友人とフレンド

 日中、オフィスで業務もせずに漫才のネタを書いていた。一心不乱にキーボードを叩いているぼくを見て、まさか漫才のネタを書いているとは誰も思うまい。昼過ぎから書き始めて定時にようやく1本書けたのだから遅筆といわねばならないが、10分ほどのネタを一応は書き上げられたのだ。はじめてにしては上出来である。この際面白いかどうかは度外視でよかろう。そうでないとぼくが死ぬ。ネタのタイトルは「確定申告」だ。この漫才は誰に披露する予定もないが、先日友人とLINEでしょうもないやりとりをしているうちに、漫才の舞台に死ぬ前に一度立ってみたいと突然思い立ち、その友人とぼくが漫才師になった場合を想定して遊びで書いたものだ。したがって、その友人だけにネタのテキストデータを送って感想を求めることにした。

 友人はいつも21ー22時前後に仕事が終わるらしいから、17時に送っても返事はすぐには返ってこない。しかしもどかしい。もちろん生まれてはじめて書いたネタであるため、満点大笑いを得られないのは百も承知だが「もう読んだか、まだか、つまらなすぎて返信をする気も起きないか」などの考えが脳をめぐり、とにかく落ち着かないのである。
 そんな折、一緒に漫才師になろうとした友人とはまた別のフレンドから着信があった。フレンドは「明後日、おれが彼女と泊まるにふさわしい西日本のきれいなホテルはあるか」とぼくに訊く。お手持ちのスマートフォンで調べろと告げて切ろうかと思ったのだが、フレンドは「そこでプロポーズしようと思っている」と続けた。おやおや。

 聞けば、当初はそのフレンドなりの計画がきちんとあったようなのだ。その計画とはこうだ。まず恋人の誕生日に合わせて東京ディズニーリゾートに一緒に行き、昼間は存分に遊ぶ(動画を撮りながら)。夕方、ビジネスホテルに泊まると嘘を吐いて実はホテルミラコスタへと連れていき、恋人を驚かせる。夜、ホテルの部屋で誕生日プレゼントを(動画を撮りながら)渡したあと、もうひとつの秘密の小箱を(動画を撮りながら)渡す。驚きながらも、ある種の予感とともに感極まる彼女。その中には……というものである。しかし、いま国内外で蔓延している疫病の感染拡大防止のため東京ディズニーリゾートが休園を発表し、計画が破綻してしまったのだそうだ。そして休園発表後数日経っても、フレンドは代替案を決められなかった。とうとう、恋人の誕生日であるプロポーズ予定日が2日後に迫った夜、おすすめのホテルを聞こうとぼくの電話を鳴らしたという顛末である。

 ここまで聞かされた時、「これは壮大なボケで、ツッコミとしてのスキルが試されているのだろうか(ぼくはボケのはずなのに)」と考えたが、それはさておき、この話を聞いて第一に思いを致さなければならないのは、ぼくが発表もしない漫才のネタを書いてヘラヘラしている間、同世代のフレンドは恋人に結婚を申し込む心づもりをすっかり終えていたという事態である。人の生きる道はほんとうにさまざまだ。

 そもそもぼくの性格は相互扶助を前提とした現今の婚姻制度に向いていない。民法752条に「夫婦は同居し、お互いに協力し扶助しなければならない」とあるのだ。いくら現代人の価値観が多様になったとはいえ、法治国家であるこの国では、国民は現行の法を遵守する義務がある。このおれさまが他者と同居し、協力し、扶助する。無理である。そんな人間がプロポーズの相談をする相手として適切であるはずがない。そのあたりを知ってか知らずか、フレンドは他でもないぼくに電話をかけてきた。よほど切羽詰まっているのか、と思いきや案外のんきなのだ。こういう男が結婚に向いているのであろう。勉強になる。

