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2010年〜2011年

2010年2月よりtwitter開始。
発症直後と、震災と猫。
つらくて当然のなか、まだ希望もあって健気にがんばっていた。
当時はよく引用RTをしていました。
いやいやあなた、そんなに早くよくならないし。
それ、わかった気になってるだけだし。
これ今とまったく変わっていないな。
あれっ、過去の自分、いいこと言ってるな。
うわ「オット」とか「なう」とか恥ずかしいな。
えっ、そんなことあった? そんないい話あった? 
お母さんそんなこと言ってた?
それにしても、膨大につぶやいています。

2011年12月31日
還暦すぎた母がレディーガガの衣装を「あら今日は普通やね」なんて言うようになった2011年でした。
2011年12月24日
小山田くん、ギタリストでもあるのに、普段から結婚指輪ちゃんとしてるのに驚き(演奏本番では外してると思うけど)。この人ほど、いい夫、いいパパになったのが意外な人はいないなあ。
2011年12月23日
「私、食べるのが好きなんです」ってのがよくわからない。
2011年12月18日
昔、酒の勢いで告白してきた男に激怒して説教したことがある。
2011年12月8日
99年ごろの坂本慎太郎って、むちゃくちゃエロくてかわいくて切ない、いかす恋をたくさんしてたんだろうなって気がします。
2011年11月21日
猫の表情を見ていると、人間ほど複雑なことを考えていないということがにわかには信じがたいなあ。
2011年11月19日
ガチガチになって名古屋駅ホームで新幹線をまってたら、まさかのドクターイエローが入ってきた!ちびっこ大騒ぎでホーム激走。速い電車って、うれしいものなんだと思ったらほっとして泣けてきた。限りなくのぞみに近いひかり、きっと乗れると思う。ありがとう、ドクターイエロー。もう怖くないよ。
2011年11月11日
はこちゃんのまわりに「ほこ」「ほこ」という文字が見えます。
2011年11月3日
://////_l。。。。。。
以上、はこちゃんのツイートでした。
2011年10月16日
はこちゃんはとっても顔が小さくて耳が大きくて足が長くてしっぽも長くて美しいのだけど、柄のせいで誰も気づかないんだね。
2011年10月2日
ブログ2日連続で更新しましたのん。「「アトムより」に関する幾つかの考察、そして人生最高の日についての話
なんでラーメンズ歴半年でこんな長文を書いちゃうのだ私、だってここ何日かうんうん考えてたんだもん書きたかったんだもん…。
2011年9月29日
今朝はこちゃんが、ごろり、びよんと伸びた勢いでベッドから落ちた。すると3秒後大急ぎでベッド下からまわりこんで上に戻って、「何かありましたか?」という顔をしていた。猫は見栄を張る生き物だと思った。
2011年9月27日
私はカーディガンの星にうまれたので、ジャケットの着方と買い方がわかりません。
2011年9月21日
はこちゃんが窓ガラスに流れる雨粒を楽しそうに見ている
2011年9月20日
週3日くらいで編集の仕事、ないかな 笑
2011年9月12日
「怖い」と思った自分を瞬時に軽蔑した、その思考を自覚する。怖かったんだね、そんな自分がいやだと思っちゃったんだね。よしよし。と感情を認めてあげる。治る人と治らない人の違いば、それができるかどうか、らしい。
2011年9月8日
私の椅子の前面を窓に向けて、その上から外を見るはこさん。オットはこの様子を「ロマンスカーする」とよんでいた。

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2011年9月5日
数日前からはこちゃんが、洗面所のタオル置き場にしている棚の上の、カゴとカゴの間のすきまで寝るようになった。薄暗くて快適なんだろうか。本人が気に入ってるんだからしょうがない。

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2011年8月25日
最後の50音アナグラムは、もしかしたら「うるう人」のよりはるかにすごいんじゃないかということに今気づく。だって50音アナグラムによって50音アナグラムの本質を表現したってことでしょ?ループ…(ばた
2011年8月24日
何かに傾倒して、ふと恥ずかしくなって卒業したくてもできなくて、心の底でずっと好きでいて、そうやって好きなものが増えていく。人生てそんなもんさ。
2011年8月19日
はこさんは雷にも掃除機にもドライヤーにも動じない。知らない人が来てもマイペース。ついでに1歳未満でも粗相は一切しないし、人に爪を立てることも皆無。もしやお前はたいした猫なのではないか?
