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MATOI'sCAFE〜手放して手に入れたもの〜

MATOI’s CAFEは人と人が尊重しあい高めあう場所として2023年3月から始めた無料のオンラインルームです。
和気あいあいと、でもただ楽しいだけではない。
誰かの居場所づくりをめざし、実りのある場所であるように、月に一度参加者のみなさまにお届けできたらと考え開催しております。
noteでは今回より私の考察を交え、伺った内容を抜粋してご紹介いたします。

8月のテーマは
『手放して手に入れたもの、ありますか?』
手放すのは手に入れるよりもしかしたらハードルが高いかも知れません。
でも手放すことで初めて手に入れることができるものもあると思います。
そんな経験談や、手放すことに対しての考えなどをお話しいただきました。

ー できることとやりたいことの違いに気づく

仕事を変えるとき、大きくわけると二つの選び方があるように思う。
ひとつは、経験で培った「自分ができること」を生かした選び方。
もうひとつは、これまでに経験のない未知の世界へ挑戦する選び方。

ひとつ目の『経験で培った「自分ができること」を生かした選び方』について、
インタビューの考察を行ってみたいと思う。

「自分ができること」を生かせば次の仕事をスムーズに決められたり進められたりしやすい。
一方で、果たしてそれが自分の本当にやりたいことなのか、心に問う人も少なくないのではないだろうか。

Aさんは自分のできることから次の仕事につき、
できることで役に立てるのは仕事のモチベーションにもつながっていた。
しかし、続けていく中でひとつの疑問と向き合うようになった。

「自分がやりたい本当の形ではない」

そして「しがみつくべきではない」と、自らの「できること」を生かした立場、役割を手放していった。
ここで重要なのがやりたいことのベクトルがどこに向いているかだ。
もちろん自分がやりたいのだから自分が満足できるものでなくては意味がないが、彼女の場合、自分の満足というのが他者に向けられている。
つまり「自分のやりたいことで他者の問題解決ができる」というのがAさんの求めるものなのだ。
ビジネスの世界ではあたりまえかも知れないが、自分となると簡単に見つけられるものでもない。

Aさんは、
『経験でできることからスタートし最初はそれでよかったけれど様々な現場や経営者、社員の方のお話を聞いたときに、できることだけ提供していても相手の望みにはつながらないなということを感じた。
元々相手の問題解決にどれだけ自分が貢献できるかということに興味があり、自分のやりたいことだけやっていても相手の満足に繋がるとはいえないし、深く望んでいるものを知るためには関係性がないとできない。数回のお付き合いではできないと思った』と話す。

できることの中で模索し何が一番必要なのかを見極め、それが自分のやりたいことであると認識したとき「手放す」という決意が生まれたのだろう。

『手放すことを決意し新たな役割に向けてインプットを開始。
インプットする中で発見したのは自分の足りないところ。
手放したことでインプットが始まり、インプットを続けることでアウトプットの継続性にもつながった』という。

インプットとアウトプットの循環が自分にも自分の周りを取り巻く環境にも好影響をもたらしている。

『今の仕事では感謝と経験の時間をいただいている』というAさんのことばがとても印象的だった。

ー すべてはご縁や出来事でたどり着かせてもらった

何かを成し遂げるために血の滲むような努力をするというのは、先人たちが成し遂げてきた偉業をみると納得がいく。
一方で、闇雲にがんばるというのは必ずしもどこに向かっているかという結論を見失うケースも多いと感じる。

Mさんは生活環境のなかで「がんばる」行為を続けて心と体のバランスを崩した。
そして必要になったのは「休む時間」だった。

がんばることで失ったのは自信。
休む時間の中でゆっくりゆっくり自分を取り戻していった。
そこに存在していたのは「人」
人により失ったものを、また人により取り戻す。

時間をかけ少しずつ自分を取り戻している実感を得たとき、先の見えないがんばる行為をしなければならなかった環境を手放した。
その瞬間から物事は動き出す。
方向の転換が始まった。

『そこから私の人生は急に幸福度の高いものとなり、かつてないほどに幸せを感じられる、そして自分らしくあれるところまで辿り着かせてもらった。
自分でたどり着いたというものは一つもないです。すべてはご縁や出来事によって辿り着かせてもらったもの。
自分の生活環境すべてを手放したことで、最初の1週間くらいは明日はどうなるかわからない不安で眠れない日々だったが、
そのあと一気にストンと「やるしかない、自分の生命力に任せてやれるだけやってみよう」というマインドに切り替わった』
とMさんは話す。
さらに、
『そこから物事の変化が目まぐるしく動き、それはすべて自分で決めたことではなく運んでもらったというような、自分でも想像し得なかったような経験をさせていただきました』と続けた。

人に助けられるのは運がいいのか?
すべては自分の過去の積み重ねに他ならないのだ。
出逢いは偶然ではなく必然であり、出逢うべくして出逢っている。

『自分は恩返しができていない』
とMさんは振り返る。
もちろんお世話になった方に恩返しができれば嬉しいことだけれど、必ずしもそれは叶うとはいえないし、
与えた方は恩返しを期待しているわけではないと思う。
世の中は巡っている。出すばかりの時もあれば、受け取ってばかりの時もある。
つまり物事は循環しているのだから、感謝の気持ちは次に出逢う人に繋げていけばいい。

『頭では色々考えてしまってまとまらないけれど、心の底では自分に与えられた命で何かできることがあるんじゃないかというのが根底にあって、
仕事を始める時も何ができるかとか自分の自信とか考えるとゼロになっちゃうのだけど、仕事をいただいた時に
「せっかくいただいたのだからやってみよう」
それもひとつ自分を生かすことになるのかなとやってみた』
と続けた。

ー 離れて俯瞰することで大切なものを知る

筆者の話であるが、初めて社会に出たとき入社した会社に5年勤めて退職をした。
夢を抱いて入った会社で多くのものを得て、成長させていただき、そして手放した。
まったく経験のない別の世界をめざした。
手放してみて初めていかに自分が守られていたか、そして経験できることの大きさや多くの人との出逢い、関わりがあったことに気づいた。
あたりまえのように感じていたものがあたりまえでなかったと痛烈に感じた。
同時に自分にとって何が大切なのかを考えるきっかけにもなった。

中にいると見えないのはいいも悪いもどちらもある。
いながらにして気づければ、手放す必要はないのかも知れない。
ただ手放すとは失うのではない。
経験や記憶はなくならない。
経験や記憶に残らないものを手放していくだけだ。

川の中で必死に溺れまいと掴んでいた木が、自分と一緒に流れていたらその木は掴んでいても流されていくだけだ。
手放すことで動かぬ石を掴むことができるかも知れない。
木を手放さないとその石を見つけても掴むことはできないのだから。

だからとて闇雲に手を放してはいけない。
その木があったから川の中で浮いてられたのかもしれないから。

大切なのは見極めるタイミング。
そこに石があると誰かに教えてもらうことはあっても、掴みにいくのは自分だけ。手を放せるのは自分だけ。

あなたの「手放して手に入れたもの」は何ですか?


いかがでしたでしょうか?
座談会は1時間でありながらとても有益なお話を伺えていると感じています。
このまとめ記事は抜粋ではありますが、誰かの何かの気づきになれば主催者として光栄です。

*9月は都合によりお休みとなります。10月から再開しますが、現在ご紹介制(女性限定)でご案内しておりますのでよろしくお願いいたします。



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