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太平記のある服屋で

 日曜日、銀座の服屋で顧客管理帳を書いていたら、目の前に『太平記』があることに気付いた。

 ローテーブルの上にディスプレイとして並ぶ『ユートピア』や『ソクラテスの弁明』や『デカメロン』など20冊弱のヨーロッパ系の本に挟まれるようにしてそれはあった。あまりの存在感ゆえ、“屹立していた”といってもよい。隣は『星の王子さま』であった。

     小学館の「日本の古典を読む」シリーズの1冊で、2008年の発行。長谷川端氏が校訂と訳を担当している。全文収載ではないが、『太平記』に親しみたい初心者向けの一冊としてはふさわしい。

 かつて兵藤裕己校註の岩波文庫版で通読しようとしたことがあるが、3歳児を公園に放ったときのように筆があちらこちらに行くので非常に混乱し、挫折した。「今なんの話?」と何度もおもったのが懐かしい。それはいいとして、イタリアにルーツを持つこの服屋が、店内の雰囲気づくりの一環としてヨーロッパ系の本を置くのはわかるとしても、軍記物語は明らかに異質である。そのうえ他に日本の本は1冊もない。謎。販売員に問う。

 「どうして数ある古典のなかで『太平記』を? なにか理由があるのでしょうか」

 老紳士の販売員が「うちの現地法人の担当者のセレクションだとかで……」などと答えてくれたが、明確な理由は判然としなかった。ただ、前近代の本が多いのは「古典のように時代を超越するものだけを作りたい」との創業者の信念に基づくのだという。

 海外法人の担当者レベルであれば、「ジャパンのトーキョーの店舗に配架する本か。とりあえず“The Tale of Genji”にしときましょう」とでもいいそうなものであるが、あえての軍記物語。しかも軍記物語のなかでもメジャーな『平家物語』をのけてまで、『太平記』を置いている。どうして。

 この服屋は職人第一を社是とする。自社が抱える職人に文化芸術に親しんでもらうべくわざわざ劇場を作ったり、職人の給料を同年次の一般職の1.2倍に設定したりするなど、実に厚遇するのだ。さらに、職人を含む社員全員が家族友人と過ごし、かつひとりで内省する時間が必ず取れるように社の労働時間を決めているそうだ。

 以上の理念に照らし合わせると、たしかに店舗に置く日本の古典として王朝物語は似つかわしくないかもしれない。強いて挙げるとすれば『徒然草』や『今昔物語集』、ちょっとひねって『俊頼髄脳』、もしくは中世以降の和歌集などが適当におもえる。そこをあえて『太平記』を置いたのは並々ならぬこだわりがあるか、ことに印象深い物語なのであろう。担当者が楠木正成神推し同担歓迎派なのだろうか。

 さて偶然にも『太平記』との再会を果たすまでには、以下のような流れがあった。これはこれで珍しい体験だったので書き残す。 

 ある縁で数年前に知り合った男子たちと昼食を食べてから、買い物して帰るけど君らはどうする、と訊く。暇だから付いていくとの返事。20歳と18歳のふたりの坊やを連れて銀座を徘徊する。

 1-2時間ほどブラブラと服や文房具を見て回り、ある店に入ってジャケットを試着する。この店がのちに『太平記』と出会う場所であった。正札をちらっと見て気付いたが、ここのスーツを買うには大卒初任給3カ月分でも足りない。でも試着は無料のため存分に試す。

 20歳と18歳は手持ち無沙汰だし、興味のある店でもないしで、入口付近に突っ立ってマゴマゴしていたところ、見かねた老紳士の販売員が「あちらさまがお買い物の間、することもないでしょうから」と大粒のチョコレートが山盛りのガラスボウルと瓶詰めの水を出してくれた。

 老紳士は、徳川時代の名物番頭もかくやという手際で、「どうぞおかけになって……」と勧めるが坊やたちは頑なにカウチに腰を下ろさない。瓶の水を開けてグラスに注ごうとする老紳士の手をわざわざ遮って「あ、いや、自分たちで、その、自分でやります、すいません」といっていた。部活か。

 前述のとおりこの服屋はイタリア発祥のため、水はイタリア北部産、チョコレートはイタリアで一般に愛されるものという徹底ぶり。飲み物を出す服屋はあっても、茶果を出す服屋は珍しい。

 若紳士に付いていただき、試着を終える。気になったジャケットは、サイズ50しかもうその店にはなかったのだ。

    坊やたちはモグモグとチョコを食べていた。老紳士によればそのチョコは包み紙の中に愛についてのさまざまの名言が多言語で書かれていることで知られるのだとか。どうぞご覧になってみてください、と勧めるので一粒つまんで開ける。スペイン語とフランス語と中国語で書いてあった。どれひとつとして読めない。かろうじて、amigo(スペイン語)だけ読み取れた。

