左手でなんでもできると思った小4の冬。

小4の春から小6(卒業)まで、柔道を習っていた。師範は、地元の高校の体育の先生と派出所のおまわりさん。道場は小学校の敷地内にあったので、週2回、授業が終わるとそのまま残り、練習に励んだ。まずは基本中の基本、受け身から。これを怠ると怪我をする。後ろ受け身、横受け身、前受け身、前回り受け身。一通り覚えて、自然と身体が動くようになって、ようやく技が教えてもらえる。立ち技、寝技。なんとかそれも覚えて、やっと乱取り。自由に技を掛け合う稽古方法。この頃になって、少しずつだけど柔道が楽しくなってきた。習いはじめて半年たったぐらいだろうか。

それでも、一日の稽古の始まりと終わりは、受け身の練習だ。慣れてきたから油断していた訳じゃないけど…やっちまった。寝転がっている数人を飛び越えて前回り受け身の練習。いつもと同じように飛び…前回りして…のつもりだったが…バキッと音がした。右肩が痛い。体験したことのない痛さ。師範が「骨折や!たぶん骨が折れとる!」すぐにクルマに乗せられ、師範の先輩である柔道整復師の所へ。ド田舎なので、そこまでが遠い。しかも冬の雪道だった。閉めきったクルマの窓の外に、降り続く雪が見えた。1時間弱は走っただろうか。

整復師の先生の接骨院へ着くと、右肩の鎖骨の辺りを触診し、「折れてる。しかも折れた骨がズレてる」と。「ちょっと痛いけど我慢しいや」と言い終わる前に、私の肩をグワキッと!いやいや先生…ちょっとだけ言うたやん!と返すより先に、「うぇぎぇぉおお~」と悲鳴をあげた。涙が出そうだったけど、師範の前なので、なんとかかんとか、どうにかこうにか堪えた。

翌日、病院に行った。と言っても、これまたド田舎なので、いわゆる診療所ってやつ。なんでも診てくれるけど、専門医ではない。レントゲンだけはあったので撮ってもらうと…「折れていないけどなぁ」と。付き添いの父が、昨日のこと、柔道整復師のところで処置してもらったことを伝えると…診療所の先生は、もう一度レントゲン写真をよーく見て、「なるほど!そういうことか!!そりゃ、いい整復師さんに出会ったなぁ」って。折れてズレていた骨と骨を引っ張ってくっ付けてくれていたらしい。「整形外科やったら手術していたところや」と、先生はひたすら感心していた。今なら、ちゃんとした病院に行き、さらに診てもらって…そこからリハビリとなるのだろうが、右腕を三角巾で吊り、「あとは日にち薬やな」で、診察は終わった。

次の日から、右腕を吊ったままの生活が始まった。鉛筆を持つのも、ごはんを食べるとき(さすがにスグには箸は使えずフォークとスプーン)も、だいたいのことは左手でやった。やらざるを得なかった。「お箸で豆粒をつかめるようになったら、一人前の左利きや」と言う近所のオッチャンがいたり、「左手で字を書いたり絵を描き続けていると、今以上に賢くなって天才になれるぞ!」なんて笑う学校の先生もいて。そりゃあ大変やったけど、とりあえず左手でなんでもやってみた。

まだ10歳だったから…なのか?それこそどんどん身体が覚えて、もちろん不便だったけど、それなりに左手でできることが増えた。当時の冬の体育の授業は、ほぼ卓球だったので、それも左手でチャレンジした。試合とかに勝てはしないけど、ラリーは続けられようになった。左手で書いた文字も読めないほどヘタクソではない。豆粒をつかむとこまではいかないが、ごはんやおかずはフォークとスプーンじゃなく、箸で食べられた。僕はこのまま左利きになるのかもしれない。いや、右肩が治ったら、両利きだ。右でも左でも投げられるピッチャーとして、プロからスカウトされるかも!?とかなんとか…想像というか妄想が膨らんだ。

しかし、それからしばらくして。診療所で経過診察してもらうと…。「もう右肩は大丈夫やね。動かしてみ!」と先生。えっ!?と思いながら肩を回してみたら…確かに痛くない。少し違和感はあるが、動かせる!その日から、右手生活に戻った。リハビリという言葉は使わなかった(と記憶している)けど、毎日フツーに使うほうが早く慣れて元通りにもなりやすい!って。私の両利き計画は、脆くも崩れ去った。だって、やっぱり利き手である右手を使うほうが、はるかに楽チンで、なんでもスムーズにこなせる。両手投げのピッチャーになることも、左手も右手も使って天才少年になることも、なかった。

それから40年後。またも、ほぼ同じ箇所を骨折するとは!!何もない所でつまづき、柔道で習った受け身をとることもなく、駐車場のクルマ止めに右肩をブツけるとは!でも、40年前の骨折が役に立ったこと、一つだけあった。ボール投げをしたがる小学生(当時)の息子と、左手でキャッチボールができたのだ。そう。40年前の骨折時、卓球だけじゃなく、ボール投げも左手でしており、 短い距離なら正確に投げられるようになっていたのだ。柔道の受け身はすっかり忘れていたが、ボールの左投げは身体が覚えていた。試しに卓球もしてみたが、左手の父VS利き手の息子は…ほぼ互角どころか、父のほうが強く、勝ってばかりだった。

そして4年が経ち、中学生になった息子は、部活に卓球を選んだ。今じゃ、父が右手で本気で戦っても、まったく勝てやしない。コテンパンにやられてしまう。悔しいけど、うれしい。うれしいけど、悔しい。

左手でなんでもできると思った、小4の冬から45年。さぁ、来年は何に挑戦しよう?きっと、なんだってできるさ!なにかを始めるのに、年齢は関係ない…たぶん…きっと。人生ってやつに、骨折り損もない…たぶん…きっと。楽しんだもん勝ちだよ!!

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