『そしていま、リボンを結んで』から見る、暁山瑞希と令和の創作物の在り方について
来ましたわね、恐れていたものが…。
ということでお久しぶりです、恋心ミルフィーユです。しばらくはプロセカを引退したり戻ってきたり引退したり戻ってきたりを繰り返していたんですが、ニーゴに関してだけはちゃんと追っていました。Kとゆきの過去も出し、まふゆの物語も一気に転じて、そしてついに瑞希の物語が来てしまいましたね…。前回のイベントから約1年振り。
でも今回は新イベの感想…はあまり書くつもりはなくて、タイトルのとおりこのイベントを通して感じた令和における「新時代」の創作物の在り方について、そしてそのラインで描かれる暁山瑞希という存在について書いていこうと思います。
Amiaとえななんの過去
ということでまずはイベントのお話。いままでなんとなく察することしかできなかった瑞希の過去から、Kの楽曲との出会い、そしてニーゴ結成までの流れを結構丁寧にやってくれました。これに関しては『いつか、絶望の底から』で奏まふの出会いを1イベ全部使ってたわけだし、同じようにやってくれるのは当然なのかもしれないけど、とてもありがたかったです。
モブカスは相変わらずモブカスであること、学校に馴染めなかった中学生時代の肉付け、卒業してしまった類に救われていたんだなぁと自覚することや、アニメのおかげで毎日を過ごす希望をもらえていたことなど、かなり暗い話ではありましたがやっぱり知れたことは嬉しいです。
そしてなにより、Amiaの名前の由来!ついに明らかになりましたね。
私個人としてはずっと嫌だったんですよね「Amiaを逆から読むと合間になる!これは瑞希のどちらでもない性を示してる!」みたいなドヤ顔カス考察が。は?そんなわけないでしょ、というか当事者がそんなふうに自分を茶化すようなハンネにするわけないでしょ。見かけるたびにキレてました。
だからちゃんと出てくれてよかった~。好きなキャラ『ミア』から取ったっていうのも大した理由ではなくて好きだなぁ。人のハンネに深い意味を持たせてはいけない、私の名前の由来もそんな感じだし。ミアに関しては、敵キャラではあるけど最後には共闘するキャラということで、ポジション的にはドキプリのレジーナちゃんみたいなのかな?なんとなくそのメインキャラ一味ではないけど主人公たちに深く関わってくるキーキャラみたいなのを好きになるのも、オタクっぽい!妙なとこ解像度高いんよ。
3人ともみんな悩みを抱えている、でもKの楽曲によって心が少し軽くなる。そうやってうまれた創作物が奏の目に止まったことでニーゴが生まれたという物語に結構グッときちゃいました。個人的には瑞希の緩やかに沈んでいく感覚がものすごく上手く表現されていて、このまま本当に消えてしまいそうな瑞希の手を奏が引っ張ってくれたのは救いなんだよなぁ…。
絵名に関しても、ペイルカラーや空白のキャンバスで描かれてきたことを踏まえた上で、更に過去の肉付けをしてきたのはすごい良かったなぁって。
どうして絵を描かなくなったのか、父親や先生の言葉が呪いのように頭を巡っていること、それらが出ているからこそ高校受験に失敗したことや自撮りに逃げたことがより鮮明に映っているように感じました。
一度挫折したからこそ見えてくるものもあるし、だからこそ今の絵名が必死に過去と向き合って絵を描いているわけだし、そういう風に考える意味でも情報自体は既出のものばっかだったけど、すごく過去と未来にうまくリンクした内容でした。
でのその分アラも目立つというか、絵名の絵を見つけたのは奏のはずだったのに、いつの間にか瑞希が見つけて動画の素材にしちゃったってことに改変されてしまって。本当にプロセカくんフラグ管理がガバガバすぎんよ…。奏のことを絵名が神格化してるのは奏が直接絵名のことを救ってくれたからだったはずなのになんかなぁ…てなっちゃいます。他にも色々と話が合わなくなってるし、今回のイベストめちゃくちゃ良い部分も多かっただけにすごく気になりました。
運営側も齟齬を認めてるけど、半引退勢の私でも気づく違和感を修正せずに発表しちゃうのは、さすがにどうかと思います。このようなことが当たり前のように続くとこちらも考察することが馬鹿らしく思ってしまうし、ユーザーを舐めた態度が見えて悲しくなります。前科何犯かわからないけど再犯に気をつけてください。
瑞希の姉という存在
今回のイベント、なんといっても瑞希の姉という存在にすごく助けられました。
