ブラックボックス展 と「The world is you」
【1.はじめに】
「ブラックボックス展 と『The world is you』」をご覧いただき誠にありがとうございます。本考察は私自身が2017年6月9日にブラックボックス展を鑑賞したときの体験を中心に、筆者の独断と偏見ではありますが、その展示に意義を見出すまでの過程をまとめた文章になります。
本考察を作成するにあたり、多くの方々からご意見やご感想をいただき参考にさせていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
なお、筆者が訪れた際の展示は「ネクストレベル」とされており、それ以前、以降の展示内容とは異なる場合がございます。あらかじめご了承ください。
もちろん本考察だけがブラックボックス展の全てではありません。一人ひとりに違ったブラックボックス展があります。そのなかであなたの中に何か信じられるヒントを、本考察に見つけていただければ幸いです。
2017年6月18日
まとも twitter@chokin_now
【目次】
1.はじめに
2.概要
3.問題提起
4.エモーションの分析
1)興味
2)恐怖
3)安堵
4)怒り
5)感心
5.「The world is you」の理解
6.まとめ
【2.概要】
ブラックボックス展とは、とても丁寧にある「気づき」を与えてくれる装置である。
ブラックボックス展との最初の出会いは友人のツイートからだった。「めちゃめちゃ怖かった、一緒に行った友達と仲悪くなった」その不可解な感想から興味をそそられ #ブラックボックス展 で検索をしてみるとさらに理解がしがたくなった。「入った瞬間とにかく怖い」「絶望すぎてすぐ出た」「宇宙があった・・・」「いつまでもいたい」「笑いがこみあげてくる」「行って後悔した」「おっぱい揉んだ」など人によって様々な感想が投稿されている。その日に調べて分かったことは 1)サザエBOT(@sazae_f)の中の人、なかのひとよ氏(@Hitoyo_Nakano)の初の個展であること 2)六本木の芋洗坂のアートギャラリーで6月17日までの限定開催であること。 3)展示内容について第三者に公言、投稿することが一切禁止されている。それだけの情報を頼りに翌日、私は吸い込まれるように六本木へ足を運んでいた。
六本木の小さなアートギャラリー「Art & Science Gallery Lab Axiom」は2フロアで構成されており、一階で入場者は皆、展示を見る前に「展示についての一切の公言、投稿をしない」というはがきサイズの誓約書に名前とメールアドレス(任意)を書かされる。二階にあがる階段の壁には、展示を秘密にしておくための様々な注意書きが並んでいる。さらに展示の入り口前では、スマートフォンのカメラ、フラッシュの部分に黒いシールを貼らされ、徹底して秘密が厳守されている。
いよいよ展示との対面である。入り口は黒い幕が何重かに重なっており、それらをかき分けて中に入っていく。そして中に入ると瞬間、その展示に困惑し、恐怖してしまう。広がるのは一切の光をシャットアウトした真っ暗闇の世界である。自分の手がどこにあるのかすらわからない。
そんな空間に放り出されて次の瞬間には一体何が起こるのか、私はそればかりを考えて恐怖していた。ここにたどり着くまでに収集したあらゆる情報から想像される全ての恐怖に身構えていた。それゆえに次の一歩を踏み出せず立ち尽くしたまま二分間が経過していた。
しかし、しばらくすると何も起こらない状況を飲み込む。他の来場者は相変わらず視覚できないが、ノンバーバルな空気で感じ取り、ここは危険な場ではない事を察知する。少し歩き出すと指先に柔らかい手触りを感じた。慌てて手を離し、口をついて出たのは「スミマセン」という言葉だった。それは他人の腕であり、不用意に触ってしまったことに気がついたからだ。
見えないなりにも周囲を探るために、私は「壁沿いに手を当てながら歩く」という方法をとった。ゆっくりと進み、たまに謝りながら、またゆっくりと展示を進んでいく。そのうち人とぶつからない自分の空間を見つけ少し立ち止まってみた。自分の身体は闇に溶け、自分の意識だけが空間に浮いているような錯覚に陥る。それは己の内面と向き合うきっかけとなって、しばし自分とは何か、などという哲学をしてみたりする。
5分かはたまた1時間か。考えたが満足な答えは得られないまま、また歩き始める。ある程度進んだところで、今度は壁はヒラヒラとした布になる。入り口の黒い幕であった。おそらくは壁沿いを進んで展示を一周したのだろう。その幕に手をかけた時、ふっと外からの光が入る。その刹那、展示の全貌が明らかになった。そこは5m四方の小さな空き部屋だった。それ以外は何もない。
