大停電の夜に〜cero、やさしい河口の音楽
その日私は朝から緊張していた。
今日の帰りは遅くなる。やっぱり雨は避けられないか。トースターを余熱していると、あの、おそろしい音が鳴った。私はいちもくさんに玄関に走ってドアを開けた。
7年前のあの日から、私はあの音を聞くたびに、全速力で玄関に向かうようになった。建物が打撃を受けると玄関が開かなくなることがある。だからなるべく早く逃げ道を確保せよ、と防災の本には書いてある。が、実際は、一人で家にいるのが怖い、ほかの人の気配を知りたい、そして屋外に逃げたい、という思いだった。7年前のあの日も私は一人で自宅におり、その後数時間をマンションの中庭兼駐車場でほかの住人たちと励ましあって過ごした。3月の寒い日にコートも着ていなかったはずだが、不思議と寒さはひとつも感じなかった。駐車場のコンクリートは液体のように何度も波打って恐ろしかったが、築50年近いマンションの3階にひとりでいるよりははるかに安心だった。
しかしこの日、我が家の吊り戸棚はわずかにも揺れなかった。ようやくテレビに目を向けると、そのアラートは関西地方に向けたものだった。大阪。朝8時。停電はあまり起きていないようだったが、あちこちで水道やガスが通じなくなっており、関西においては今日は日常が送れないのだろうということがわかってきた。ブロック塀が崩れて女の子が亡くなったという、あまりに悲しいニュースを聞いてから外へ出た。東京は日常だ。当然電車も動いている。日常を生きなければ。
そしてなぜか、今日も湾岸へ行く日だった。7年前のあの日、私はりんかい線に乗って天王洲アイルに小林賢太郎のソロ公演「POTSUNEN」を観るために出かける準備をしていたのだった。揺れた後もしばらく、「今日の公演あるのかな…」とネットをチェックしていたのだから案外呑気なものだった。しかしその日、天王洲に閉じ込められた演者たちは、燃え盛る対岸の工場地帯を恐怖の中で眺め続けていたと翌日知った。
2年前熊本が揺れた次の日は、お台場のZepp Diver CityにLove Jam(Original love主催のフェス。ペトロールズとceroが出た)を観に行った。遠征する予定だったが来れなくなった人もいるのだろうなと胸が痛んだ。友人と一緒に久しぶりのゆりかもめに、緊張して乗った。そして悲しいことに、その翌日に本震がやってきた。
今日はceroの「Poly Life Multi Soul」ツアーのファイナルだった。仕事の後、りんかい線でZepp Diver Cityへ向かう予定だ。職場からはものの15分と近い。しかしりんかい線の天王洲アイル〜東京テレポート間が苦手だ。まず、わりと長い。そして、まっくら。地図を脳内に思い描けば、ここは天王洲の河口を通り越し、海底なのだった。海底トンネルを、日常的に200円くらいで走るなんて異常だ。東京は異常な都市だ! (香港だってそうだけど)もしこんなところで地震が起きて途中で止まってしまったらどうなる。海の底だぞ。私の症状(病気)は、「だってよくよく考えたらなんで飛行機って飛ぶの?」みたいなことをまともに考えてしまうやつだ。だから、なんとなく続くと思っていた日常が揺さぶられるととても怖い。
と同時に、当然楽しみでもあった。このアルバムの高揚感は凄まじいものがある。『Poly Life Multi Soul』リリース以降ほとんどこれしか聴いていない。このツアーが大変なことになることは、少し前の六本木ヒルズアリーナで行われたフリーライブでも垣間見えたし、大阪公演、名古屋公演、そして前日の東京1日目を観た友人知人からも「もう一度あのライブを経験したい」という声が相次いてあがっていた。
夫は明日から海外出張に行くこともありライブへは一人で向かう。一人で行くと私は心置きなくブチ上がってしまう。私はこの日、大げさではなく戦慄していた。どんなに怖くても電車を途中下車することはほとんどなくなったが、久しぶりに私は心臓をバクバクいわせながら、死ぬ気で海底トンネルにつっこんでいった。
私は今日のライブが、「PLMS再現ライブ」でもかまわないと思っていた。アルバムの曲順どおりのセットリストを予測していた。それくらいアルバムの完成度は高かった。もはや過去の曲を挟み込む隙もないだろうと思っていた。だから12曲しかなくてもいい。余った時間はずっと「Poly Life Multi Soul」で繰り返し踊っていればいいと思った。
