それは嘘です。「猿の惑星のモデルは日本人」
猿の惑星のモデルは日本人だという完全なデマが日本で広まってすでに半世紀以上たちます。さすがに一介のSFファンとして放っておくべきではないと思い、この文章を作りました。今後、ネットでそういうデマが出てきたらそこの全部にここのアドレスを貼り付けます。では、
猿の惑星のモデルが日本人というのは完全に嘘です
猿の惑星のモデルは日本人だという話は全部嘘。というより、原作を読んで当時の状況を知ってればモデルになった出来事は明らかにわかります。
そもそも、小説「猿の惑星」はフランス人のピエール・ブールによって書かれ、出版されたのは1963年のフランス。それからこの名作小説は翻訳され世界中に広まって行くことになる。
何がモデルになって書かれたかを知りたければそのフランスでこの小説が書かれている時代に何が起こっていたかを知ればいいのです。
その時フランスでは何が起こっていたか
第二次世界大戦が終わって、戦勝国になり国連常任理事国になったフランスはそれにも関わらず混乱の真っただ中にありました。戦勝国とはいえ、その政府と軍隊はフランスがドイツに占領された後にフランス国外で結成されたフランス共和国臨時政府と自由フランス軍であり、大戦中にフランスを統治していたヴィシー政権の関係者はドイツの協力者として「男は縛り首、女は国外追放」という厳しい責めを負う事になります。
しかし、海外で成立した臨時政府と大戦中にフランスに居続けた国民との間にはどうしたって、ある程度の溝がありました。
また、大戦後に世界で広がった民族自決運動によって独立を求める植民地を他の宗主国同様にフランスも抑え込む事ができず、インドシナでは独立運動に対して軍事的にも敗北し戦後の混乱に拍車をかける事になります。
1960年にはアフリカにあったフランス植民地のほとんどが独立しアフリカの年と言われる事になります。
さて、こんな最中にいよいよ「猿の惑星」を彷彿させる事態が起こります。後に「アルジェリア戦争」と言われるアルジェリア独立運動とそれに伴う紛争やテロとフランス国内の混乱です。
独立以前のアルジェリアはフランス国内の一部として扱われ大戦中にはフランス共和国臨時政府が結成されるなど、ただの植民地以上の存在でありフランスの一部ですらありました。
そこに生きる人々はあからさまに階級があり、日本人から見ればいわゆる白人と言われるフランスから移住しフランス人と同じ権利を有する支配階級のコロンと言われる人達と、それ以外のアラブ系やベルベル人などの先住民でフランス人と同じような権利を持たない側の人達に分かれていました。
そんなアルジェリアだからこそ、大戦後の世界的民族自決の流れにのり先住民の独立派がFLNという軍事組織を結成し武装闘争を開始します。
すぐにその対立は激化し独立を阻止しようとする支配層のコロンやフランス政府と武力によって激しくぶつかり合う事になります。
当初こそ、フランス側が圧倒的有利に進めていた紛争も旧東側諸国や先に独立した旧植民地だった国々のアルジェリア側への援助などによって泥沼化、アメリカもアルジェリア独立派に肩入れするなど徐々にフランス側が不利な状況になっていきます。決定的だったのがフランス本国で行われた国民投票によって国民の大部分がアルジェリア独立を支持するという投票結果が出たことです。フランス本国に住む人々は大戦後も続く軍事行動にうんざりしていたのでしょう。ましてや、戦時中にアルジェリアで結成されたフランス共和国臨時政府の流れをくむフランス政府とフランス国民ではアルジェリアに対する思いも考えも同じ方向を向いていなかったのですから。
そんなこんなで、アルジェリアは結局のところ1962年に独立しますが、そこまでの道のりにはフランスでの第四共和政の崩壊や「将軍たちの反乱」といわれる軍事クーデターなどでフランス国内でも酷い混乱に見舞われています。