それに気がついた瞬間、私はそれまでの恐怖や安堵が沸騰しはじめたように、腹立たしさが湧いてくるのを止められなかった。散々ビビらせた挙句しょーもない事をしてくれたなと。展示を見るためにサボった四限目の講義の事と、芋洗坂までのいくらかの交通費を思い出し、とんだ無駄足を踏んだことに気がついた。急に拍子抜けしてしまい私はそのまま部屋から出て行ってしまった。
黒い幕を抜けた先に吊るされた一枚の姿見には、狐につままれたような顔をした冴えない大学生が映っていた。
しかし個展を後にする直前、あるカードを渡される。
《許可書》
「本展覧会『#ブラックボックス展』に関する事実をweb上、口頭などで第三者に公言する事を禁止します。
但し、本展覧会を絶賛・酷評する感想の投稿、公言は許可する。
これらの感想の投稿・公言をする際、事実とは異なる「嘘の展示内容」を連想するような投稿・公言をする事を許可する。」
この瞬間、これまで被害者であった体験者は、これからブラックボックス展を観に来る人々に対する加害者となり観察者となった。これからはこの形ない作品を私たちが作り上げていくのである。その時初めて、ブラックボックス展の全体像を理解し、その手口に見事にしてやられたことに思わず手をたたいて笑ってしまった。
(上)ブラックボックス展の退出時に配布される「許可書」。裏面には英字で同一の内容が記載されている。
【3.展示の主題】
実際に展示を訪れた者にのみ与えられる「気づき」。
「胎内めぐり」という行為をご存知だろうか。仏教の呪術的行為のひとつで、洞窟などの暗くて細い道を胎内に見立て、そこを抜ける事で生まれ変わるような体験をするのである。私は最初に安心した感覚を見つけた時、この「胎内めぐり」による体験をアートとして表現しようとしたのかと思い、「またなかのひとよ氏のパクリ作品なのか」といささか落胆していた。
あるいはインターネットを用いた新手の社会実験の類という意見もある。モノと情報の距離が変わりつつある中、「口コミ」という情報の影響力を測る壮大な実験であったり、社会に「理解しがたい崇高な芸術」を提示することで、それでも他人の評価だけで手放しに絶賛してしまう、個人の中の「裸の王様」のような心理を暴き出す作品とも受け取れる。
しかし、本考察ではブラックボックス展は「気づき」の展示であるとしたい。私は展示を鑑賞する中で、いままで触れたことのない新しい感情に出会った。この感覚はまさに展示を実際に訪れた人にのみ与えられるものであるが、そこを文章化して明らかにするナンセンスをこの場で公開したい。その「気づき」こそが、なかのひとよ氏の命題である「The world is you」に切迫する大きなヒントになるからである。
【4.エモーションの分解】
すべての感情はあなたが出会った必然と、あなたというフィルターの化学反応。
ブラックボックス展の鑑賞を通して、私は恐怖や怒り、安心感など、様々な喜怒哀楽に目まぐるしく襲われた。そしてどうやら、そうした感情の起伏は自分だけではなく、展示を鑑賞した人々に共通して訪れているようだ。もしこれらが偶然ではなく、なかのひとよ氏に仕組まれた必然の発動によるものだとしたら。それらを丁寧に紐解いていくことで、その先は作者の意図と結びついているかもしれない。
そうした仮説の元、本考察ではまずは自身の体験と、協力して頂いた皆様からご提供して頂いた展示の感想を5つに分類。それらの発生に伴う心理状態やその根源を明らかにすることで、作者の仕掛けた必然と、その真意に迫りたい。
1)興味
#ブラックボックス展 を認識し、興味を持つ。この瞬間から展示はスタートし、これから出会うすべての情報が当人の中に「架空のブラックボックス」を作り上げていく。もし、そのまま真実を知ることなく終わってしまえば、彼のなかでそれは架空ではない存在としてあり続ける。
2)恐怖
展示に入ると多くの人々が1番最初に襲われる感情。入るまでに体験者が触れてきたあらゆる情報が、本人の内部で架空の恐怖を作り出す。その恐怖の自重に耐えられなくなると、パニックになったりその場から離れてしまう。
3)安堵
ブラックボックス展という空間を受け入れる感情。一般にいう「胎内めぐり」の感覚に近い。自己と空間の視覚的な境目がなくなる事で、己を実体以外の感覚で捉えようとする。展示内は自分の内面と向き合える場となり瞑想のような状態になる。
4)怒り
