ドーナツ狂

どうしたらドーナツを食べられるだろうか。
部屋の真ん中にぽつんと座り込み、そう考えていた。
というのも、健康診断の結果が肥満だったので、メタボ検査の招待状が届いたからだ。
ふと想像する。
『メタボ』という病名が商品ラベルのようにデカデカと貼られた自分の姿を。
その表情は暗く、口元も垂れ下がっている。
…最悪だ。
原因は分かっている。
大好物のドーナツを食べ過ぎているからだ。
ドーナツ店で働いているのも相まって、多い時は1日に6個くらいぺろりと平らげてしまう。
美味しそうなドーナツが悪い、とは思いつつもカロリーはすざまじい。
日々増え続ける体重を目にしてもなおドーナツへの欲望が抑えられない。
今も家から飛び出して、徒歩5分くらいのコンビニでドーナツを買いに行きたいくらいだ。
どうしようか…。
私は親友のめぐみに電話をかけた。
「あのさ。まじで人生最大の相談なんだけど」
「え、どしたの」
「どうやったらドーナツ食べれると思う?」
「は?」
変な聞き方だとは理解していたが、冷たい返事が返ってきた。
「健康診断の結果がね…肥満で。メタボ検査受けてくださいって言われちゃって」
「お、ついに」
「ついにって…」
「ごめんごめん、で?」
「…でもドーナツやめるのは絶対無理じゃん。再検査したら絶対痩せろ、って言われるし通院になる。もちろん病気になるのは嫌だよ?糖尿病とか!…もう再検査行かなかったら良いかな?」
めぐみはぶはっ、と吹き出し、笑い始めた。
「ドーナツやめずに再検査をクリアする方法を教えろってこと??おもしろすぎる。出来たら皆思う存分ドーナツ食べてるよ」
「でも、ドーナツ食べれないなら人生の意味がない」
めぐみはさらに勢いよく吹き出し、笑い続けた。
「もう!こっちは本気で言ってんだよ!」
私の体はこの1年でかなり大きく育ってしまった。
それもドーナツ屋で働き始めて、日々ドーナツを食べているからだ。
ほとんど毎日ドーナツを見ているというのに、食べないなんて無理すぎる!!!
「糖質控えめのドーナツを食べるとか?」
「そんなの満足できない」
「運動するとか??」
「えー…運動苦手だし」
「ドーナツ以外は食べないとか??」
「それこそ病気になっちゃう!」
「じゃあ1日に食べるドーナツは1個にするとか??」
「………えー」
「あ。そういえば、友達から聞いたんだけど何食べてもその味になるサプリがあるらしいよ」
「え?!」
ちょっとまって、と言われ、数分後にめぐみからメッセージがきた。
URLの下に、『魔法のサプリ』と書かれていて何やら白いタブレットのような写真が載った広告がきた。
「お試し用なら返品可能だし、やってみたら?」
あはは、と笑いながらめぐみは言う。
「これ、どういうこと??怪しすぎる」
「変なサイトじゃないよ!amezonだし」
確かに有名な大手ネット通販サイトだ。
「クチコミめちゃくちゃ良いし、友達もこれで唐揚げ食べてる気分になる、とか言ってた」
「えーー。なにそれ怪しすぎる。こわ」
「でも、これ自分で思うだけで良いらしいよ。食べながらでも色々変わるらしいし」
「え?!なにそれ、ますます怪しい。薬物なんじゃない??」
「ま、試してみなよ!さっきも言ったけど返品可能だし!値段もそんなに高くないしね。これサプリだけど噛んで飲み込むらしくて、嫌なら噛んだ後に飲み込まなきゃ良いし!」
めぐみはそう言って、良かったら教えてね〜!と無責任に電話を切った。
そんな夢見たいな話…。
もうちょっと真剣に答えてくれたらいいのに。
「…でも、確かに試してみるのはアリかも?」
私は入念にクチコミを読み漁り、最後には購入ボタンを押した。
試すだけ、と心の中で呟きながら。

