見出し画像

東京に住むなら大岡山


駅前に空が広がる丘の町

 改札を出る前から、目の前に広い空がせまってくる。
 大岡山は、駅の構内を出た瞬間から大きな丘の上だ。線路がのびる西のほうには富士山のシルエットがよく見える。
 駅前はやたらと広い。目線を遮るビルは何もない。木の下に丸いベンチがある。その広場に、時間帯によっては学生たちがワラワラと集っている。みな真面目そうで可愛げのある学生たちだ。
 右手に活気ある青天井の北口商店街。正面にはドーンと平屋の東急ストアと、オープンエア席のあるエクセルシオールカフェ。そこにはだいたい大型犬が行儀よく座っている。
 斜め左前方には、銀色に光る司令塔のような建造物が鎮座している。そう、国立理系の最高峰、東京工業大学(現東京科学大学)・百年記念館だ。
 振り返れば駅ビル、すなわち東急病院は外壁の大部分が緑に覆われている。これがたしか年に2度、いっせいにジャスミンの花を咲かせ、町じゅうにやわらかな香りを届ける。よく見ると時折、葉の間のあちこちから水がプシュっとふきだしているのに気づく。

 春には東急ストア前の枝垂れ桜が歩く人々を誘い、東工大(ここではこう表記し続ける)のキャンパスに招き入れる。先鋭的で緑化された建造物の間に、重厚な近代建築と、銀杏並木、桜並木が順に配置されている。広々としたウッドデッキには学生のみならず近隣住民も集う。呑川への河岸段丘をそのまま生かしたキャンパスの地形は、深い芝生の谷を形成し、たまの積雪時には「大岡山ゲレンデ」が誕生する。

コロナ禍、駅前をブルーインパルスが飛んだ日のこと。右が北口商店街
東工大のウッドデッキは花見スポットだが飲酒禁止の健全エリア
学生が落ちている。これが駅のすぐそば

 急行が停車する乗り換え駅、かつ大学がある町なのだから、かなり栄えているのは当然のことだ。
 にもかかわらず大岡山は、どこを見ても空が広い。せせこましいところが何もない。好人物たちが行き交う。疲れたら、あちこちに座れる。水筒のお茶を飲みながら、どこからでも空を見ることができる。夜には、駅前の空に星さえ輝く。私は仕事帰りに改札を出て、夕暮れに時になたびく雲や浮かぶ三日月に、何度カメラを向けたかわからない。

改札口にはよく犬が座っていて、ご主人の帰りを待っている

 半年間の金沢帰郷生活を経て、私はもう完全に、地方で暮らしたいと思って志向の舵を切っている。旨い空気と水と山と海以外に大切なものが見つからない。よって、かつてに比べればその熱は低いのだが、私は結婚から金沢転居前までの16年間を暮らした、東京都大田区北千束3丁目付近、つまり東急目黒線および大井町線大岡山駅の近辺を愛している。
 幹線道路が近くて排気ガスが多く坂だらけで散歩もままならない、都会なのに商店街もない今のM町に引っ越さざるをえなくなり、思いはさらに強くなった。「東京に住むなら、大岡山よりよい町が思い浮かばない」。

 「風光明媚かつまあまあ栄えた地方都市の、公共交通機関も使える中心部に住んで、なおかつ自家用車を持つ」という、先日までの金沢暮らしは、確かに理想的なものだった。
 が、車の運転に慣れない私には、「中心部は北、食料品は南、ドラッグストアは西。それぞれ毎回駐車場にとめる」という生活は、まだまだハードルが高く、「やっぱり駅を中心に徒歩7分圏内にスーパーとドラッグストアと100均とドトールとマックとカルディとファミレスがある都会って最強だなあ…」と思っていたのも事実だ。

 かといって商店街のある便利な都会ならどこでもよいわけではない。私は20代の大半をJR中野駅付近で暮らしていたが、あの頃楽しかったあの街に、今暮らしたいとは思わない。自分の住む町を中心に、東西南北どの方向にも都会があると思うと、それだけで疲れてしまうのだ。あの頃は「新宿は庭だ」なんて思っていたが。