アルジェリア独立に伴いそれまでフランス人と同じ権利を持っていた特権階級だったコロン達はほぼ全てがアルジェリアからフランスに逃げだす事になります。アルジェリア内での武装闘争はコロン達がそれまで通り過ごすにはちょっとばかり過激すぎたのです。
アルジェリアは独立しましたが、そのアルジェリア独立に反対し続けた軍人達を中心に結成された秘密軍事組織OASは抵抗を続けドゴール大統領暗殺計画などで「ジャッカルの日」の元ネタになったりしてます。
そんな時代に書かれ1963年に出版された小説が「猿の惑星」です。
ここまでの内容を詳しく知りたい場合の検索用の単語
アルジェリアの歴史 アルジェリア戦争 映画「アルジェの戦い」 将軍たちの反乱 フランス第四共和政 フランス共和国臨時政府
こんな単語で適当に検索してもらえば当時のフランスやアルジェリアの状況が大抵わかります。
小説「猿の惑星」の内容
大枠はWikipediaの該当ページを読めばわかりますが、そこも完全ではないので多少ばかり訳大久保輝臣、東京創元社版を元にした内容の説明を入れます。
そもそも、この小説「猿の惑星」は「小説内で誰かの手記を読む」形式で進んでいき、その手記の内容が事実かどうかは最後までわからない事になっています。その手記の書き手で主人公として扱われる地球人で新聞記者のユリッス・メルー自身は実際には小説内には一度も出てきません。あくまで手記の書き手としての存在としてのみ扱われています。
で、その手記の内容が小説の大部分を占めるわけですがその最初の部分が「私はいまこの手記を宇宙空間に託そうとする。だがそれは救いの手を求めたいからではなく、人類を脅かしている恐るべき災厄から払いのける助けになるかもしれないと思うからだ。」から始まり、これ以降が映画で描かれている「猿の惑星といえばこういう内容だよな」と大勢の人が思う部分になります。
恒星間飛行で遠い恒星系の惑星に地球からの三人の冒険者たちが宇宙船から着陸艇に乗り換え降り立つ所から始まります。
彼らはその惑星の人類に出会う事になりますがその惑星の人類は文明を持たず野蛮なうえに彼らが着ている服を引き裂いたり所持してる装備品や惑星に降り立った時に使用した着陸艇までもを壊してしまう。まるで文明を拒否するかのような野蛮な存在です。
そんなわけで裸で行動する羽目になった地球からの冒険者は猿による人類狩りに巻き込まれる事になり、三人のうちの一人はこの人類狩りによって死亡します。
映画と違って地球ではないので猿は英語を話す事はなく独自の言語を話しているため、当初は猿たちと意思の疎通ができず実験用の動物として檻に入れられた主人公ですがなんとか知性を持つところを証明し、最後は地球から来た知性を持つ地球人類にして相手から見るとエイリアン、異星からの冒険者であると猿達に理解してもらう事に成功します。
当初三人だった地球からの冒険者はこの段階で二人になっており、そのうちの一人は不思議な事に完全に知性を失いこの惑星の人類と同等の存在になってしまっていました。
残った地球から来た人類は主人公のユリッス・メルーただ一人。彼はその猿達の世界で大歓迎されます。猿達の歴史で初めて他の惑星から来たエイリアン。ファーストコンタクトですから当然です。パーティーが開かれサインを求める猿から彼を守るためにゴリラの守衛がつくような状態になります。
異星からの客として優雅に過ごしていたのですが、猿の世界で新たな発見や研究の結果、かつてこの惑星を支配していたのは野生の存在となっているその惑星の人類であり、猿達はその文明を強奪しただけだった事が明かされます。