『魔法のサプリ』は通常一袋120粒入って700円だった。お試し用は5粒入って50円。
サイトを見る限りサプリが怪しすぎるが故に、安価だと余計怪しまれるので値段を少し上げたらしい。
成分は炭水化物、脂質、タンパク質、糖質、ビタミンなど人間が必要な栄養素が豊富に入っていて、クチコミでは「もはや料理はいらない」「1日の食事これで良い」「最高の完全栄養食」というコメントが目立った。
サプリで栄養素を補給…しかも、それが自分の好きな味になる…健康的だしめちゃくちゃ理想的だ。
でも、そんな上手い話が本当にあるのだろうか??
購入した次の日、早速『魔法のサプリ』は家に届いていた。
サプリが届くとは思いながらも、期待外れだった時悲しくならないよう仕事終わりに1つだけドーナツを持ち帰り(いつもは3つだから我慢した方)、ポストに入ってあった茶色い袋を手にして帰宅した。
さて、お手並み拝見。
私はテーブルの前に正座して、その包みを開く。
『魔法のサプリ』と真ん中にちょこんと書かれている銀色の袋が出てきた。
ジッパーが付いていて、そのまま保存出来るようになっている。
茶色い袋の中には説明書が1枚ついていて、サプリの成分表と飲み方の説明などが記載されていた。
サプリは1食1粒、1日3回が推奨されている。
飲み方はサプリを飲む前に食べたい物を強く思い浮かべてから口に含み、なるべく噛んで飲み込む、と絵の解説付きで書かれていた。
めぐみの言う通り、ドーナツじゃなかったら吐き出せば良いのだ。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
いざ、と心で呟き、銀色の封を開けて、写真で見た通りの真っ白なサプリを取り出す。
サプリを口に入れ、イメージする。
ドーナツ…。甘くて、チョコがかかった、うちの店のドーナツ…!!!
え…あ、甘い。
もう一度、飲み込まないように噛む。
甘い。チョコの味。
ドーナツの食感はこそ無いが、バターや小麦の味も後からしてくる気がする。
私は思い切り咀嚼し、サプリを飲み込んだ。
ものの5秒だった。
「…ドーナツじゃん」
こんな白いサプリが、ドーナツの味になるなんて。
しかもドーナツのカロリーはない。
つまりヘルシー。
しかも少し満腹感もある。
…不思議過ぎる。
他の味も試したい。
私はサプリをまた一粒取り出した。
唐揚げ…唐揚げ…唐揚げ!
サプリを噛むと、じゅわっと豚肉の油が口いっぱいに広がった気がした。
なにこれ、なにこれ、なにこれ!!
私は即座にサプリ120粒入りをカートに入れた。
凄すぎて感動すら覚えた。
ほんとに食事、これで良いじゃん。
つまり再検査も楽勝。
この時代に生まれたことに感謝した。

サプリを食べ始めて3日目。
体重が5キロ落ちた。
周りからも痩せた?と聞かれるようになった。
普通、こうなったら喜ぶはずなのに。
「なんか、無なんだよね」
私はため息をついた。
「なんで?どういうこと?」
まどかが重めのトーンで聞いてくる。
目の前に転がるサプリを眺めながら、私は何と言うべきか迷っていた。
電話口から、まどかが私の異常度合いを測っている気がする。
「なんて言うか…サプリでご飯を楽しむと、もう怖くて実物が食べれない気がしてくるし……でもサプリだけじゃもう味気無くなってきてる自分が居て…食感とかさ、無いし」
食事ってこんなので良いんだっけ?
これが健康なんだっけ?
痩せれば良いんだっけ?
頭の中に浮かぶ複数の質問が、私を苦しめ、思考停止させてくる。
「…再検査ってあと3日だっけ?
まだ日にちあるしさ、ここで一回実物食べといた方が良いんじゃない?
なんか…聞いててさ、曖昧な表現だけど、大事なものを失いかけてる気がする」
「大事なもの…」
まどかの声は真剣で、私の心に残った。
電話を切って、冷蔵庫に入れておいた3日前に買った1つのドーナツを手に取る。
これを食べても……サプリで何とかなるんだし………。
ゴクリと唾を飲む。
転がるサプリを押し除け、ドーナツを目の前に置いた。
チョコがたっぷりかかった、大好きなチョコドーナツだ。
食べよう。
大丈夫、何とかなる…。
ひとくち口にして、雷が落ちたみたいに衝撃が走った。
固くなったチョコや生地すらも、私にとっては刺激的だった。
いつの間にかもう無くなっていて、なんなら財布を片手に外に出ていた。
近くのコンビニに小走りで向かい、ドーナツをあるだけカゴに入れて爆買いした。
そして、帰宅し、私は獣のように食べ散らかした。
もう止まらなかった。
ドーナツの美味しさとは、味だけじゃなかった。
生地の食感、可愛い見た目、指にベタつく砂糖、ずしりとしたカロリー。
何個食べたか分からないけれど、私は食べている間ずっと泣いた。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、止まらなくて、泣いた。
私はやっぱりドーナツが好きだし、この瞬間が幸せだ。
もう戻れない。
むしろ前より好きになってしまった。
辛い。
絶対こんな生活は続けられないのに。
なんでこんなこと好きになっちゃったんだろう。
なんでよりによって…。
食べれば食べる程好きになる。
でも、食べれば食べる程私は不健康になるのだ。
これは毒か?
ではサプリが蜜なのか?


再検査の結果はメタボだった。
体重は以前より遥かに大きな数字で、聞いた瞬間その体重計をぶっ壊したかった。
帰り道、街中にある細くて綺麗なモデルの広告に全部唾を吐いてやりたくなったし、そこら中に増えたジム施設にペンキをぶち撒けてやりたかった。
とにかくイラついていた私は、ドーナツを爆食いするしかその解消法が無く、また食べながら泣くのだ。
異常すぎる。
もはや私は何と戦っているんだろう。
大好きなドーナツを食べていたいだけなのに。
メタボという名札をぶら下げ、痩せなさいと叱られる。
そんなんじゃダメだと、街中の広告や人々に否定される。
まだ家にあるサプリを目にすると、余計に虚しくなる。
正義って何なの、まじで。
あんなものが正義になるのって、なんなの。
「否定してやる」
そう言いながら、私はカロリーを摂取する。
「………待って」
ぴたりと手が止まった。
「これは抗議なんだ……。
こっちの方が幸せだって証明しなきゃ」
手に持っていたドーナツをゆっくり袋に戻し、周りを片付けていく。
やらなきゃいけないことは理解した。
私はちゃんと、ドーナツを食べなきゃいけない。
狂ったように食べてはいけないんだ。
部屋が整い、私はノートを広げてこう書いた。

『ドーナツを美味しく食べる人生にする』


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