自認のタイミングのこと
違和感を持ったのは数年前のこと。それまでも思ってはいた。性別は身体にあるもので、魂(心)に性別はない、と。それでも身体と心が一体だったときは、身体の性で生きることに疑問を抱かなかったのだと思う。いや、疑問を抱く余裕がなかっただけかもしれない。けれど、身体と心がバラバラになり、心もバラバラになって、矛盾を感じるようになったのかもしれない。
ひとつの身体にいる自分たちは、さまざまな性表現を持っている。女性、男性、無性。ちなみに自分は男性だ。だからといって、男性の身体がほしいわけじゃない。身体も魂といっしょで無性であればいいのにと思う自分がいる。
話は少し逸れてしまったけれど、タイトルの件。自分たちがXジェンダーではと思ったのはここ数年のこと。ただ、そう自認していいのだろうか、とも考えてしまう。何十年も女性として生きてきたじゃないか、性別を持っている人格もいるじゃないか、などなど。
いつ、どう自認するか。
自分たちが、自分たちのタイミングで考えられるようになりたいと思う。
(皐月)