 読めません、せめて英語であれば、と話すと「おや、読みやすい言語が載っていたはずですが……」と微笑みを崩さずに訝しむ演技をする老紳士。

 そこへ20歳男子が「自分の(チョコ)には英語(の文章が)ありましたよ」と口を挟む。老紳士は「おおそうでしたか」と笑ってみせ、しかし眼鏡を光らせながら「そこには何と?」と問う。その場の4人の視線が一気に集まり、やや動揺しながらも「たしか“Love is the poetry of the senses.”でした」と答える20歳。そんなこと書いてあったのか、と新鮮に驚くぼくと18歳。はいはいその文ですね、と柔和に微笑む老紳士と若紳士。老紳士が追い打ちをかけた。「なるほどなるほど。では訳すと……?」

 びっくりした。思わず口から出た。
「この店ではいつもこうして客をお試しになるようなことを?」

 老紳士はいえいえそんなつもりは、と笑い、20歳が「ええと、『愛とは感覚の詩』とか……?」と答弁したのでその場は丸く収まった(かに見えた)。しかしあの一瞬、あの場に緊張が走ったのはたしかである。その後、老若の紳士たちは、20歳の回答が正解だとも間違っているともいわなかった。

【付言】
Love is the poetry of the senses.(原文:L'amour est la poésie des sens.)は19世紀フランスの小説家バルザックの言とされる。日本語ではあの坊やのいうように「愛は感覚の詩」とされるほか、しばしば「恋は官能の詩である」と訳される。
【付言おわり】

 我々が年齢・服装の両面から見てもその店の客層とはまったく異なることはたしかなので、老紳士は我々の実相を見極めようとしたのかもしれない。もしくは本当に老人が若者に無邪気に謎を投げかけるようなものに過ぎなかったのかもしれない。真相はわからない。

 結局その日は服を買わなかった。とりあえず48サイズのジャケットとスラックスを取り寄せていただき、後日改めて試着する運びとした。

   若紳士が「よろしければぜひお名前とご住所と電話番号を」といって顧客管理帳を持ってくる。やめてくれ。日々『貧窮問答歌』を読んで共感しないことには精神の安定が保たれないほど貧窮びんぐうしているのを知らないのか。無理だ。

 「ぼく自身はぜひお願いしたいのに、この財布が、ぼくがこの店にふさわしくないといってきかない」「3-4年に1回ようやくシャツを買えるかどうかもわからない」などと牽制。そもそも内心では、少なくとも今年は国外ブランドの服を買うつもりがなかった。電力など諸コストが高騰しているうえに円安に拍車がかかる今般、ヨーロッパの服は現地ですら高くなっているのに日本では輪をかけてとんでもない価格になってしまうのだ。

    すかさず老紳士が「ご遠慮なさらず。私など、10年買わなかったことがあります」と穏やかな顔で嘘を吐き、立ちっぱなしの坊やたちにすかさず「どんどんチョコ食べてね」と勧め、「ああ、お水がもうないですね」といって若紳士に目で合図し、次は瓶入りの炭酸水と新しいグラスを持ってこさせた。流れるような一連の動作。坊やたちは坊やたちで、本当にやることがなく、ただチョコを食べ、水を飲んでいる。

 是非もなし。観念した様子を見て若紳士がペンを渡し、ローテーブルの前のソファを促す。月収が八兆ユーロになったらこの店で10年に1回スーツかセーターを買おう。

 ようやくローテーブルに向きあって書く姿勢を取ると、入店以降はじめてテーブルの上の本のラインナップを確認することができ、『太平記』に気付いたのである。

 今こうして(比較的)冷静な頭で考えを巡らすと、あの質問はやはり「きみたちは本当にうちの客に成り得る人間か」とテストだったのではないかとおもう。

 してみると、結果的に窮地を20歳の坊やに救われた格好になるが、「いやいやそんな、ぼくだって本当に英語が書いてあればさすがに読める」とおもいつつも、心のもう片方では「あのとき場をほぐしたのは他ならぬ坊やだった」と認めている。とはいえどうせなら「『太平記』のなかではどのあたりがお好きで?」とか、「この1-2年はご時世柄、『デカメロン』を読む方が増えたそうですね?」とか、そういう方面のテストならばスムーズに答えられたはずなのにと残念がる気持ちがあるのも、これまた本当である。

 ところで、退店後に18歳のほうの坊やが「見て見て」と手招きするので、なんやねん、と近づくと、シャツジャケットのポケットいっぱいにチョコを詰め込んでいる。さっきまでの固い面持ちは、緊張しているのではなく、チョコをくすねたことがばれないようにしていたのか。「だってあのおっちゃんが『どんどん食べて』っていうんだもん」とケラケラ笑う、青年になりかけの少年に、フレッドとジョージの面影を見た。


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