ムスカが見下ろしていそうでおなじみの百年記念館

子連れに優しい町は病人にも優しい

 結婚した2008年、私と夫は「二人とも乗り換えなしで通勤できる」という至って合理的な理由で、大岡山の町を選んだ。気に入ったのはヴィンテージ感あふれる、駅徒歩3分の分譲賃貸物件であって、町自体に関してはまるで目が向いていなかった。なにせ内見に訪れたのも仕事が終わった後の夜で、ほぼ町を歩かずに即決してしまったのだから。
 そして結婚当初は、それまで住んでいた雑多な中野とまったく違う上品な雰囲気に、なかなか慣れなかった。大岡山はひたすら治安がよい。ファミリーも多い。いっぽう、大学時代から中野時代まで自分の周辺に常にいた、「何をやって暮らしているのかよくわからない若者」がまったくいない世界でもあった。町をうろうろしているのは、日本の未来を担う理系の頭脳たちである(ド文系のため理系イメージの解像度が低くてすみません)。そして、駅には何やらSALUSというハイソな冊子が置いてある。これが東急沿線か。いけ好かん。

 それから1年半ほどたって、私はパニック障害および閉所恐怖を発症した。結婚生活に対する適応障害だと自分では分析しており、中野から引っ越したことも実はその一因であるとしたらこの文章自体がすべて矛盾を孕むことになってしまうが、それについてはここでは話の外に置いておく。

 常に体調が悪く、ろくに仕事もしていない子なしの既婚女性は、あらゆる福祉対象から除外され、この世にはいないも同然の存在となる。そんななかでもなんとか日々家事をしながら最低限の文化的生活を営めたのは、大岡山駅徒歩3分ほどのマンションに暮らしていたからだ。

 駅近は大岡山に限らず、どの町でも利便性が高いのに間違いはない。駅が近ければたいていの場合スーパーや商店街や医療機関が近く、どんなに具合が悪くても這ってでも食料品の買い出しへ行ったり、通院したり、時にはお茶をしたり、外食をすることもできた。大岡山駅周辺の2軒のスーパーに加え、商店街には複数のドラッグストア、100円ショップ、ファストフード店、ファミレス、ドトール、カルディ、日高屋などのチェーン店やその他個人経営の飲食店、加えてやたら充実した各科医療機関に総合病院まである。もし、駅や商店街から遠い、今住んでいるM町で心身が不自由になる病気を発症していたら、私はほぼ引きこもりになるしかなく、日常的な用事や通院も自力ではままならなかっただろう(つまり、都会に暮らす第一にして唯一のメリットは、駅周辺の商圏の恩恵を享受することだと思っているので、都会にいながら駅へのアクセスが悪い場所に住むのは、私にとってはほぼ意味がない)。

古い喫茶店などはほとんどなかったが、大岡山の珈琲館は雰囲気がよかった
自宅から徒歩2分、東急ストアより安いヒルママーケットプレイス。
お互いの得意分野を活かし食い合うことなく、この2軒だけで食料品はほぼ完璧に調達できた

 大岡山にはさらに、東急大井町線と東急目黒線という2路線が使えるという利点がある。公共交通機関の利用に不自由をきたした私にとってこれは不幸中の幸いで、たとえば、渋谷と郊外を繋ぐ東急田園都市線や、新宿と郊外と繋ぐ小田急線、京王線などとは違い、大井町線は二子玉川から大井町という、住宅地とも言える町を主に繋いでいる。その途中には自由が丘がある。もちろん「上り」は大井町行きなのだが、上りと下りの定義が他の路線より弱く、ラッシュ時に一定の区間が著しく過密することが比較的少ない。地上をのんびり走る電車でなんとか大井町まで出られたら、東京駅など本当の都心や、横浜方面へも道が開く。
 また、東急目黒線は下り電車に乗ることによって、かつての目蒲線のルートで蒲田への進路が開く。これにより、下り電車でまたJRの大きな駅にアクセスできる(ついでにいえば、帰省するための羽田空港にも道が開ける)。

 私は、ラッシュ時に一方向に向かって混雑が増す路線には未だ一人で乗ることができないが、大岡山からならば、網の目のように接続する東急多摩川線や東急池上線にすぐ乗り換えることができる。これら、各駅停車だけがのんびり走る3両編成の東急ローカル路線により、殺伐とした雰囲気を避けながら都心への通勤路を得て、それなりに希望の職種に就くこともできたのだ(パートタイムだが)。こんなふうに都心近くを縦横緻密に走ってくれるバスのような私鉄は、東京では東急電鉄以外には存在しない。私が今に至るまで在宅で編集やライティングなどの仕事ができているのは、大岡山に住んでいたおかげである。

