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父のことを誤解していた

家族の中でも父との接し方は他の家族と比べて少し特別なところがあると思う。

ぼくも例外なく思春期は父との会話が減っていた。
世のお父さんは思春期の子どもに悩んでいることだろう。

だからといって、愛情を持って育ててくれたかどうか?と思い返した時、おそらくYesだと思う。

『おそらく』という単語がパっと出るのは、きちんと褒めてもらった記憶が一度もないから。

小学生の時、野球をやりたいといえば野球道具を一式買ってくれる。

休日はたいてい野球の練習試合だったが、たまに何もない日、父はバッティングセンターに連れていってくれ、お願いすればキャッチボールにも付き合ってくれた。

お願いしたことはだいたい応えてくれる。

ただ、やっとの思いでリトルリーグの試合にレギュラーで出られるようになっても、父はほとんど顔を出さなかった。

どのエピソードも父の感情をあまりうまく思い出せない。

喜んでいなければ、怒ってもいない。哀しんでる顔も、楽しいんでいる顔もそれほど思い浮かばない。淡々と行動していたのが父だ。

そう、寡黙な人だった。

そんな父をつかみどころのない人だと思っていた。
なんだか寂しくもあった。

ぼくが試合でエラーをしてしまい「今日は試合に行きたくない」と言うと、父は不思議と嬉しそうにするので、機嫌伺いでわざと休んで家で父と遊んだ記憶がある。

うちは決して裕福な家庭ではないと思う。

父のお小遣いはない。趣味もない。いわゆる仕事人間。
ぼくが小学校の頃、父は仕事の都合で単身赴任をしていた。

「一日中仕事して、夜遅くにフラフラでラーメン屋に入ったけど、財布に200円しかないことを思い出してすごすごと店を出たらしいよ。」

というエピソードを小学校の時に母から聞いたことをいまだに強烈に覚えている。

え、そんなにお金もってないの?とショックを受けたからだ。
自分を犠牲にするのが父だった。


父は器用な人だ。

父が中学生の頃、真空管ラジオをつくったり、絵を描けば賞をもらうほど上手い。数学が得意。好奇心旺盛で、ぼくが小さい頃は新しいビデオデッキやワープロが出たらすぐに買って、一緒にいじって遊んでいた。

ぼくは現在ITの仕事をしているが、それはぼくが中学2年生の時に父が買ってきたパソコンが多大に影響している。

Windows98が搭載されているIBMのデスクトップPCだ。

あれ、待てよ。

ここまで書いて気づいたが、

父は、家で何かをするのが好きな人なのか…

ていうか、ゴリゴリ家でやることばっかりだな。

とすると、ぼくが好きな野球や、出かけて遊ぶことは、しんどかったのではないか?

そう考えるとすべてつじつまが合う。

父はプロ野球のナイター中継をよくテレビ見ていたので勘違いしていた。
今ごろ気がついた。

ぼくは昔から走り回るのが好きで、よく迷子になっていた。なにより運動が好きな子どもだった。

そうか、父は自分と違うことに興味を持つ息子に戸惑っていたのか。


子どものころ、仮に休日に当たり前のように父にお願いしていたことが一切何もできていなかったら、全然違う人生を歩んでいたかもしれない。

そんなことを思わせてくれた一冊がある。

最近ぼくは「まわりの人に自分の思いを伝えてもうまく伝わらない」という悩みがあり、手にしたのが『世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学』というタイトルの本だ。

何気なく読んでいる時に、この一文でふと恐怖を感じた。

実際、先の「夜が明けたら」は、地球の自転という歯車を止めただけです。「たった一つの歯車を狂わせただけで、僕らの日常は激変し、悪夢へと変わってしまうのです。

本の中で引用されているこの物語は、地球の自転が止まることで夜が明けない、ということはずっと温度が上がらない…という数々の事象で地球が混乱するというSF。

自分の思いがまわりの人に伝わらないと悩みこの本を手にしたにも関わらず、父とのすれ違いだった子ども時代が突如フラッシュバックした。

この本を読む前日、夢に父が出てきて、左胸をおさえながら「胸が痛い」と言っていたのが強くに心に残っていたからだと思う。普段は家族の夢なんて見ないから急に思い出したのかもしれない。

当たり前にあることは、まったく当たり前じゃない。そりゃそうなんだが。

ぼくの要求を父が何かしらの理由で一切受けつけなかったらどうなっていたのか。
そう考えると怖い。

父自身は一切思いを語らない人だ。


小学2年生のクリスマスに、ぼくはひどいことをしてしまった。

当時サンタクロースを信じていたぼくは、友達から「サンタクロースなんていないよ!」という話を聞いてショックを受けた。

友達に反論するために、ある実験を思いついた。

それは、いつもは欲しい物を1つだけ頼んでいたが、

『欲しい物はなんでもくれるサンタクロースなら2つ頼んでもくれるはず』

という案を思いつき、ファミコンのゲームソフトとミニ四駆を走らせるコースの2つをお願いした。

届いたのはミニ四駆のコースだけだった。

両親には「なんで2つこなかったの?」と子ども心に言えなかった。
ミニ四駆のコースは嬉しかったけど、友達を認めざるを得なかった。

本にはこんな一文がある。

その正体は親だったということを子が知った瞬間にサンタクロースは役目を終えます。
僕らは「サンタクロースなどいない」と知った時、子供であることをやめる。

父も母も戸惑っただろう。金銭的にも負担がかかるし。
すべてがわかる今だと胸がざわつく。


この本は「贈与」について徹底的に書かれているのでそちらが本筋だが、父とのことを書きたくなったのだからしょうがない。


ぼくが上京してからは両親から年に1、2回電話がくるのだが、以前こんな会話をしたことがある。
ぼくが離婚した直後だ。

「親父とどこで出会ったの?」

「お見合いよ」

「へー、お見合いだったんだ」

「ただ、お父さん、お見合いより前に付き合ってた人がいて。その人と結婚したかったみたい」

「なんでそんなこと知ってるの?」

「新婚の時、お義母さんに聞いた」


40年前のことを昨日のことのように話す母。いまだに引っかかってるのか。

てか、ばあちゃん、新婚の嫁にそんなこと言ってやるなよ。


寡黙な親父…意外にやるなぁ。


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====(追記)====

キナリ読書フェス、優秀賞ありがとうございます!!!
夏休みの宿題で一番最後にやっていた読書感想文で賞をもらえる日がくるなんて…

https://note.kishidanami.com/n/n75fdae4a595e

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