2011年8月14日
高野寛さんの「美しい夜」という曲は、1年のうちでお盆前後3日間くらいが一番似合うので、夕方から夜にぜひ聴いてください。
2011年8月11日
今週は夫の帰りが遅い。結婚して一年半くらいはずっとこうだったのを思い出す。一緒に食べることのない食事を二人分作って、ひとりで寝た。私もけっこう働いてたけど、家事は私が全部やる。不自由なのに寂しい。私は徐々に心身の調子を崩しはじめた。(これだけが理由ではないけれど)
2011年8月5日
朝にも地震があったので、はこちゃんは結局3時頃からベッドの下にもぐったままだった。根気よく呼び続けると、安心したように「にゃ〜」と言いながら外へはい出してくる。(人が呼ばないといつまでももぐっている…)
2011年8月1日
紫のバラの人が、47巻でスマートフォンを使っていたという事実に動揺している。
2011年7月30日
そこに暮らして、嫌な思いもいい思いも積み重ねた場所のことを自分の「田舎」とか「地元」というんだと思う。時々遊びに行くだけのところは…ね。
2011年7月29日
こないだの帰省の最後の日、ヒマで仕方ないのでわざわざ金沢駅に行って、ふだん買わないような「ぶどうの木」のケーキを買って、家のダイニングで両親と3人でちょびちょび食べた。たったそれだけのことが、私にとっては年に一度あるかないかの貴重な時間だということはわかっていた。
2011年7月25日
「私、自分ひとりじゃ間違っちゃうから、何やって生きてったらいいと思うか教えて」と夫にきいたら、「どっか洋裁学校で縫い物習ったら?」っていわれた。悪くない、と思った。今の世界がまったく変わってしまっても根源的に必要なことのひとつだから。
2011年7月21日
実家にいて思い出すのは、フリッパーズギターが死ぬほど大好きで、お洋服が死ぬほど好きだった15歳の自分だ。あれは光のかたまりだったと本当に思う。弾丸のようだった。美しかった。
2011年7月15日
はこちゃんが、はらへったーと言いながらごはんを目の前にしても食べるのを躊躇していることがある。頭を撫でてやると食べ始める。飼い主に似て、なかなかめんどくさい性格です。
2011年7月15日
大学の時好きだった男の子がイノッチに似ていた。当時から似ていると言われてた。三年生の夏休み明けにいきなり金髪にしてきたのでなぜかと尋ねたら、「トム・ヨークになりたくて」とのことだった。案の定似合わなかった。
2011年7月13日
あつくて死にそうな時は佐々木麻美子時代の死にそうなピチカートファイブが聴きたくなります。
2011年6月30日
近くの喫茶店の前に「気分悪くなったかたへ 氷水あります どうぞ」の張り紙。あの日から東京はこんなふうにも変わったのかもしれない。
2011年6月24日
久しぶりにミシンをいじってみる。慣れないことをして思うのは、続けているうちにちょっとしたコツをおさえてきたことのかけがえのなさ。そうでないものとのギャップ。今の私には布と糸とミシンのちょっとしたニュアンスがわからんし、簡単なことに気づくのにも何年もかかるのだ。
2011年6月23日
今の病気になって、もうこの世界を面白がるなんてできないと絶望している時に、いくらでも面白いことがころがってるよって、教えてくれたのがラーメンズであり小林賢太郎さんだったんです。ほっといて。
2011年6月21日
あれから100日と少し。たどり着けなかった場所、会えなかった人に会いに行く。この国に少しは笑顔が戻ったんだろうか。私は少しはましになったんだろうか。今夜は夫と一緒。小林賢太郎、3月11日の振替公演。愛すべきものごとについて思い、あの日のチケットを持って天王洲に集まる
2011年6月12日
私がこれまで生きてきて一番言われてうれしかった言葉。元上司からの「僕はマトさんの病気についてはよくわかってないと思います。でもマトさんがマトさんであることに変わりはないじゃないですか」
2011年6月10日
知っている誰かが亡くなると、その中で生きていた私もひとつ、消えるということ。
2011年6月9日
St.Jamesを着て、アトリエペネロープのバッグを斜めがけにした男子が、ドラッグストアでコンドームのお得パックを物色しているのを見て軽くへこむ。
2011年6月5日
ボンベイバザールはいつ来てもすいてて、肩の力がぬけてていいのう。ここに来ると、波照間島のカフェ、パナヌファを思い出す。東京も緑もりもりね。
2011年5月30日
遅ればせながら、猫の名前は(たぶん、いつのまにか)「はこ」に決定しました。箱。葉子。箱から出てこないのと、大好きなrahmensの箱(rahmen=ドイツ語で箱)と、なんとなく語感で呼びやすかったので。
2011年5月26日