あらためて展示のハード面にのみ目を向けると、控えめに言って手抜きと言わざるを得ない作りである。ブラックボックス展を見るにあたって想像していたあらゆる恐怖や期待を裏切るそれは、肩透かしのカタストロフとして体験者を嘲笑う。その状況に気づいた瞬間はらわたが煮えくりかえる思いになる。
5)感心
一方でソフト面に目を向けると実によくできたシステムである。本来形のない作品を、簡単なギミックと口コミでいくらでも大きな化け物へと変容させる手口は、SNSを中心に活躍するなかのひとよ氏らしい優れた集客方法である。それと同時にインターネットの発達で、元来同一であったモノと情報の関係が変容しつつあるという事実にも、気がつく必要があるだろう。錯綜する情報の荒波から一握りの真実を掬い取ることは、現代において簡単なことではない。いずれにせよ、その鮮やかな手法に感心し、私たちはその次には否が応でも加害者側へと加わっていく。
【5.「The world is you」の理解】
「架空のブラックボックス展」は誰によってつくられたのか。
多くの人々はこの一連の流れを「なかのひとよ氏の手のひらで踊らされた」と捉えるかもしれない。
しかしそれらは、自分が無意識に作り上げた「架空のブラックボックス展」に対する期待と、それが裏切られる過程によって生まれた喜怒哀楽に他ならない。仮に、ブラックボックス展に関する事前の知識が全くないまま展示に訪れたら、それは我々とは全く異なる価値体験が生まれるだろう。あらかじめそこに「何かがある」という事を知っているか否か、という違いは、当人に想像の余地があるか否か、ということでもあるのだ。それはすなわち、ブラックボックス展とは、あなたが出会った情報と、その中から選び取った材料で作り上げた世界であり、(実際に目にするまでは)それ以外は存在しないということでもある。
その瞬間、「The world is you」世界はあなた、という事を知るきっかけが見えてくる。あなたがブラックボックス展の存在を知ったその瞬間から、展示の鑑賞は始まっているのである。ハッシュタグで情報をかき集め、そこから感じたものだけが、あなたの中に自分だけのブラックボックス展を作っていく。それに気がついた時、あなたを踊らせていたのは作者やデマの情報などではなく、自分自身である事を突きつけられるのである。
【6.まとめ】
「信じたいものだけを信じる」という人間の本質。そうすることでしか世界を知る術を持たない生き物。
ハリーポッターシリーズに登場する魔法生物に「ボガート」(通称:まね妖怪)というキャラクターがいる。それは対峙した相手の1番恐れているものに変身する能力を持っている。退治するためには「リディクラス(馬鹿げている)!」と呪文を唱え、1番恐れているものの怖くない姿を想像するのだ。
魔法使いのロンの前に、ボガートは大きな蜘蛛となって現れた。幼い頃にお気に入りのぬいぐるみを魔法で蜘蛛に変えられてしまった経験が、未だに「恐れているもの」としてトラウマだったようだ。怯むロンだったが「リディクラス!」そう呪文を唱えると、大きな蜘蛛の足にローラースケートを履かせて、ボガートはたちまち滑って転んでしまった。得意げなロンに続いて、他の生徒も自分の1番恐れているものを次々と面白可笑しいものに変えていった。
ブラックボックス展とはボガートそのもの。中に入った瞬間、定義できない恐怖がボガートのように変身して一人ひとりに襲いかかる。しかしそれは必然としてあなたがすでに知っている恐怖で、あなたの魔法みたいなアイデアひとつで突拍子のない素敵なものに変わるかもしれない。恐怖の在り方も、幸せの在り方も全てはあなた次第。
ブラックボックス展を鑑賞する中で、あなたが見てきた沢山の事実や嘘の情報。そこからあなたの中に「架空のブラックボックス展」が生まれるまでに、信じた事実と信じた嘘、信じなかった事実と信じなかった嘘がある。そうしてあなたは「信じたいものだけを信じる」選択を無意識にしてきた。今までも、きっとこれからも。でもそれは人間のものの捉え方の本質であり本能。そうすることでしか世界を知る術を持たない存在なのである。
だがそれを悲観する必要はない。それはすなわち、世界を決める権限の一切はあなたが握っているということである。核の炎に包まれた世紀末も、アンドロイドに人間が征服された未来も、展示物のない四畳半の暗闇も、それらの必然をあなたが愛せれば、世界もあなたを愛してくれる。だからこそ、まずはその創造主である自分を信じ、愛することから始めなければならない。
世界に溢れる全ては、貴方が信じたいと感じた必然だけによって構成されるのです。だからどうか、貴方の感性、価値観、身の周り大切なものいくつかだけで構いません。その全てを愛し、育んでください。それだけが貴方の世界の全てです。