存在である」と考え込んでいたなと振り返る。こういうときは「ほら、あの人が居るじゃん」とか「そういえばあの時、私の事を必要としてくれてたな」などという事が抜け落ちる。そういうことってありませんか?
この文章を通じていつも自分の心に信頼の置ける人を宿しておく事が大事だなと感じた。困難な状況に陥り心身ともに折れそうな時に、心に宿した人を思い出す。そうすればいくらか心が楽になるかもしれない。そう信じて自分を大切にしていきたい。
まだまだ暑い日が続くが、自分の心に正直になって過ごしてみようかな。
読書のある生活を。