猿の開発した新しい方法で人類の何十世代も前の遺伝子の中に組み込まれているらしい記憶を呼び覚ます事が可能になり、それによってその惑星で人類と猿の間に過去になにがあったかがわかります。曰く「彼らを馴らして召使に使っていたのはいいけれど、それにある程度の自由を与えたのがまちがいでした」と猿が自立して反抗していった事、「それというのも動くのがいやだから。ただ眠りこむだけ、抵抗するために団結する事なんて思いもよりません」と人類が抵抗を諦めその地位を猿に明け渡すほど無気力になったいた事などがわかります。
元々文明を作った知性があったのが人類であり猿はそれを奪っただけという事が知れると社会的混乱が起こるのが明白なため自分も無事では済まないと考えた主人公ユリッス・メルーと彼の理解者の猿達は、この惑星からユリッス・メルーを脱出させる事にします。猿達の協力の元に、この惑星で出会った人類の女性と、彼女との間にできた自身の子供の三人で猿が開発した猿工衛生打ち上げロケットに乗り惑星軌道上を回っている自身が地球から乗ってきた宇宙船に戻ります。
その宇宙船に乗って、地球に帰還した主人公ユリッス・メルーは到着した空港の状態の奇妙な事に気が付きます自分たちが出発して何百年と経っているにも関わらず人類の文明は進歩してるどころかむしろ退化してるように見える事に。そして、彼らを迎え入れる為にやってきた連中を見て呆然とします。それは自動車に乗り服を着たゴリラだったのです。
ここまでが作中で手記とされた部分であり、それを読んできた登場人物二人の正体が最後に明かされます、彼らもまた猿だったのです。彼らはその内容を「話としては上出来だな」と褒める一方で人類ごときがそんな文章書けるわけがないと一笑にして、この小説は終わります。
原作者ピエールブールの経歴
ここまで読めば、この小説が何をモデルにしてるかわかるでしょう。しかし、さらに作者ピエールブールの経歴を知れば余計に小説が何をモデルにしてるかわかるでしょう。
ピエールブールは1912年フランスに生まれます。彼が生まれ育った時代のフランスは第一次世界大戦で戦勝国になりその後に設立された国際連盟では常任理事国でその国際連盟の公用語は英語とフランス語の二つ。さらに世界中に植民地を持つ紛れもないスーパーパワーの強国でした。
しかし、そのフランスは1940年にドイツに敗北し占領されます。ピエールブールはその時、エンジニアとして仕事をしていたフランス領インドシナで現地徴兵されていました。フランス本国は負け占領されましたが、海外領土にてフランス自由軍が結成され、それにピエールブールも参加します。
1943年、フランス自由軍としてアジアで活動中にピエールブールは逮捕され刑務所に収監されます。捕虜収容所でないのはフランス人がフランス政府に捕まったためです。第二次世界大戦でフランスは連合国側にはフランス自由軍として、枢軸国側にはヴィシーフランス政府として参加していたのでこんな事になります。事実上内戦状態だったんですね。だから犯罪者として刑務所に入れられたわけです。猿のモデルは日本人の理由としてあげられる、日本軍に囚われて捕虜として虐待されたというのは完全に嘘です。
1944年、ヨーロッパではドイツの敗北が濃厚になりフランスの大部分が連合国に開放され、その時期に事実上放免されたようで刑務所から出ており、そこで終戦を迎え戦争時の活躍に対していくつかの勲章をもらいます。
しばらくの間はアジアで働いていたようですが、ほどなくしてフランスに帰国し小説を書くようになります。そのうちの一つが「猿の惑星」です。
当時のフランスにおけるピエールブールの立場
作者ピエールブールは海外で現地徴兵された後、結成されたフランス自由軍に当初から参加したバリバリのフランス自由軍闘士です。アルジェリア独立戦争の時にフランスはクーデター計画などまさに国家や軍が二分された状態になりましたがその二つのうち一方はアルジェリアで結成されたフランス共和国臨時政府とフランス自由軍の流れをくむ人達でアルジェリア独立に反対する人達。もう一方が大戦中も占領されたフランスに居続け国民投票の時にアルジェリア独立容認に投票した人達なのは明らかです。