瑞希って他のニーゴの3人に比べて全然家庭環境が見えてなかったからね。今まで出てきた情報って、親はニーゴとして活動してることを知ってて、仲のいい姉は海外に行ってることくらい。だからこそ他の家庭を見てきただけに不安もあったけど、今回のイベで深く語られ、そして家族の愛に包まれている様子を見れてすごく嬉しかったです。
瑞希、中学時代から後ろ指刺されて、きっと小学生とかその頃からもずっと違和に苦しんでいたんだろうなぁ。求められる自分と、なりたい自分の乖離に。特に小,中学生なんて右向け右が出来てなければそれだけで爪弾きにされる小さな社会だからね…。でもそれでも「自分の好きを無理に捨てなくていいんだよ」という言葉を与えてあげられる姉の強さには本当に読んでて号泣してしまいました。ありがとう姉…。
特に瑞希は居場所が無くて苦しんでいたからね。屋上という場所も類がいなくなってしまい、ニーゴという居場所も自分なんかが入っていいのかという状況で。本当にそういう自分ひとりしかいない世界に陥ってしまうと思考も停滞して、自分自身を否定することでしか楽になれないことも多々あります。だからこうやってきちんと声に出して、肯定してくれる人がいるということはとても幸せなことだと思います。
瑞希の姉、立ち絵が無かったけどどういう立ち位置になるんだろうなぁ?あえてビジュアルを明かさない方が物語として没入感が生まれるからとか、そういう演出を意識したのかな。でもおかげで想像の余地が生まれるというか、色々考えちゃいますよね。個人的にはルカさんに面影が似てる、ピンクでロングのストレートだと嬉しいです。そうあってくれ…!
でもそんな風に前を向くイベントだったけど、現在の高校生瑞希、結構諦めて殻にこもってる節があるからなぁ。見た目も自分の求める可愛いを追求して、ニーゴで自分の居場所も見つけることができたけど、それでも社会はまだ変わっていない。高校でも不登校だし、絵名に対してもずっと待たせてしまっている。
この環境が変わるかどうかは本当に周りが変わるのを待つのではなく瑞希自身が切り開かなきゃいけない問題なので、きっと最後には姉の一押しがあったりするのかな?あってもいいな?瑞希に関する問題はまだまだ広がりそうだから、今後に期待ですね。
現代におけるキャラクターの扱い方
今回の瑞希の描かれ方でも強く思ったのですが、令和というこの時代、フィクションにおけるキャラクターの描き方、創作物の作り方が昔とは大きく変わってきている気がします。
どう変わったかというと、キャラクターの「属性」の撤廃、それをただの「個性」として受け入れる風潮になっていることです。キャラクターのわかりやすさ、「属性」という簡単に区別できる枠組みがどんどん消えていったことにより、よりそのキャラを人間らしく、生っぽく扱っているように感じます。
人間なんだから人それぞれ考え方がある。すべての行動に理由があるわけでもない。そしてたとえ創作されたキャラクターであっても、人権はある。言われてみると当たり前なのかもしれないけど、「属性」という言葉でわかりやすくカテゴライズすることで扱いやすい反面、蔑みやすく、キャラクターの人権を無視していた環境はあったと思います。
特にLGBT関連でこの考え方は広がってきているように感じますね。昔はゲイ=オネエや、誰彼構わず襲うみたいな「属性」が浸透していたけど、今では違う。全員が全員そうではないし、それおかしいよね?って声をあげてくれる人も増えている。そのおかげかキャラクターの立て方にも変化が生まれ同性が好きなこともただの「個性」になっています。良いも悪いもなく、フラットな扱いに。
それこそ『男の娘』だってそうですよね。男性が女性の恰好をする、そういうわかりやすい枠組みを作ることで消費者に消費させやすくする。
でも現実はそんな枠組みなんてなくて、人それぞれの思いがある。本人の言う「可愛いから」「似合うから」のような一言にもいろいろな言葉の裏が含まれているし、それが良い意味とは限らない。人とは違うことをするということはそれ相応の覚悟を求められるし、非難もされやすい。特に創作物に関しては実在の相手がいないという点から雑に扱われてる印象がありましたからね。
そういう人それぞれの思いをくみ取り、誰も傷つけない、みんなそれぞれ違っていいという思いを肯定することこそ、現代の価値観というものです。昔はよく「でもボク男だよ?」「ええ!?」みたいなやり取りが鉄板としてあったけど、全員が全員そういうマインドでいるわけではない。そういうやりとりが「ウケ」として使われることが嫌な人もいるし、自身の生まれたときの性を自分の口から言うことに抵抗がある人もいる、言わなければ納得してもらえない環境に嫌気がさしている人もいる。性を売り物にすることは消費者としては楽かもしれないけど、本人にとっては地獄だから。