3.11にポツネンを観に行けなくなった時に、今まで当たり前だと思っていた「今夜の予定」や「明日会う人」が、当たり前ではないのだとはっきりと感じた。
2011年5月18日
今都内某所のドトールにいるのだけど、私のすぐそばに座ってる人が、たぶん明和電機の人なんだよねどうしよー。なんか達者な絵コンテみたいの書いてるんですけど、、、
2011年5月15日
さんざん迷ったあげく、サビ猫さんの里親になること決定。推定8ヶ月メス。保護施設では「ヴィヴィ」と呼ばれていたが、夫がつけた仮名は「ガンジー」…女の子だぞ。
2011年5月8日
震災の日まで、自分の動悸が気になって仕方なかった。なんともないと分かっていながらも循環器内科へ行き、「まあ、自律神経じゃないですか」と医師に言われた3時間後に地震が起きた。以来、動悸のことはすっかり忘れた。
2011年5月1日
「高松までこだまで」と言うと、案の定みどりの窓口ね人に「こだまでいいんですか?」と三回くらい聞かれる。
2011年4月28日
こないだ東京タワーの近くを通ったら、まだ先っぽが曲がっていた。今直しているのか。不都合がなければ、残しておくのもありかもと少し思った。
2011年4月28日
ゆうべは低気圧で撃沈した。こんな時はヘクトパスカルではなくミリバールと低音で発声したい。
2011年4月16日
そういや、結婚したばかりでテンパってた時、永井さんから「家事はね、冷蔵庫の中だけきれいにしておけばいい」という謎のアドバイスを受けたことがある。今でもそれは守ってます。
2011年4月16日
永井さん、最後のワークショップの帰りに「ラーメン食べたい」って言ってたんだけど、等々力周辺にラーメンやさん思い当たらなくて、そのまま解散しちゃったんだな。震災の前の夜。さいごらへん食欲減ってたみたいだけど、あれからラーメン食べられたのかな?一緒に食べに行きたかった。
2011年4月14日
明日、生まれてはじめて三浦半島の突端へ向かう。ものすごく朝早いからそろそろ寝なくては。最近全然眠れていない。それにしても、愉快すぎるメンツが揃うに違いないのに、真ん中でギター弾いて歌ういつもの人が眠ってるって不思議なものだ。
2011年4月12日
師が亡くなりました。少し静かに過ごそうと思います。
2011年4月11日
1000年前にも京都で同じくらいの地震があって、3ヶ月間毎日揺れつづけたと記録にあるんだって。
2011年4月7日
この震災を境に、やさしさから脱落して、戻ってきた人と、戻ってこれない人がいる。私は戻ってきた人が好き。または最初から脱落しなかった人を信頼する。穏やかだった人がいきなり運動家みたいになる、その激しさが一番怖い。
2011年4月4日
「私がもし事故や災害にあったら、上の4番目の歯が欠損しているのですぐ身元がわかるだろうな。」これを地震の5時間前につぶやいていた私…!
2011年4月4日
40歳くらいから何か始められたらねー。神様から子育て免除されてるようなもんだし。
2011年4月4日
何をやっていいかわからない日々だから、自分らしくないとしても資格を取るための勉強をはじめることにした。セーフティーネットを張ってから好きなことをしようと思う。今までと違う生き方だけれど、もうとっくに目に見える世界なんて一変してしまってるんだもの。
2011年3月29日
ゆうべ、棺やご遺体がいっぱい写った写真を見た。一部、お顔も少し確認できた。東京でテレビを見ていると、生き残った人を中心に考えてしまうのは当然のこと。でもその復興のそばに、おびただしい数の亡骸があることは、知っておいてよかったと思う。とても静かな気持ちになった。
2011年3月23日
一度は行こうときめた仕事だけど、やっぱり今日休んでしまった、、余震の中外に出られないところに行くの怖い。
2011年3月20日
今は報道ムードなテレビも、そろそろ災害の映像を編集してBGMつけはじめる。各自心を守るのはこれからも続く。
2011年3月14日
一人暮らしの人の心に平安がありますように。なるべく誰かといっしょにいられますように。
2011年3月11日
私は無事です。食器は割れたし本棚はとびだしたけど、近所の人がずっと私を抱きかかえていてくれました。
2011年3月10日
少し前に、茨城の海岸で大量にクジラが座礁しちゃったとか。この現象、NZでも起こっていて、その直後に大地震が。磁場の変動で方向感覚失っちゃうらしい。だから東京に来るんじゃないかとここ数日ビクビクしてたのだけれど、少し北にずれたのね。
2011年3月3日
ぜったいカゴに入れたと思ったんだけどな?きのこ2割引きだったし。おかしいなあ。冷凍室で凍ってないか調べたけどなかった。数日後へんなところから出てきませんように。きのこなくしました!
