【深読みフリーレン】人間が魔法使いになる方法
アニメ『葬送のフリーレン』が好きです。
【※注意】がっつりネタバレです
アニメシーズン1の26話目。
一級魔法使いになるための第二次試験。クリア条件は「零落の王墓」というダンジョンの最深部に辿り着くことでした。
10数名の魔法使いがこの試験に挑むわけですが、そこでは「シュピーゲル」という魔物によってダンジョンに侵入した魔法使いたちの完璧な複製体が作られ、それらは敵としてダンジョン攻略を阻みます。
ダンジョンには、第二次試験の試験官であり一級魔法使いでもある強力な魔法使いゼンゼも一緒に入っていました。
彼女は長い髪の毛に強力な魔法を練り込んでおり、その髪の毛を伸ばしたり尖らせたり動かしたりして、攻撃や防御をする魔法使い。
受験者の中では、大魔法使いフリーレンを除けば最も強いとされている宮廷魔法使いのデンケンでも到底勝てる相手ではありません。
そのゼンゼの完璧な複製体が現れ、2人の受験者が脱落。
ゼンゼを食い止めなければダンジョン攻略に失敗する、という状況の中で、デンケンは勝てないと分かっているゼンゼに「せめて少しでも足止めを」と、挑もうとします。
そこに現れたのが、デンケンより格下の三級魔法使いユーベルと相方のメガネくん。
ユーベルは、勝てないとわかっていて戦おうとするデンケンに
「あれと戦うつもり?勝てないと思うよ」
と言いつつ
「私が倒すよ」
と言います。
そこにメガネくんがすかさず「何を言ってるんだ。この中で一番強いのはデンケンだ」と伝えると、
「んーそういうことじゃないんだよね」
とユーベル。
彼女の得意な魔法は、だいたい何でも切る魔法「レイルザイデン」。
ユーベルいわく、
「私が切れると思った物はなんでも切れるし、切れないと思った物はまったく切れない魔法」
メガネくんの分析は「ゼンゼの髪には防御魔法に匹敵するほどの魔法が何重にも掛けられているからユーベルの得意魔法はまったく効かない」というものでした。
ここでユーベルは言います。
「そんな理屈はどうでもいいんだよ。これはイメージの話なんだから」
と言い、メガネくんが止めるのも聞かずにゼンゼと戦いはじめます。
結果、ユーベルは誰もが勝てないと思っていた圧倒的格上の魔法使いゼンゼの複製体を切り刻み、倒してしまいました。
ユーベルは言います。
「みんな頭使いすぎなんだよ。髪は切るものでしょ?」
魔法使いなら馬鹿でも、一目見れば「切れない」とわかるゼンゼの髪を、なぜユーベルは切れたのか?
ユーベルは「髪は切るもの・切れるもの」という完璧なイメージを持っていたから。
とはいえ人は知性を持った生き物であり、魔法使いであればその知性ゆえに「切れないものだ」と悟ってしまうハズ。
ユーベルだって例外ではありません。
でも、それでも彼女は自らの感覚に従った。
切れない物だと知性ではわかっていながら、「髪は切るもの・切れるもの」という「感覚」に従うことで、不可能を可能にしたのです。
ここからは僕の解釈・思ったこと。
人間は魔法を魔法と思えない
私たちが生きているこの現実も、フリーレンの魔法の世界も、同じなのではないか。
自動車、飛行機、パソコン、スマホ、宇宙船。
イメージできるものは実現する。
これまで幾千幾億の人たちが、それを証明してきた。
周囲の多くの他者が、知性で考えて、批判したり非難したりしたことを、その人は信じていた。
誰もが、決して実現することのない夢物語と思うことを、その人だけは信じた。
これは実現する。これはほんとうになる。
という、自分の「感覚」に従った。
自らの「感覚」に従った人たちが実現したものが、いまこの現実世界には溢れている。
そしてそれは、すぐに当たり前になってしまう。
だから現代を生きる私たちには「魔法」とは思えないだろう。
けれど、紫式部や藤原道長から見れば現代は魔法で溢れているように見えると思う。
歴史的な偉人と一般的な「私」を分けるもの
知性に「使われる」のではなく。
自分の「感覚」を信じ、その「感覚」に従って知性を「使って」行動することの力を、アニメ『葬送のフリーレン』26話は語っている。
ありがたいことに、私たちは知性を持った生命である。
ありがたいことに、私たちは生まれてからこれまでに、知らず知らずのうちに経験・体験を蓄積し、知性を磨き続けてきた。
そして、ありがたいことに、いまここに存在している。
知性が勝手に発動してしまう存在として、いまここにいる。
だからもう「感じる」ことが先でいいのではないか?
私の中にふっと湧き上がるイメージ・直観・感覚に従っていいのではないか。
これまで人の顔色を伺い、自分らしさよりも他者を優先し、他人軸で一生懸命生きてきた優しいあなたは、磨きあげた自らの知性を信じて、自らの感覚に従って動いていい。
知性は使うものであり、知性に使われてはいけない。
でもそれは、「感じる」を最優先にすれば、自然とそうなること。
イメージ・直観・感覚に従うならば、知性を「使う」ことができる。
だから気にしなくても、大丈夫。
歴史的な偉人と一般的な「私」を分けるものは、
自分の中にある「感覚」をとらえることができるか
自らの「感覚」に従うことができるか
だと思う。
私たちにも、力の大小はあれど魔法は使えると思う。
おまけ
ユーベルが残忍な人に思えるシーンもあるけれど、それはこれから変わっていく。仲間と関わることで変わっていく。
良いも悪いもないけれど、きっと良い方向へと変わっていく。
「ユーベルに変わってほしい」なんておせっかいなことを微塵も思わない仲間たちは、ただ自然と、自分の感覚に従って一緒にいるだけで、ユーベルを変えていく。
そんな兆しを感じられるこのアニメが好きです。
ありがとうございました。
【サムネイルのイラストを描いてくれた人】
ステラ・サウラさん
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