 そして私がいま、どの駅からも遠い、砂漠のような坂の町であるM町に暮らして痛感するのは、「子連れにやさしい町は、病人にもやさしい」ということだ。

東工大の敷地は目黒線・大井町線の線路を陸橋でまたいでいる。
ここは絶好の富士山と夕日&電車ビュースポット

 パニック持ちとなり都心へ出向くことを避けるようになっても、大岡山に暮らしていれば、空いた電車に乗って、すぐに自由が丘や二子玉川、武蔵小杉に出ることができた。これらの住みたい町ランキング上位の町は、中央線文化にどっぷり浸かっていた中野時代の私にとってはなんなら敵であったかもしれない。が、いつ具合が悪くなるかわからない私にとっては、ベビーカーを押したママたちが平日の昼間に安心して歩ける町は、自分も安心できる町に違いなく、いつの間にかどの町のことも好きになっていた。商業施設にも、座って休める場所が多い。公園や緑道、河川敷がある。誰もせかせかしていないし、犬連れもたくさんいるし、怖い人はぜんぜんいない。書店だって無印だってカフェだってなんだってひととおりあるのだし、山手線の駅の街に出なくたってたいがいの用事もすむ。

大田区のヌケ感

 そして、知らず知らずのうちに救われていたのは、大岡山も含め、これら城南地区全体の空の広さだった。多摩川があり、緑道があり、少し高いところから見渡せば、もう大きな街はない。あとは羽田が見えるのみだ。風向きによっては、ときに潮の香りが漂うこともあり、ああ、ここはもう都会のど真ん中からは脱しているのだなと、開放感を味わうことができた。真夏の気温だって、中野よりはたぶん1〜2℃低い。

 加えて、神奈川県方面へのアクセスもよい。一人でみなとみらい線に乗るのは今も少々苦手ではあるが、休日になると、私と夫は渋谷や新宿ではなく、好んで横浜に出かけた。横浜は、東京から最も近い旅の地なのだ。横浜駅周辺で特に欲しいものが見つからなかったとしても、みなとみらいへ行って、海の近くでごはんを食べて帰れば、なんだかその日は気分よく締められた。武蔵小杉や横浜でJRに乗り換えることで、私はパニック障害を抱えながらも、下り電車に揺られて鎌倉や逗子へひとりで遊びに行くこともできた。「ここなら自力で外の世界へ出られる」という住まいの条件が、海育ちの私の心をどれだけ救ったことか。もしどこへ行くにも、一度新宿や渋谷に出るしかない場所に住んでいたらと思うと、ぞっとする。これは、多少なりとも人混みが苦手な人ならば共通する感覚だろう。

マンションの3階の窓からは羽田に着陸しようとする飛行機が見えた

日々洗足池。意外と坂はない

 大岡山に関しては、鉄道と駅前の利便性だけに救われたわけではない。マンションは駅から徒歩2〜3分だったが、近くに幹線道路もないため至って静かで、夜更けに時折電車の音がコトリコトリと聞こえるだけで、恐ろしく静かだった。

 先に書いた駅前の東工大キャンパスは、大学=聖域らしいのびのびとした空気だけではなく、物理的にもひたすらのびのびしていた。キャンパス内を椿や金木犀を見ながら歩けば、いつの間にか自由が丘に着いてしまう。
 職に就くこともできず、運動不足で不眠に悩んでいた頃は、毎日駅とは反対側の洗足池方面へひたすら歩いたり走ったりしていた。洗足池は実に不思議な場所で、緑が鬱蒼と茂っているのに、陰気だったためしがない。雪でも、曇っていても、夜でも、水が濁っていても、いつも風通しがよく、時にきらきらと輝き、時に幽玄な表情を見せる。しばしば枝にカワセミがとまり、湿原のような木道には菖蒲が咲き、季節の変わり目には突如彼岸花が現れた。私は右回り- 千束八幡神社から太鼓橋を渡って図書館へ行ったり、左回り-半夏生の茂る小さな流れや池に突き出したデッキを経由してモスバーガーへ行ったりした。これらの散歩コースのおかげで、私と夫は都市機能がストップしかかったコロナ禍のピーク時でも、在宅勤務の合間にあちこち歩いて至って楽しく暮らしていたのである。
 ちなみに、大岡山はその地名から坂の町だと思われているが、南北に伸びる主要なエリアにはほとんど坂がない。東西に住宅街を横移動する際には坂が多いが、駅南北の商圏や洗足池方面にはほぼアップダウンがなく、電動アシスト自転車がなくてもじゅうぶん暮らせる。これはあまり知られていないことかもしれない。

