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週末がいつも雨だから…という書き出しの退職届は、課長の手であっさり書き直された。
おいおいおい!! 夢がかなった…は間違いだった。
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大学を卒業したのは、1989年。昭和から平成へと移った年だった。就職は売り手市場。しかし、コピーライターになるのだ!と決意した私にとっては、簡単なものじゃなかった。大学は、二流どころか三流。大手の広告代理店は受けさせてさえもらえない。それなら!と、有名広告プロダクションを受たが、こっちは書類選考で落とされる。ただ、雑誌『宣伝会議』にコピーライターの新卒求人が載っていた印刷会社を受けたところ、あっさりと内定が出た!記憶が定かではないが、試験のようなものはなく、ただ面接しただけだったと思う。あまりにも早い内定に拍子抜けしつつ、でも、これでコピーライターになれる!と安心し、それ以降は就職活動をせず。残された大学生活を謳歌した。バイト先で知り合った女性に人生初!の告白をして、ユーミンのコンサートに行ったり。気がつけば…もう3月だった。
内定をもらった印刷会社から呼び出しが来たのは、3月半ば。よっしゃ、コピーライターの名刺がもらえる!と思ったが…なんと、配属先は営業部。おいおいおい!話が違うやんけ!!とツッコミたかったが、その前にアタマが真っ白になった。どんな返事をしたのか?まったく覚えていない。後になって聞いた話によれば、その会社にコピーライター希望で内定をもっらた十数名全員に、営業部配属!という指令(?)が出されたようで。「絶対イヤです!!コピーライターじゃないなら、就職は取り消してください!!」と、強気で訴えた一人だけが制作部配属になったらしい。
五月病? ノイローゼ?? ため息と逃亡の日々だった。
いま考えると、もっとやり方があったと思うし。っていうか、その前の就職活動の時点で、もっと会社を調べたり。もっともっと、いろんな会社を受ければよかったのだと思う。しかし、入社してからは地獄だった。いや、先輩社員や上司、同期の人間は、みんないい人でした。だけど、やっぱり、やりたい仕事じゃない。(いやいや、もちろん。コピーライターになったらなったで。別の苦悩、辛さ、クレイジーな日々、やりきれない思い…などなど…そりゃ大変なことが待っているんだけど。)会社にいてもため息ばかり出して、暗い顔して、時々ひとり言つぶやいて…なんて感じのヤツに、仕事は頼みにくい…頼めないですよね。同期のみんなが揃ってランチに行く中、ひとり弁当を買って公園で食べる毎日。そして五月のゴールデンウイーク明け、ついに退職届を書きました。
「週末がいつも雨なので、平成元年○月○日をもって退職いたします。」
いやはや、まったく。こんな届け出、受理されるハズがありません。完全にヤバいです。いっちゃてます。「わかった、わかった。私が前文を書いてあげるから、君は日付と名前だけ書きなさい。」 売られていく牛を見るような目で私を見つめる課長が、そう言って肩をたたきました。
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私の最初の新社員生活は、あっけなく終わりました。ここから、本当の意味での“コピーライターへの道”がスタートします。先は長いです。
この続き、いつ書くかはわからないけど、いつか書きます。では、また。