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『傷だらけの手で、私達は』から見る、東雲絵名と愛
言葉にできません。
瑞希のイベントからの続編である今回のイベント、もちろん物語の感想を書くためにこうやってブログ編集を行っているわけですが、言葉にできません。
この感情を、この温かさを、この愛を、私は言葉で紡ぐことが出来ない。
以前の瑞希イベの感想はこちらに書かせていただいています。
前提
今回のイベントは東雲絵名さん初の限定ガチャイベントでのバナーでした。
そしてそのイベントが暁山瑞希さんの話ということもあり、イベント開催前には「バナー乗っ取り」などの単語がtwitterのトレンド入り、更にはエスカレートし暁山瑞希の声を演じてくださっている佐藤日向さんへ直接苦言を呈する人も現れる事件もありました。
私は、そうは思わない。
東雲絵名さんは自身の才能の無さを自覚しながらも、一度折った筆をもう一度持ち、1から絵と正面から向き合うと決めたとても強く直向きな方です。
ですがそれは絵名の魅力の一面でしかありません。友達が困っているとき、友達が溺れているとき、友達が死んでしまいそうなとき、臆せずに飛び込み、障壁を無理やり蹴飛ばし、バカ!と叫びながら、誰よりも泣きながら手を握ってくれる人です。
瑞希を救いたいと思う気持ちから、そしてなによりこのまま瑞希と別れてしまうことになるのが嫌な絵名が、瑞希の手を掴む。そんなシナリオが、そんなイラストが、絵名の魅力を1000%引き出してくれました。
大事なのはイラストにキャラクターが大きく描かれていることではない。大事なのはシナリオで物語の中心にいて一番喋っていることではない。
一番大事なのは、東雲絵名という人間の持つ魅力が最大限に表現されていること。
確かに物語の中心は瑞希の抱える悩みにあります。ですが、この物語は東雲絵名の物語であり、東雲絵名にしか紡げない物語でした。わたしはそのような絵名が大好きであり、尊敬しています。
みんなで救う物語
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プロジェクトセカイは、全員で救い出す物語です。
一人で悩み、一人で立ち向かい、一人で解決する。そんなに器用に立ち回ることが出来る人なんて限られている。少なくともこのプロジェクトセカイに登場する20人にはそこまで出来る強さは、持ち合わせていない。
だから、他の人を頼る。「助けて」と言う。助けてと言えないときも、倒れそうなときに誰かが陰から支えてくれる。絵名が一人で悩んでいたことも、彰人が、杏が、類が、自分が隣にいるということを示すことで絵名の力になる。人と人の関わりがあるからこそ一歩前へ進むことができる。
絵名と瑞希2人だけの問題だったはずが全員を巻き込んだ物語へと進化していく。そうすることで見えてこなかった視点や手段がどんどん増えていき、今回の物語の結末を生み出す。プロジェクトセカイの物語の魅力がここに詰まっています。
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物語の魅力という点でいえば、私の一番好きなシーンはここです。
瑞希の抱える悩みは相当に深刻です。好きなように生きられない、好きでいてはいけない、そういう他者の声や意見に押しつぶされそうになりながら過ごすしかない。そしてそんな言葉に負けずに今を生きていても、結局は壊れてしまう。
自分の「好き」でいた結果壊れてしまった以上、もしかしたら瑞希は全てを諦め全てを捨ててしまう危険さえありました。自分には不可能だと諦め、社会の不条理に押しつぶされ、もしかしたら絵名と再会できなければ髪を切っていたかもしれません。
でも、どれだけ辛くても、新作コスメはカワイイ。自分の好きを否定することはできない。ここでカワイイと思えたことが、暁山瑞希という「人間」にとっての最後の防波堤だったように私は感じました。
先入観のもたらすもの
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人と人との関わりには、情報の先入観というものが生まれてしまいます。
例えば、同年代だと思ってたフォロワーが実は自分より20歳年上だったら
例えば、中学時代の友達に久しぶりに会ったら年収に10倍の差がついてたら
例えば、あなたの同僚が殺人犯の子どもだったら
そのことを知ったあなたはもう以前のように接することはできなくなってしまいます。どんな時も常に、頭の片隅ではその情報がノイズのように響き、いらぬ配慮をしてしまいます。
もちろん全く気にしない人もいるでしょう。それはそれ、これはこれと人と属性を切り離すことが出来る人も。それこそまふゆや奏は(絵名も言ってましたが)こちら側だと思います。
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絵名は常に考えてしまいます。その配慮が瑞希を傷つけるとわかっていても、変わることはできない。そして、それこそが絵名の魅力でもあります。
「瑞希は瑞希であり私の大切な友達であることに変わりはない!」そうやって真正面から言える強さは絵名だからこそ持てたものです。
前回の記事で、絵名なら『ラフ・メイカー』になれると書きました。
これは私が単純にこの曲が大好きだから当てはめただけ…と言ってしまえばそうです。でも実際にこのように愚直に、正面から、瑞希の心のドアをぶん殴って蹴破ろうとして、最終的には瑞希にドアを開けてもらう。開けたくても開けられないのなら窓から入る。これが絵名なんだよなぁ…。
誰よりも聡く誰よりも人との距離を取る。そんな瑞希の隣には、誰よりも愚直で誰よりも正面から瑞希を見る絵名でなければいけない。4年間描いてきた絵名と瑞希の物語の終着点としてこれ以上ない結末でした。
さいごに
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この物語は『愛』の物語である。
愛という不確かな言葉で表現することは正しいのかは私にはわかりませんが、泣いている友達の手を掴むこと、一緒に歩こうと手を引いてくれること、これが『愛』と呼ばずして何と呼ぶのか。
イベントを読んだ人には言う必要は無いと思いますが、今回の物語はジェンダーの話では一切ありません。これは秘密を抱えた人間と、その秘密と向き合う人間の物語です。
私の記事を読みにきている人は、そのような話を求めてここに来ているかもしれませんが、本質ではない以上あまり語るのも蛇足のように感じてしまいました。そこは申し訳ありません。
配慮がもたらすもの、そして配慮と友情の変化などもしそのような話が知りたい方はよければこちらのアリアの記事を読んでいただけると、助けになるかもしれません。私は人との関わりが嫌いな人間不適合なので、このような文字を書ける人を尊敬します。
改めてこのイベントを用意してくれた運営に感謝を、そしてここまで感想を読んでくれたあなたに感謝を。
ありがとうございました。