引っ越す理由が見つからない

 毎年桜の季節になると、東急ストアの帰りに、東工大キャンパスに入って開花具合を見に行く。入学パンフレットのような見事な光景や、大岡山ゲレンデを犬っころや子どもたちが転がる様子を見ながら、「もう大岡山に住んで十何年たってしまった…」と毎度焦りのようなものがやってきた。このままでは実家で過ごした年数を超えてしまいかねない。子どもがいない私にとっては、大岡山に住み続けることが、ライフステージの変わり映えのなさを象徴するかのようで、どこか切なさもあった。
 が、ある時、蒲田と雑色の間に住んでいる友人が大岡山に遊びに来た際、北口商店街をぷらぷら歩きながら私にこう言った。「ここに住んでたら引っ越す理由ないですよ」。

パン屋激戦区大岡山。ここは自宅から徒歩1分だった

 かくして、私は夫が海外赴任するまでの16年間、大岡山に暮らし続けた。部屋は45平米程度で、猫2匹も迎え入れるとかなり手狭にはなっていたが、大岡山より心身の負担なく暮らせる町が、東京の中では他にまったく思いつかなかった。それは現在も同じだ。
 東京で、人に優しい利便性を保ちつつ、なおかつ環境も悪くない町はどこだろう。18歳で上京し、東京のいろいろな町に住み、さまざまな町を訪れたが、ベストはどこか。大岡山である。大岡山一択である。住んでいたからひいきするわけではない。友人知人が住んでいるいろいろな町を思い浮かべたとて、やはり大岡山に勝る町はないと思うのだ。

注意:文化系呑んべえは住んではいけない

 ただ、唯一にして大きな難点があるとしたら、「文化的な面白味の少なさ」であろう。面白味の塊のような中央線沿線から引っ越してきた結婚当初の私にとっては、この点をなかなか受け入れることができなかった。学生街だというのに書店がない。学生が集うような喫茶店もない。「ここへ行ったら界隈の面白い人たちに出会える」というスポットが何もないのだ。
 また、完全下戸の私たち夫婦にはあてはまらないが、お酒を飲む人にとってみれば、人との出会いがあるようなバーや飲み屋もないため大岡山はおすすめしない。大前提としてここは文教地区で、数少ない居酒屋は、おそらく東工大生や大学職員たちのコンパに使われるくらいである。

 近年、大岡山北口商店街の脇道には、垢抜けた雑貨屋などもできている。が、いずれも取り扱う商品の価格帯が高く、気軽に立ち寄って店員と顔見知りになれるような場所とは言い難い。荻窪のtitleや下北沢のB&B、神楽坂のかもめブックスのような書店が1軒あれば、そこを発信地に町の空気はガラっと変わるのだが、残念ながら地主がやたら強く安定第一の城南エリアにおいては、隣町の自由が丘ですらそのようなスポットの発生は望めそうにない。古き良き喫茶店もあるにはあるが、常連のマダムがカウンターを陣取っていて、学生が読書したり議論できるような空気の店はまったくない。このあたり、やはり大学のある町とはいえ、理系大学特有の現象かもしれない。よって、「都市に暮らすとは文化的な面白味を最大限享受することなり」、と考えている人にとっては、大岡山に住む選択は間違いといってよい。

 とはいえ、もともと文系の煮凝りのような高田馬場界隈からやってきた私は、同族嫌悪に苛まれたり、かつての自分を思い出し穴に入りたくなるような気持ちになるはずもない理系エリートたちを眺めて過ごして暮らすことで、のちに救われたのかもしれない。すでに東京に積極的に暮らしているわけではないし、この地で何を狩猟する気もない。結婚し、時間を好きに使えなくなり、病気になり、いくつものことを諦め、いくつもの夢も終わり、どこまでも生活者となり、東京時代の盛りを超え晩秋にさしかかった私にとって、大岡山は、東京で最も心をすり減らさずに暮らすことができる、明るく美しい丘の町だった。この丘の上でなら、なんとか水の中から空に顔を出して、呼吸をすることができたのだから。

若さゆえの雪像の跡が残る大岡山ゲレンデ

いいなと思ったら応援しよう!