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紀貫之は簡単に手に入るのに、道のりは遥か彼方。

ポップコーンの匂いに誘われて映画館に入りました。

特に見たい映画がなかったのでそのまま匂いだけを味わい外に出たのですが、なんだか時間を持て余してしまった感が残ったので散歩をしてみることにしました。


天候は晴れ。夕暮れ時ということも相まって雰囲気は良好です。

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ここ最近「まるで写真を撮るように書く題材に出会う」ということを意識するようになったので、試しにやってみようとブラブラ歩き始めました。

自分のお店でしょうか、外観をDIYでペンキ塗りしている人。

犬が微動だにせずリールを頑張って引っ張っている子供の姿。

ランニングをしている人々。

岡本太郎の太陽の塔の頭に丸型シャンプーブラシをぶっ刺している理容室のディスプレイ。

気になるものが目の前を通り過ぎていきます。


散歩をしていると様々な考えが頭の中を駆け巡ります。

視覚から入ってくる情報は写真を撮りたい思いにつながりますが、書くきっかけには中々つながっていきません。

どうしたら作れものだろうか…

彷徨い歩き続けます。


長年、写真と共に生きてきた結果、あそこは絵になりそう。ここは写真で撮ったらいい絵になりそう。そう言った考えを持ちながら日々を過ごしていたことに気がつきます。


* *


最近出会った言葉で印象的だったものに日記文学という言葉があります。

日記の形態をとった文学の総称。
日本では特に平安〜鎌倉期に,主として女性によって書かれた仮名文の日記をさす。《土佐日記》に始まり,《蜻蛉(かげろう)日記》《紫式部日記》《和泉式部日記》《更級(さらしな)日記》《讃岐典侍(さぬきのすけ)日記》と続く平安期の作品は,文学性に富んだ追想的な記録が多く,物語との区別は明確でない。鎌倉期には,《十六夜(いざよい)日記》《中務内侍(なかつかさのないし)日記》《弁内侍日記》《とはずがたり》など。

引用:コトバンク(百科事典マイペディアより)

紀貫之の土佐日記などは国語の授業でも出ていたものなので、名前だけは覚えていました。

どんなものだったかと調べてみたら土佐日記ってKindoleで無料ダウンロードできるんですね。

こうやって現代版の体裁を見ると紀貫之はどこか身近な人に思えてしまえるのが笑えてしまいます。早速ダウンロードしてみると、次の画面に

著者をフォローすると、新刊やおすすめ作品の情報を受け取ることができます。

という文言にますます現代人を重ねてしまい、さらに笑えてしまいました。


土佐日記を読んでみる前に概要を調べます。

延長8年(930年)から承平4年(934年)にかけての時期、貫之は土佐国に国司として赴任していた。その任期を終えて土佐から京へ帰る貫之ら一行の55日間の旅路とおぼしき話を、書き手を女性に仮託し、ほとんどを仮名で日記風に綴った作品である。57首の和歌を含む内容は様々だが、中心となるのは土佐国で亡くなった愛娘を思う心情、そして行程の遅れによる帰京をはやる思いである。諧謔表現(ジョーク、駄洒落などといったユーモア)を多く用いていることも特筆される。

引用:Wikipedia

1000年以上経っても人々から興味を持ち続けられていることに、日記文学と名を打たれる理由を納得する反面、概要に書かれている内容だけでは、日記文学と呼べるものなのかという疑問が生じたことは否めません。

そんな興味を持ちつつも、最も気になったのは、諧謔表現かいぎゃくひょうげんという言葉でした。

中身はまださわりしか読んでいないのですが、この時代のユーモアに興味を惹かれます。


* *


夕日のグラデーションの中に煌々と光る三日月がやけにキレイに見えました。

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もう日も落ち始め周りが暗くなる中、一通のLineが届きます。

「そろそろ帰るね。」

チビと遊びに出かけた妻より届いたLineでした。

その後にチビが遊んでいる写真と動画が滝のように流れてきます。


スマホを見ながら歩くのは危ないので、未読のままソッとポケットにiPhoneをしまいます。


「こんばんわ〜」


頭に「見廻り組」と書かれた帽子を被り、犬を二匹つれながら自転車に乗ったおじさんがすれ違いざまに挨拶をくれました。

知らない人から挨拶されるなんて都内に住んでいるとほぼ皆無なので

「こんばんわ〜」

と反射的に返事ができたのには、人間には挨拶自動返信機能が備わっているのではないかと想像させる出来事でした。

土佐日記を調べてみたくて、「Hey Siri」とiPhoneに声をかけても、何の反応も返ってこないことに比べたら、まだまだ人間の方が優秀ですね。


一連の出来事も、頭の中に残るイメージは絵としてのイメージで、こんなふうに撮ったら面白そうだな。絵になりそうだなという視点であり、文章として書きたいという視点にはつながりませんでした。


やはり散歩の中でも見る視点は撮る視点。


気づくと、辺りはもう完全に夜となっていました。

それでも

絵になるな〜と思ったらiPhoneを構え写真を撮っている自分...。


ここは住宅街の中...。


ここで見廻り組が現れていたら、大きな声で声をかけられていたことでしょう。

「こんばんわ〜」

ではなく

「なに撮ってんの?」

と。


土佐日記のユーモアがどんなものかと想像してみましたが、きっともっと高度であることは間違いないだろうな…

「写真を撮るように書く」はまだまだ続きます。


***

タイトル写真:ストックフォト
文中写真:まと。


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