しかしその予想は3曲目の「Summer Soul」でさっさとはずれ、その後も「薄闇の花」「DRIFTIN'」「遡行」「Double Exposure」という比較的メロウな中盤のパートを作るなど、キャッチーで体温の感じられる構成になっていた。MCで今朝の地震のことに少し触れるかなと思ったがまったくそれはなく、高城荒内は下ネタでキャッキャよろこび、はしもっちゃんはTシャツをめくっておなかをぽりぽり掻いていた。
ceroの2ndアルバム『My Lost City』は明らかすぎるほど東日本大震災以降の都市生活がテーマになっている。当たり前のように続くと思っていた明日が続かないかもしれないこと、今夜のライブが予定通り行われそこに行くことができ、会いたい人に会えること。それは当たり前ではないということを、7年前私も思い知った(私は発病した8年半前に知ったのかもしれない)。彼ら、特に高城晶平が今日、関西方面から来たくても来れなかった人に思いを馳せないわけがないと思ったが、敢えてそこは触れないでいるのだろうな、と思った。
本編も終わりに近づき、「TWNKL」が終わった時、このレゲエのテンポが何かを思い出させるな、と気が付いた。あっ、これはもしかしたら、と思ったら、始まったのは「大停電の夜に」だった。いきなりの最初期の曲は、最新の踊れる曲の流れの中において、そのテンポは意外なほどマッチしていて、必然性すら感じた。
ああ、やっぱり高城くんはちゃんと想っていたんだな、と思った。後で知ったことだけれど、ツアーの他の日、この曲は演奏していなかったそうだ。
外には夜汽車が走っていた
手を振る友達 楽しそう
普通の会話を愛している
手を振る友達 淋しそう
全ての照明が消えて、客席もステージも真っ暗になった。本当に何も見えなかった。きれいでチャーミングな声とギターの音だけが響いていた。
私はその中で安堵感を覚えた。ともにその場で同じ時間を過ごした人たちとの連帯感もあった。ああ、あたたかい闇だなあと思った。そして、私はずっと今日、緊張していたのだな、怖かったんだなと気がついた。涙を抑えることができなかった。たぶんこの闇の中で、私以外にも泣いている人がいる。だって、みんな、まわりが思っているほど大丈夫じゃない。見た目ほど大丈夫じゃない。本当はみんな不安で、けっこうやさしいんだ。闇は涙を隠し、包んでくれる。
実は同様の演出を2010年、小沢健二「ひふみよ」ツアーで経験している。冒頭の「流星ビバップ」から中野サンプラザが完全な闇につつまれて、なんと次の曲になってもまだ完全に闇だった。私はいきなりの演出にパニックを起こした。お願いだここから出して!出口がわからない! 小沢健二はその後ニューヨークの大停電をモチーフに詩を読んだが、2010年の私にはただただ怖かった(そしてその後の小沢健二の活動を私は追わなくなった)。
この7年、日本のあちこちでたくさんの人が怖い思いをした。知らないほうがよかったこともたくさんあったけれど、人はつらい経験によっても繋がることができるのだと知った7年間でもあった。このあたたかい暗闇は、大停電が皆の心の中に実感として宿ったからなのかもしれない。ああ、まさかceroのライブで泣くとは思わなかったよ。だってポリライフマルチソウルなんだぜ。アンコールも予想通り、さながら「Poly Life Multi Soul〜Reprise」でブチ上がって終わった。ここで踊らないのは本当に損だ。
「Poly Life Multi Soul」を聴くたびに(アルバムのことでもあり表題曲のことでもある)、私のまぶたには、たゆたう多摩川の河口がうつる。ところが私ときたらここ何年も、東京を出たい、お山に帰りたいと呻いている。つい先週だって鎌倉まで走って逃げた。もし私が八ヶ岳の麓で暮らしたら、cero聴くかな? 冬眠中のヤマネのことを考えながら、cero聴くかな? ちょっと自信がない。音楽自体聴かなくなる気がする。
彼らはなぜ、踊れる音楽を追求したんだろう。楽しいだからだろうな。当たり前だけど。決して操るような気持ちではなく、高城くんはみんなの中に混じって、それこそ水を得た魚のようにぴょんぴょんと、楽しそうに飛び跳ねている。彼は終盤こう言った。「踊りましょう。迷惑かけても許し合いましょう」。帰りのりんかい線の中、みんなで海底トンネルの中を歩くことになってもいいんじゃないかなと、私はちょっとほくそ笑んだ。対岸の調子はどう?
追記:「Waters」→「TWNKL」→「大停電の夜に」だと思っていたのですが、正しいセットリストは「TWNKL」→「Waters」→「大停電の夜に」でした。あれ。おかしいな。でもなぜか「大停電の夜に」につながる必然性を感じたんだな。
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