2011年2月15日
夫が35歳目前にして、あたたかいお茶を飲み始めた。
2011年2月8日
服をいくらでも買える環境にいると、人っておしゃれになれないと思う。
2011年2月6日
昨日、前の職場のボスにもらったのは、ルイボスティーとノンカフェインのアールグレイ。「マトさんのことだから、デカフェならもう家にあるかなと思って」と。わーい、と思っていたがさっき風呂の中でふと気づく。私、カフェインがダメになったなんて彼に一言も告げてないはず。調べてくれていたんだ。
2011年2月6日
タンバリンギャラリーの「MUSIC MAGAZINE展」へ。展示のお手伝いをしていたとおぼしき女性に「あの、モデルさんとかされてますか?どこかでお見かけした気が」と声をかけられる。新手の絵の売り方かもしれんがとりあえず喜んどいたYO!
2011年1月26日
心にも体にも自浄作用があって、焦ったり、力んだりしなければ、本来はそんなに時間はかからないものなのかもしれないと思う。
2011年1月25日
昔、わりと好きだった上司が、バタバタでみんな死にそうになっている校了日直前に「僕、機械じゃないからできません」と発言し、私はけっこう尊敬した。
2011年1月25日
女の人は、大人になったら結婚して子どもがほしくなって家事をするのが当たり前、っていうメンタリティになるものなのかなと思っていたけれど、どうも自分はそうならない予感がしていて、で、実際にならなかった。
2011年1月22日
オットが借りてきたラーメンズのDVDを見る。「銀河鉄道の夜のような夜」で揺さぶられる。大学の時、1年間、あの悲しくて美しい話にどっぷり取り組んだことがあったから。この人たちって、お笑いとは少し違うんだね。だってこれ、笑えはしなかったもの。でも素敵でした。
2011年1月16日
instagramというので画像をUPしている人が最近多いけれど、なんでなんだろう。何かのアプリと連動しているのかな。正直、twitpicなんかより何かと見づらいので(特に携帯では)、ついつい見ないままのことが多い。
2011年1月8日
デブに甘く ハゲに厳しい わが夫 
2011年1月4日
しんどい時は、姉から送られてきた生後10日の赤子の写真を見る。人は本来すこやかなものなのだ。と思えてくる。まだまだお腹の中にいる予定だった赤子は、外に出てきても非常に大人しく、風呂に入るとふわーっと気持ち良さそうにしているらしい。
2011年1月4日
お弁当箱におかずをつめてもつめても隙間がなくならない。お弁当箱のサイズを変えても、おにぎりを中に入れてみても埋まらない。という夢で目が覚めた。悪夢でした。
2010年12月31日
新富士通過なう。これだけ大きな富士山がでーんとそびえるところに生きてきた人たちは、太陽とか海とかと同じように、この世には富士山があるものとして生きてきたんだろうな。
2010年12月30日
父から「来年こそはいい年になればいいですね」とメールが来た。他者から見てもとんでもなくつらい年というのはかえってすがすがしいものだ。さよなら。人生でいちばんつらかった2010年。
 2010年12月29日
ブルキナファソ、という単語が3日ほど前から時々ぽっと頭に浮かんでいたのだけれど、人の名前か、IT用語か、ミラバケッソみたいなものか、まったくわからない。今やっとwikiで調べてみた。西アフリカの小さな国だった。国歌は「ある一夜」。
2010年12月27日
静謐な、モノの少ない、美意識の高いカフェにあまり興味がなくて。やっぱりますます好きなのは、ディモンシュとか、カルマとか、店が歴史を刻む中で、オーナーがもはやコントロールできない空気のうねりができて、時にしずんだり浮いたり変わったりしながら、町の風景になっていった空間なんだ。
2010年12月25日
誰もあなたが自分の人生を生きることを止めたりしていないんです。自由に生きていいんですよ。それをこれから考えていきましょう。ストーリーは都合良く作っていけばいいのだから。きのうカウンセラーさんに言われたことば。
2010年12月24日
今夜貴金属がもらえるのはみんな愛人ですよね?
