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就職と東京。本腰入れて考え直したあの日。
僕は今現在東京圏を中心に写真を生業として活動していますが、社会人スタートの肩書きはプログラマーだったんです。社会人になると共に上京してきました。
大学の就職活動中はプログラムを組む人になりたいと朧げながらに思っていて、とにかく様々なソフトウェア会社の就職試験を受けまくっていました。
当時2000年代初期。就職氷河期真っ只中にも関わらず、地元から離れたくない思いを持っていたために、ことごとく不採用の通知が届く日々でした。
当時IT関連の仕事と言えば東京圏が主戦場とまで言われていたので、そこに行きたくないという人を受け入れてくれるような会社はまったくありませんでした。
ましてや成績優秀って訳でもありませんでしたからね。
魅力に欠ける人材だったと思います。
どうして東京に行きたくなかったのかというと、はっきり言えば東京に行くイメージを持っていなかったからという、いわば食わず嫌いみたいなものだったように思います。
大学受験の際、都内の情報系大学に進学したいと望んだ入学試験に見事不合格。地元の片田舎にあるような大学に進学しましたが、それがより地元志向を強めた一因にもなってしまったように思います。
新しい土地や、新しい環境に行くよりも、知っている場所、友人がいる環境。そんなところに居心地の良さを感じていたんだと思います。
しかし、世の中そんなに甘くはありません。
大学4年の12月になってもまだ決まっていない就職先。
僕は将来、ゲームを作る人になりたかったんです。小学校の卒業文集に将来なりたい職業は?という質問がありましたが、そこに堀井雄二さんのようになりたい。みたいなことを書いた記憶が今でも残っています。
堀井雄二さん。そうドラゴンクエストの生みの親です。
それだけゲームにハマっていたというのもありますが、物作りがやっぱり小さい頃から好きだったんだと思います。
小学校の帰り道、よくシナリオ考えながら帰っていた記憶も残っています。
とは言っても、それを何かに書いたりメモしたり形に残してきませんでした。今思えばなんだかもったいなかったな〜と。
形として残せていたならば、親も何かしら協力してくれたんじゃないかなと思ってしまいます。形にして見せるというのは周りにやる気を見せることでもありますからね。
人に見せるってほんと大事なことだと思います。
大学卒業間際にもなると、その夢は儚く散っていたのですが、せめてプログラマーにはなりたいと、卒業まで残り3ヶ月でも諦めてはいませんでした。
しかし、就職先はそれでも決まりません。
これはもう本腰入れて東京に行くことを考え直さなければならないなと。
当時付き合っていた人もまた東京にはいかない決断をしていたがゆえに、この選択はイコール別れも意味していました。
この当時に読んでいた辻仁成さんと江國香織さんの共作
冷静と情熱のあいだ
それと
宇多田ヒカルさんの1stAlbum First Loveは今でも
込み入るくらい胸に入ってきてしまいます。
そう言えば、上京の新幹線の中で曲聴きながら一人ぐしゃぐしゃに泣いてたっけな。
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今回の記事は毎日投稿を始めたころに投稿した自分の記事を読んでみて、気になった言葉を元に書いてみたものです。
改めて初めの頃の記事を振り返ってみると、とても読みにくい記事だな〜と。どこか独りよがりな感じも受けましたし。この当時からはある程度成長していると思いますが、まだまだ読みにくさはあるんだろうなと思ってしまいます。
それこそほんとに「本腰入れて」読みやすい記事を書いていかねばと思う次第です。
この記事から選んだ言葉は「本腰入れて」
こちらの企画のために投稿した記事となります。
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Top画像:まと。
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