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今、研究していることを報告して下さい

 私が勤めていた大学の学部長からの電話がきた。例年、年末にかかってくる。

 今年は、11月中旬だったような気がする。

 例年、3月の定年退職の先生の最終講義への出席のお誘いである。定年退職をされる先生方とは長いつきあいなので、一も二もなく出席する。
 
 最終講義終了後、有志の先生方と会食するのが、慣例となっている。退職してもう3年になるのに、わざわざお電話をいただけるのは本当に有り難い。


研究報告を

 今年も食事会の誘いを受けた。参加しますと即答した。
 
 今年は定年退職の先生がおられなかったようで、食事会の前に研究会を開催することになったそうである。 

 「そうですか、楽しみですね。」と気楽に答えた。
 
 続けて先生は、

 「研究会は、2月か3月に企画しています。それで、先生も今研究していることを何か報告してください。今(2024年11月)からだと未だ3ヶ月ほどあるから、大丈夫ですよね。若い先生たちにも聴きに来てくれるように声をかけておきますから。」
 と言われた。

 正直なところ面食らった。
 
 声をかけられた以上、逃げるわけにはいかない。

研究テーマは?

 やりますと引き受けたものの、定年後何も研究していない。それどころか本さえ読んでいない。毎日、朝から夜までだらだらとYouTubeを見て過ごしていた。脳は完全に弛緩している。

 全然思いつかないので、散歩にでた。
 今住んでいるのは、温泉で有名な伊東市である。
 私の散歩コースに、東海館のところを抜けて橋を渡ると松川遊歩道がある。海沿いから歩いて遊歩道の終点のところに音無神社というのがある。

 神社の説明によれば、伊東祐親すけちかが京都に3年間の大番役で上洛中に、つまり、伊東を留守にしたいた時に、伊豆に配流はいる中の源頼朝が、伊東祐親の三女(地元では八重姫と称されている)と恋仲になり、息子までもうけたそうである。 

 各種の手続きのために市役所に赴いた時に、その前庭に、武士の銅像が立っていた。誰だろうと思ってみたら、頼朝のお相手の八重姫の父伊東祐親である。知らなかった。まったく知らない人物だった。

 春には「伊東祐親祭り」というのが開催されている。私が無知なだけで、伊東祐親は、伊東市では有名人のようである。 

 頼朝は、今の伊豆の国市の蛭ヶ小島に配流され、そこで20年間過ごしたという定説みたいなものがあり、私もまるっきりそれを信じていた。だから頼朝が北条政子以外の人となさぬ仲になり子供までもうけていたというのが、新鮮な驚きだった。

最後に

 伊東祐親は、仇討ちで有名な曽我兄弟の祖父である。 『曽我物語』の中には、頼朝のエピソードも書かれているのだ。

 頼朝関連の書籍を伊東市立図書館から借りたり、アマゾンで大量に本を買って読んでいる。アマゾンから本を買うのも3年ぶりだ。

 伊東祐親では史料が少なく研究報告は出来ないと思ったので、少しずらして「頼朝挙兵」で報告しようと思って準備を始めている。

 気になっていることを少しずつアップしていきたい。

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