ピエールブールの経歴から考えるにピエールブール自身はアルジェリア独立に反対か、もしくは反対派に心情的に近い物を持っていたと考えるのが適当でしょう。
小説内での描写からモデルとなった事を予測してみよう
小説「猿の惑星」では主人公が宇宙から帰還して変わり果てた地球の姿に絶望します。
現実のピエールブールも大戦前に海外に行って大戦後帰国していますが彼がアジアに行く前のフランスとはなにもかも変わっていました。まあ、フランスも色々ありましたからね。
小説「猿の惑星」では猿達はあくまで自分たちでは何も生み出せない猿真似しかできない存在で、その文明は人間から奪っただけの物として描かれます。
アルジェリアのインフラや独立後の社会制度などはフランスの植民地時代に作られたものです。
猿が人間にとって代わる所が色々と感じさせてくれます。東京創元社「猿の惑星」P213からP218まで書かれています。さすがに長すぎて著作権的にそのまま載せるわけにはいかないのですが、そこを読めばなにをモデルにしてるかわかります。召使いだったもの、労働力に過ぎなかったものが軍隊を作り街を奪い去ります。もし、日本人がモデルになっていたとしたこんな文章にはなりませんよね。
さながら、アルジェリアの先住民族がFLNを組織し最終的にコロン達を追い出し自分たちの国を作ったがごとしです。
手記の冒頭はこう始まってます。
「私はいまこの手記を宇宙空間に託そうとする。だがそれは救いの手を求めたいからではなく、人類を脅かしている恐るべき災厄から払いのける助けになるかもしれないと思うからだ。神よ、われら人類を憐みたまえ!」
と書いてる人物がアルジェリアの独立反対派に心情的に近い存在だとしたらどうなんでしょう?
まあ、なにをモデルにこの小説を書いたかをわざわざしゃべる事はないでしょうね。あまりに差別的です。
わかったよね
ここまで読めばわかりますよね。「猿の惑星」の猿のモデルが日本人じゃないって。「猿の惑星は」明らかに書かれた当時のフランスとアルジェリアの関係を書いています。ただし、差別的な内容があまりに多く作者自身がモデルを口にするわけにもいかないくらいにあからさまです。
それでも、あの時期にフランスであの内容では嫌でもわかります。なんで日本だけで「猿の惑星の猿のモデルは日本人」などというデマが広がったかはわかりませんが、こんなあからさまなデマを50年の間に誰もしっかりと訂正しないどころかSFファンSFヲタクを名乗るような人達までもそのデマを一緒に広めてるような体たらくです。
最後にもう少し
さて、この小説「猿の惑星」ですが現実にあった事だけではなくさらに元になったと思われる小説が存在します。
それがチェコスロバキアの作家カレル・チャペックの書いた戯曲「RUR」と小説「山椒魚戦争」です。どちらも今の日本ではほとんど読まれる事がありませんが手塚治虫とその世代の漫画家や小説家に大きな影響を与えた作品です。
戯曲「RUR」はロボットという単語が初めて出てきた作品で、人間に作られたロボットが反乱を起こし人間に取って代わる様をかく内容です。
小説「山椒魚戦争」の方も、山椒魚が人間に取って代わる小説で「山椒魚のモデルは日本人」と無茶な事を言われてる所も含めて「猿の惑星」に似た内容です
「猿の惑星」はこの二つの作品の影響を大きく受けてるのは間違いないでしょう。日本の漫画や小説もそういうの凄い多いですけど。両作品とも今では無料で読めるので探して読んで見るのもいいかもしれません。
以上です
私からは以上です。日本SF界でもっとも有名なデマであり嘘であり迷信はここで終わりにしましょうや。
映画「猿の惑星」の新作が2022年から撮影開始されるようなので、その公開時にはまたデマを流す人達が出て来るでしょうが、そこには軒並みこの文章をぶつけますから。