最近話題になったことといえばブリジットちゃん。
男の娘の代表的キャラだったのがトランス女性に設定変更したというので色々な意見が生まれていましたね。好意的に受け止められる人もいれば、ポリコレに屈したという人も。私はギルティギアを知らないのでこの件に関して深く語れる自信はないのですが、上の記事を読んで色々と考えされました。
男の娘という「わかりやすさ」を剥奪される、そのせいで自身が扱いたい形から離れることに対して不満を感じる。形が変わったことに対して物申したくなる気持ちはわかりますが、私個人としてはこのような人たちはブリジットちゃんの本人の自由意志を無視した行動だよね?と思ってしまいます。時代の変化と共にキャラクター像も変化する。もしかしたらブリジットちゃん自体も元からあったトランス女性という気持ちを隠して「男の娘」という枠組みにいなければいけない息苦しさがあったのかもしれない。
どんなキャラクター性でも自分自身を重ねる人はいる。「男の娘」だって空想上の産物ではなく、実際に女性らしく生きることで自己のアイデンティティを保てる人もいる。重要なのは男か女かではなく、そのキャラがどう思っているかです。そのキャラ、人間の意志を尊重し考えたうえで成す行動にこそ表現の自由が生まれるのであって、それを無視して自分の好き勝手に扱うこと、ないし「配慮」しなければいけないと嘆くことは、自由の本質とはかけ離れていると私は思います。
瑞希のことも同じです。属性という一括りでまとめることなんて出来ないし、そういう言葉を使うのは本質から離れる。このような旧来の価値観を捨て肯定してくれた姉の存在によって瑞希の存在がよりくっきりとしてきました。令和のキャラクターへの接し方を覚えなければ、取り残されちゃうよオタクくん?読んでいてそういうことを考えさせられるイベでした。
おわりに
ということで話がめっちゃ逸れた気がするけど、むりやり軌道修正出来たからヨシ!
今回のキャラクターの扱い方の話は全体的に過去に書いた『トランスジェンダーの私から見た『暁山瑞希』の性について』の焼き回しのような内容になってしまいましたが、2年前と主張したいことは変わらないので、改めて言葉にさせてもらいました。
また、今回のイベントはすごく井手上漠さんを思い出しました。自身の性に悩みつつも、親の言葉で救われ、自分らしく生きることを決める。救われ方も含め瑞希と境遇が同じなんだよね。
世の中には瑞希や漠ちゃんのように同じように悩んでる人がたくさんいる。そして2人のように立ち上がれる人もいれば、立ち上がれない人もいる…。ゲームシナリオやエッセイ、さまざまな形はあれど、このような問題が視覚化され、多くの人が問題を理解してくれること、そして立ち上がれなかった人への後押しになってくれることを私は望みます。
なんせ私も後押しされた側の一人ですからね。
上のジェンダーの記事では色々と自身が男性的なことにネガティブなこと言ってたけど、人間だれだって変われる。この2年近くで髪伸ばしてメイク覚えて服買って親にカミングアウトして睾丸摘出して戸籍上の名前を変更して、今では性に関してあまり悩まなくなりました!(自由勝手にしすぎた結果保険会社から怒られて新規契約できませんでした。マジで辛い)
瑞希の過去、そしてこれから。色々な角度から考える人、自分自身を重ねる人、どう扱っていいのか未だわからず困ってる人、様々いると思いますが、色々な人がいていいと思います。それこそが多様性の本質なのだから。
私自身がトランスジェンダーということもあり一歩近くから見ている感覚はありますが、私の性と瑞希の性が同じとも限らないですからね。結局は私もまだよくわからないし、分かった気になることもナンセンスです。…この話前もしたことあるよね?まあいいや!
私以外にも瑞希に関して深く考えてくれている人も多く、このような動画を見るたびにとても胸がギュッてされます。あ、めっちゃ褒めてます!すごく瑞希のことを考え言葉にしてくれて嬉しいです。
これからも瑞希のこと、ニーゴのことを考え寄り添い見守っていきたいです。おわり!
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