 さて、休園が発表されてから数日経ってんのにまだ代替案決めてないんかいとか、どんだけ動画撮んねんとか、一応ひとしきりそういった類のことは言ったが、馬耳東風だった。
 関西の旅館やホテルのホームページを見る間に、淡路島なんかいいんじゃないか、とぼくは勧めた。淡路島はわが国ではじめて男女の契りを結んだイザナギ・イザナミが産んだ最初の国土である(『古事記』ならびに『日本書紀』ではそういうことになっている。神は島を産めるのだ)。夫婦のはじまりにふさわしい地であろう、とぼくは話した。フレンドはその話を知らず、「めっちゃええやん」と食いついた。だがどうやら通話しながらWikipediaかなにかを見たらしく、イザナギ・イザナミがその後どういった道を辿ったかを知ってしまった。

 イザナミは淡路島のあとも数々の国土と数々の神々を産み、最後に火の神を産んで、火に焼かれて死ぬのである。ちなみにその火の神は直後にイザナギに斬られている。イザナギはイザナミに再び会いたいと思い、黄泉の国に赴く。死んだイザナミは「私を見ないでね」というのだが、イザナギは見るのだ。果たしてそこには腐爛死体となった妻の姿があり、驚きのあまり夫は逃げ帰ってしまう。妻は「よくも私に恥をかかせたな」と追いかける。命からがら生者の国に戻ってきたイザナギは、黄泉の国と生者の国をつなぐ坂に大きな岩を置いて道を塞ぐ。イザナミは夫を追いかけることができなくなり、その岩越しに「貴様の国の人間を毎日1000人殺す」と告げる。イザナギは「ならばおれはこの国に毎日1500人の赤子が誕生するようにする」と告げ、だからこの日本は人びとが増えるようになったのでございます、チャンチャン、という話柄だ。確かにこれから結婚しようとする人たちからすれば、このエピソードは、もしかしたら、最高の物語とはいえないかもしれない。フレンドは淡路島に難色を示した。(ところでこの国の人口が年々減っているのは、イザナギが最近疲れているからなのか? それともイザナミの力が強すぎるからなのか?)

 電話の向こうで、「海の見える場所がいい、旅館よりホテルのほうがいいかな、あのホテルはちょっと違う」などと色々いわれ、ぼくはもう眠たくなってしまった。結婚を申し込む場所なんて当人同士がよければそれでよいのだ。ホテルにチャペルがあればいいのだが、とフレンドがいった。キリスト教徒の恋人なのかと訊くと、違うという。だとしたら急に目の前で永遠の愛を誓われたって神も困惑するのではなかろうか。しかしながら、彼にしてみたらそういったことはどうでもいいのだそうだ。価値観は多様である。

 動画を撮りながらプロポーズするという時代の最先端のそのまた先端をゆく計画についても、当人同士がよければ(かつ他者に迷惑をかけなければ)いくらでも撮っていいと思う。その動画は披露宴で招待客に見せるのだろうか。それともyoutubeに上げるのだろうか。まことにもって、価値観は多様なのである。

 おそらくフレンドの目からすれば、ぼくがこのように金にもならない文章をだらだらと書くことも奇異に映るのであろう。時代のメディアは文章から写真へ、写真から動画へとどんどん変遷している。別に100万人にいいねボタンを押されるわけでもない。いいんだ。ぼくは紙とペンと一緒に亡ぶ。

 ぼくが心中を決意したとき、一緒に漫才師になる友達から連絡が来た。ようやく労働を終え、ネタを読んだとのこと。感想を聞くとあっぱれだという。どんなにお世辞を含んでいるとはいえ、書いたものを褒めてくれるのは嬉しいものである。もしかしたら彼はこの薄ら寒いネタを臆面もなく他者に送りつけた神経の図太さに対してあっぱれといったのかもしれないが、下手な追求はよそう。

    ついでに、プロポーズ計画中のフレンドの一連の言動をこの友達にかいつまんで話したところ、「もし結婚の運びとなれば、披露宴の余興で漫才しよう」ということになった。なるほど。我らのコンビ名は『錯乱ヴォイス』なのだが、披露宴の雰囲気に合うだろうか。招待客の価値観が多様であることを祈るしかない。

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