2010年12月20日
アサリがぜんぜん砂を吐き出してくれない。徐々に塩を追加したのがいけなかったのかな。おまえのふるさとの海はどれだけしょっぱいんだい。
2010年12月16日
解凍したイカもふたたび凍る夜。
2010年12月8日
そういや昨日、アメリカ人のオタク青年っぽい人が「いつもお世話になってるから〜」と怪しい日本語で大きなシュークリームをくれたので、ありがたくいただいた。後で同僚に聞いたら、あれが社長だった。
2010年12月4日
ヨガをしながら、ちょっとツイッターやネットの使い方を見直したいと思った。友人知人の言葉を読むのは大好きなんだけど、リンク先やリツイートまでまともに読んでいると頭の中から何かできる隙間がなくなってしまう。調べたい情報以外なるべく見ない。いつまで続くかわかんないけど。
2010年12月3日
生物がみんな水や空気がないと生きられないと思ったら大間違いで。それは地球人の思い込みで、地球外には放射能を食って生きる生物だっているかもしれないぜ。と、私はずっと思っていました。と、今さら言う。
2010年11月27日
今はなき、渋谷の喫茶店「3・4」(sun sea)に行きたいなあ。でっかい猫がテーブルにのぼってきて、コーヒーのミルクをべろべろって全部飲んでっちゃうの。
2010年11月24日
ちょっとお茶を習いたいなあと思っている。じっとしているのが苦手な自分には、なんかすごくいい気がするのだ。
2010年11月23日
仕事や遊びに出かけて、18時あたりに帰宅したら、私はもう夕飯を作りません。PDになる前からそうです。疲れてイライラするので作りません。買うか外で食べます。子供がいたらそうもいかないんだろうけれど、いないので、私は夕飯作りません。女性だけがそんな大変なんて納得いかないのですよ。
2010年11月23日
ゆうべクウネルの高橋みどりさんレシピで、わかめと卵の炒め物をつくってみた。わかめだけだとボリュームがないのでキャベツも入れて。にんにくとお醤油とごま油でさっと炒めるだけ。やたらおいしかった。キャベツが甘くてもりもり食べた。また作ろう。
2010年11月17日
本当に人って世界にフィルターをかけて見ているのが当たり前で、今幸せなのか、自殺したいくらい不幸なのかっていうのは、個々の受容体次第なんだと思う。現実には、ただ起こっていることが目の前にあるだけ。それを知っているだけでもたぶん私は大丈夫。波が来てしまったら静かに去るのを待つだけ。
2010年11月8日
姉から、もうじき生まれてくる子(女のはず)の名前がきまらない、何かないかとメールが来た。いろいろ考えて返信したが、念のため夫にも意見を仰いでみたところ、返ってきたのは「くもみ」。
2010年10月28日
【カウンセリングまとめ】繊細な体を強靭な意思でコントロールしてきたのが、体が自分から表現するようになったのが今の状態。コントロールマニアをやめて流れに身をまかせる。今回仕事を始めたのと同様、本当に限界が来たら動くであろう自分を信じる。自分のやりたいようにすれば成功体験になる。
2010年10月25日
今年に入ってからずっと思っていること。自分からはなすすべもような季節が訪れたら、ひたすら誰かや何かのファンでいるのがいいと思う。結局それしかないんだとも。純粋に何かのファンであるってことは、大人になると意外と難しいから、その気持ちは尊重しすぎてもいい。

2010年10月22日
前の職場のボスに「軽めの社会復帰をしました」の報告メールをしたら、返事もそこそこに「ボイエンシーすばらしいっすね」の返事がきた。こういう人のもとで働いてた縁を大事にしたいんだが、どうやってしたらいいのかわからない。
2010年10月16日
都内に暮らしながら、スカイツリーをはじめて見ました。遠近感が狂って大きさがよくわかんない。

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2010年10月7日
はじめて香港の空港に降り立った夜更け、ぴかぴかの地下鉄のホームに見慣れぬ漢字が踊っているのを見て、「また来ようねえ」と言った。帰り際にそう強く思うことが、着いた瞬間にわかったから。一瞬ですべてを好きになった。
2010年10月3日
「今日は今日、だめだっただけ。働いたら、働けてうれしいと思うかもしれないよ。」と母が言ってた。この人は時々、誰よりも的確に人を励ますことを言うので驚く。
2010年9月20日
