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しゃしんとししん「街と待ち」

「しゃしんとししん」は執筆意欲をちょっぴり刺激したい話でもあります。作ること。作り出すこと。形を作りだすまでの話。その創作過程を追っていく話。その試みでもあります。

何もない空間に道を作り、建物を立て、人々を行きかわせる、そんな街を作るような感覚かもしれません。


*しゃしんとししん*

街と待ち

出口がどこにあるのか分かりません。

前後左右、上も下も、どこにでも進むことができるのに、どこに向かえばいいのか分かりません。

ふとしたきっかけで入り込んだ場所は、未知の空間でした。

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道があり、建物が立ち、人が行き交う。

そんな当たり前の風景でも、何千年も昔に目を向けてみれば、元々はみどり生い茂る場所でしかありませんでした。もっともっともーっと、過去に遡り地球がまだ誕生していない頃までいってしまうと、そこには何もない空間が広がっています。

地球という土台ができて陸地が誕生し、緑が生まれ生き物が行き交うようになったことで、人々が行き交う場所が誕生しました。

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少しずつ少しずつ変化し、時代が変わったことで、出来ることが沢山増えていきます。高い建物を建てることだって出来るようになりました。

何もない空間から形を作っていくことは、この街が出来ていくまでの行程に似ているような気がします。


建物に映るほんのわずかな夕焼けが自然の名残を見せてくれますが、どんなに時が経っても変わらないものもあります。


出来るようになること、変わらないもの


写真を見ていると、そんな思いが湧いてきます。

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ここに交差点を作ろうと決めたは自然の摂理の中で生まれた偶然かもしれません。

「必要だったから」

作ることを考えた人たちはそう答えると思います。

「出来るようになること、変わらないもの」その二つが交わることは簡単でもあり難しくもあります。

心の中の感情でも

「作れるようになりたい」という想いと「作りたい」という想いがぶつかってしまう時があります。

その2つの思いも動き出さなければぶつかることはありません。

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光を当てて直線の影ができるのも、そこに何か遮るものがあるから

それができるのは

そうだここに街を作ろうと進み出したこと、少しずつでも先に進もうと思う気持ちがあったから

だからこそ影を生み出せているのだと思います。


ここは何もない空間

そう思うところから始まるので、そこから進んだ先に何が「待っている」かはわからないこともあるかもしれません。

そこにどんなものが「待っている」かを見つけた時が

出口を見つけた時

そうなんだと思います。


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文中写真、まと。撮影
冒頭、ストックフォト



ここまで読んでくださりありがとうございました。
感想いただけましたら嬉しいです。


「しゃしんとししん」という名前を冠につけたのは、そのきっかけになった思いを忘れないようにするためです。書く一つの試みとして始めたこの「しゃしんとししん」、形として花が開くまではしばらくかかるかもしれませんが、初心を忘れず続けていきたいなと思ってます。




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