世界はつながっており、あなたの情報がわたしの世界をつくっている
2023.7.15
こんな動画をアップしました。
「世界はつながっている」「あなたは私である」
ということをいろんなお話を引用して解説した動画です。
この中で「百匹目の猿現象」という話を紹介したところ、「それってだいぶ前にでっち上げだったことがわかってるよ」というコメントをくれた方がいて、非常に勉強になりました。
調べてみたところ、物語的に使われていること、理論的には説明できること、体感として持っている人はいること、ただ科学的に完全に証明されたわけではなさそう、ということがわかってきた。
あなたが信じる「情報」とは
以前から、他者からの「情報」を「信じるに値する」と判断する境界線はどこにあるのか?ということに興味があったのですが、その答えに少しだけ近づいた気がします。
自分の中に外界から得た「情報」を取り入れて世界モデルを更新していくとき、私に大きな影響を与えているのは「確からしい人が言っているか?」「科学的に証明されているか?」「多くの人が体験しているか?確かだと信じているか?」という「情報」です。
つまり、私の「世界」に影響を与えているのは、ずっと語り継がれている物語や神話、再現性のある理論的に納得のいく現象、理屈はわからんけど多くの人が体験的に信じていること、ということになりそうです。
個人的主観的体験を広く伝えるために科学や物語があるのだと思います。
それが多くの人に共通する体験や記憶の深い所につながっていればいるほど、つまり、「ほんもの」であればあるほど広く伝わってゆく。
「ほんもの」であるかどうかの評価基準は、科学であれば「理論と再現性」で、それがあれば「確からしい」と判断されて広く伝わり、多くの人が確かだと信じるようになる。
物語であれば、「あぁわかるなぁ…」「そういうことってあるよね」という共感とか、「ずっと昔から語り継がれている」「何度も何度も聞かされている」話を他の多くの人も知っている、ということが繰り返されて広く伝わってゆく。
科学と物語の違い
大きな違いは、科学では理論と再現性を証明できなければ「ニセモノ」と判断されてしまい、個人的体験そのものが否定される印象があるけど、物語は極めて主観的で内面的なものであることが尊重されるところだと思います。
科学はめちゃくちゃエキサイティングだし、新しいモノの見方を提示してくれるし、私たちを物質的に豊かにしてくれるものですが、ルール的に、どこまで行っても個人的体験がそのまま尊重されることはなさそうです。
私の世界をつくっているのは「情報」であることは間違いありません。
目の前に広がっている「世界」の源は、個人的体験によるものか、科学が証明した再現性か、誰かから押し付けられた常識か、重力を超越した宇宙の向こう側にある意識か。
私にとっての「ほんとうの情報」とは何か?を考えて選ぶことは、できる。
まとめ
私は、個人的体験によって得た情報を、科学で証明されたことと多くの人に共通している物語を融合する形で伝えていきたいんだなぁと思いました。
間違えることもあるかもしれませんが、常に勉強し修正していきます。
きっと最後には、みんなと同じ山の頂に、私にしか辿れなかったルートでたどり着けると思っています。
それでは、また!