高山なおみさんの「帰ってからおなかがすいても〜」をだいぶ前から読んでいるが、いつまでたっても読みすすめられない。どうしても途中で不安になったり気分が悪くなったりしてしまうのだ。この人の書く不安定さが、自分の脳内とすごく似ているんだと思う。
2010年9月9日
うちの近くに「ムーミン」というクリーニングやさんがあります。店主の名前は谷さんで、郵便ポストには「ムーミン谷」と書いてあります。
2010年9月8日
母がめずらしくお米といっしょに森八の和菓子を送ってきた。「脳の疲れには甘いものがいいと思って」。泣いた。
2010年8月31日
母に電話をして顔じゅうがぐちゃぐちゃになるまで泣く。母は、パニック障害の人間にとってこの暑さと日照りがどれだけ恐怖かを、きちんと調べて知っていてくれた。もう少し近ければ、とんでいってあげるのに。どうか持ちこたえてほしいといつも祈っている、と。
2010年8月30日
結婚と結婚式と新婚旅行ができただけでもよかったじゃないか。と思ってちょっと泣く。もう少し発症が早かったら、たぶんどれもできなかった。すべてが奇跡なのだと思う。
2010年8月26日
壁新聞みたいのが作りたい。第一特集はあんみつ。
2010年8月12日
7月25日の風と8月10日の風をかぎわけられるということ。
2010年8月11日
「ドトール」をキーワードにツイートを読むと、みんなのいろんなドトール模様があって楽しい。これぞカフェなのだ。
2010年7月12日
モノレールから見た雨上がりの夕暮れの空。母が「大丈夫」と強引に言うので快速に乗ってしまってびびりながらずっと窓の外を見ていた。こんなにも美しくて怖いという感情が一緒に訪れるとは、何なのだろう。不思議な脳になったものだ。
2010年7月11日
父が最後に風呂掃除までしてくれて、金沢への帰途につきました。おかげでちょっと落ち着きました。マーマーマガジンのイベント、行きたかったけど、やっぱり無理はしないことにする。風邪ぎみ。今日はケコちゃんがうちに泊まってくれます。要介護の33歳女子です。

※夫が虫垂炎で緊急入院し、私自身も闘病中のため、いろいろな人の力を借りました。

2010年6月22日
子どもの頃、30度越えの特別暑い日の午後だけ、母が「今日はクーラー入れっか」といって食堂の冷房を入れてくれた。いつも開けっぱなしのありとあらゆるドアや窓ががらりと閉められると、夏休みの宿題を持っていそいそと兄妹3人でテーブルに集まる。夕飯までのわずかな時間。
2010年6月18日
天啓のようにやってくる「そうか!そういうことか!こうすればいいんだ!」っていうひらめきは、疑ってかかったほうがいい。と、認知行動療法の先生。確かにそうだよねと思う。楽だもの。
2010年6月16日
枕草子の中に、「どんなに嫌なことがあっても、きれいな紙と筆が手に入ったら、もう少し生きていこう、という気になる」という一節がある。紙なんかいくらでもあるのはもちろん、こうしていつでも自分の思いを書いて吐き出せる今との重みの違いよ。きれいな紙に書く。ちょっといいかも。
2010年6月8日
全盛期のオザケンのDVDを久しぶりに見ていて、あれ、この人誰かに似ている…と思ったら、4歳の甥っ子に似ているのだった。髪とか歯とか。この頃甥っ子はどこにいたのかねえ。空かな。姉夫婦の結婚式の写真を見ながら「僕はこの時、となりの部屋で待ってたよ」と、不思議なことを言っていた。
2010年5月7日
身体が疲れすぎて眠れないのでもない。不思議なことに疲れも腰痛もすっかりない。この時が止まったような街並みと、古代と変わらない森と、無数の鹿の目のせいか。奈良はどこか浮いている。
2010年4月5日
人間の「ひと晩寝たら治る」って能力はすごいと思う。
2010年4月1日
アノニマスタジオから出ている「こころのヨーガ」著者、赤根先生のヨガレッスンを、とあるお寺で受けてきた。あのシンプルな素晴らしい文章は、彼女がいつか本にしたいと書きためていた原稿で、編集者の手はまったく入ってないんだそうだ。すごすぎる。
2010年3月26日
こないだ情熱大陸で見て気になっていたスタイリストさんに、青山スパイラル付近で遭遇。相手を気にしただけでこんなに簡単に会えるものだろうか。いつもそうだったら恋は苦労しないね。
2010年2月20日
はじめてみた。今おなかいたい。

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