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纏の旅カフェ『遊び』

纏の旅カフェはMATOI'sCAFEの名前を改め開催しています。
人と人が尊重しあい高めあう、月に一度の無料オンラインルームです。
いただいたインタビューをもとに、私のことばを交えまとめたものをご紹介します。
『ー』の後に始まる文章が参加者にいただいた内容です。

「遊び」を考えるとき、対角線上に浮かび上がってくるのは「仕事」。
遊びと仕事には境界線ってある?
個々の遊びの捉え方について伺ってみました。

テーマ『遊びについて話そう』〜遊びを定義する〜

ー 遊びはやっぱりワクワクする。自分のワクワク感や世界観を広げてくれるものです。

自分で話そうと用意していたことばとはまったく別のことばが口から滑り出しました、とMさんは続けた。

ー 結果を求めず自由に挑戦ができる。その自由度が自分の世界をより広げてくれると思います。でも、それがプロフェッショナリティを植え付けられた瞬間に苦しさを覚えてしまいます。
なので、私の中では「自由にのびのび行う」と「結果が求められる」の間に遊びと仕事の境界を感じます。 楽しんで行う先に結果が出るというのは最高の形ですが、結果を前提とした姿勢がプロ意識ではないでしょうか。 プロ意識をもつか、ワクワク感だけかが私の中では仕事と遊びの違いなのかなと思います。

今のお仕事は、遊びに感じる「ワクワク」とは違う感覚で始められましたか?

ー 始めた頃はただただ好きでワクワクの中心にあって、飽きないし、もっと学びたい探究心に溢れていましたから、先ほどの遊びの定義と変わらないですね。仕事にしてから徐々に結果の重要性を知り、そこには苦しみも存在しました。でも成果には大いなる喜びがあり、苦しみと喜びは表裏一体だなと今の仕事を通して感じています。

なるほど、その苦しみを自分で受け止めるか否かが遊びと仕事の境界線なのかも知れませんね。
そこには責任の有無が存在しているのでしょうね。

ー 遊びは自分の人生にプラスの要素を与えてくれています。新しいご縁、自己発見、喜び。マイナスがないですね。
強いてマイナスをあげるとしたら、ハマってしまうと時間を取られすぎてしまうことですね。

お話を伺っていると、遊びの延長に仕事があるように感じる。
遊びに責任が生じるとき、それは仕事となる。または遊びと思っていたらいつの間にか仕事になっていて、ふと責任の重要性に気づく。
いずれにせよ、ごく自然な形で遊びと仕事が融合したとき大いなる喜びへとつながっていく。多くの人が求め模索するいわば憧れの図式のように思えた。

ー 私にとって遊びは不可欠なもの。そして無邪気になれる時間です。

そう語りはじめたAさんにはいつも無邪気さを覚える。さらに、

ー 自分の力が最大限に発揮できる時間。

と続けた。

ー 無邪気さというのは、人が嫌がることを生み出すのではなく場が和んだり盛り上がったりする驚きを仕掛けること。
私の頭の中にはいつもそれが弾ける前のポップコーンのように待機してるんです。

ちょっといたずらっ子な表情でAさんは無邪気に語った。
仕事の中で遊びとの境界を感じたことはありますか?

ー 仕事においても遊びは存在していて、そこでは「ゆとり」の部分なんですよね。つまりメリハリというか、オンオフというか。何かこう、難しいことを伝え続けると受け取り側は自由さを奪われてしまうから、窮屈な場にならないようにゆとりを入れるようにしています。
なので、私の中では遊びと仕事の境界線ではなく共存でしょうか。

おもしろいですね。
先ほどのMさんは遊びの延長上に仕事があり、Aさんは仕事の中に遊びがある。どちらも表裏一体ですね。
仕事の中での遊びに話が限定されましたが、プライベートにおいての遊びはどのように捉えますか?

ー プライベートにおいては「解放」ですかね。私、旅行が好きなのですが、旅先ではいつも自分を変えるきっかけになる出逢いがあるんです。
遊びは自分にとっての変化と成長で、プライベートでも仕事でも遊びは私にとって重要で欠くことのできない時間だなと思います。
遊びがあるからこそ、エネルギーが湧いてくるのですよ。エネルギーが生産性につながっていくのだから、やはりエネルギーを生み出す資本が大事!

