cafefullofwords_website_archives
24〜30歳くらいまでのこと。
2000年ごろに原始的なかたちではじめた「個人HP」。最初は日記を書くだけだったのが、いつの間にか個人的に訪ねたカフェのまとめが生まれ、その後デザイナーの知人が手を入れてくれたことで、まあまあの人気カフェサイトのようなものに成長しました。
(archiveと冠しつつ、いま私の手元には数台のMacBookからデータの移動を重ねたhtmlファイルがあるだけなので、スクショをサンプルとして貼るにとどめますね)
アクセスカウンターがぐんと伸びたのは、池袋コミュニティカレッジで行われていた伝説のカフェ講座「ぼくの叔父さんの初心者のための喫茶店学(カフェロジィ)入門」のレポートを書くようになってからだと記憶しています。
その後、ためしに好きなカフェに関する短文を綴った豆本(ただの冊子だとつまらないなと思っただけで、豆本である必然性は皆無でした)を発行し、郵便小為替で販売したところ、合計5号、トータル数百冊を売り上げることに。一人暮らしの部屋のポストに、たくさんの見知らぬ人から封書が届き、出版社勤務の傍ら自宅のプリンタを酷使し、カッターで切り、のりで貼る日々を送りました。いくつかの書店やカフェ、雑貨屋さんからも取り扱いたいと声をかけられたり、取材される側になったりというミラクルも同時にいくつも起きました。
間違いなく、自分の人生に一番追い風が吹いていた時です。
カフェでの豆本展に参加して、巡回したことも。
そうこうしているうちに、「喫茶店学」で出会った友人たちと、実際に一日カフェのような、イベントのようなものを実施するまでになりました。
2004年に私が永井宏さんのワークショップに通うようになってからは、ポエトリーリーディングのライブなども行いました。でもこの頃はもう、末期ですね。
個人サイトらしく、普通の旅行記や日記もずっと続けて書いていました。実はこちらのほうが熱心な読者が多かったような気がします。青臭くていまは読むに耐えませんが、英国と、はじめてひとりで旅した沖縄の印象は鮮烈で、その後に大きく影響を与えた経験となりました(この8年後にまさか自分が飛行機に乗れなくなるとは夢にも思っていませんでした)。
最後の更新は2007年。翌年私は結婚しました。
これだけそこそこ幅広く、多くの人に愛読してもらって、なぜこの先の段階に進めなかったのか。何か仕事に生かせたのではないか。
ブログやSNSの台頭。余裕のない一人暮らしで新しい仕事にチャレンジできなかったこと。野心と積極性が足りなかったこと。心も身体も圧倒的にタフさが足りなかったこと。意地が悪くひねくれていたこと。などなどさまざまな理由が考えられますが、結局のところ、世間知らずで子供だったのだろうなと思います。
仕事とはなにか。何のために仕事するのか。何のために表現するのか。たとえ見つからなかったとしても、それを真剣に考えたことがなかったし、自分以外の何かに還元したり貢献したりなどということにわずかにも想いを寄せることもありませんでした。すべての動機がただただ、「わたしを、わかってほしい」一心だったように思います。
とはいえ、2000年代の大半、大切な人生のうちの20代の大半、私が情熱を注いだのはまぎれもなくこれらのことでした。40代の今、このようなことをしていた過去の自分とその顛末から、人生の後半、どうするかを考えているところです。
(恥ずかしいですねー)
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