生産性、まさにそうだ。間接的に遊びは生産性を高めている。
私は山のぼりが趣味だが、山にのぼっているとき仕事のことを考えてはいない。山に入ると五感が際立つので自分の創造性というものが研ぎ澄まされていく。
すると降りてからふと仕事でもアイデアが湧いてきたり、ことばがポンポン浮かんできたりするのだ。
遊びの中では、
「リラックスするもの」と「夢中になるもの」があるように思う。
前者は脳や体の疲れをとることが目的であり、後者は反対に脳や体に刺激を与えるもの。
どちらも大切な要素だと思うが、創造性を高めるのは後者ではないかと個人的には感じる。
例えば子どもが夢中になって遊んでいるときは、遊びをアレンジしたり新しい遊びを生み出したり創造力がフル回転している。
遊びは日々に疲弊し縮こまってしまった脳を解放してくれるのだ。
もちろん、コミュニケーションや社会性の学びもそこにはある。
豊かさとは遊びを大切にする文化なのかも知れない。

遊びの話はさらに広がり、
「遊んでばかりいないで勉強しなさい」なんていうセリフは親の口癖のように言われたりするが、果たしてどんな声がけをするかという話題になった。

ー 私だったら遊びは遊びで大事だと伝えたいので、「その遊びから何を学んだのかを教えて」と言いたいですね。
何か得られるものがあるのならば大いにやりなさいと言えるし、そこに何もなければ時間の浪費につながっていくので、いつどこのタイミングで終えるかを課題にあげるかな。

ー 嫌いだけど生産性があることと生産性がないけれど好きなことを繋げる方法はないかと考えます。例えばですが、ゲームが好きでそろばんが嫌いだったとします。ゲームの攻略にスコアの計算というのがあったとして、計算力が高まればゲームの攻略に役に立つと理解できれば計算力を高めようと思うかも知れない。計算力を高めるにはそろばんがいいと思うかも知れない。あくまで導きですが、ヒントを与えられたらいいなと思います。

遊びと学びがセットになれば、学びへの苦という固定概念が払拭される可能性は高い。
そんな風な幼少期を過ごせば、仕事というのは自分の好きなことの延長にあると思える子どもが増えるのかも知れない。
つまり、周りの人間のことばがけひとつで子どもたちの未来は夢大きものになっていく。そう信じたい。

最後に話した参加者のことばが印象的だった。

ー 大人は子どもにゲームばかりしないでと言いながら、自分が忙しい時はゲームを与えたりしますよね。いい悪いではなく、自分の行動に目を向ければ違った捉え方ができるのではないかと感じます。

纏の旅カフェではメール参加というものもあります。
日程の都合が合わないとき、テーマに興味がある時はメールでの参加もいただけます。

メール参加の方のメッセージもご紹介します。

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ー 遊び=play ー
play には、演じるという意味もあります。
「どういう自分で楽しむのか」
また「遊び」には「余裕」が必須だと思います。
メンタルが弱っている時には、楽しく遊ぶのって難しいと思います。
遊びに行っても、遊んだ気分になれない。
「遊び」を定義するとすれば、以下の事柄が必要だと考えます。

・楽しむ
・余裕があること
・お金はあったらベターだけど、なくても遊べるものはある
・ひとにもシェアできると、気分が良い

私の遊びって、何だろう?

・温泉でのんびりする
・好きなものを食べる
・スキーで滑る
・ひとに喜んでもらうことを提供する
・知識欲が満たされる
・好奇心が満たされる

「人生そのものが、遊び」
こんな風に言えたら、理想ですね!
ここには、何がおきても受け止める覚悟ができている余裕を感じます。

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「人生そのものが、遊び」
そうなのかも知れない。
遊びから生まれる素晴らしき人生を送るために学びや仕事がある。
分断ではなくすべてはつながっている。

あなたにとっての「遊びとは?」


いかがでしたでしょうか?
座談会は1時間でありながらとても有益なお話を伺えていると感じています。
このまとめ記事は抜粋ではありますが、誰かの何かの気づきになれば主催者として光栄です。

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