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一般住宅地の中古物件を探さなかったのは
東京の多摩ニュータウンには半世紀以上も住んだ。住環境としては申し分ないところだったが、彼女と二人で生活を紡いできた場所なので、それだけに思い出の場所が多すぎて辛すぎた。
住み慣れた東京を離れる決断をした、これから残りの人生を一人で生き延びるために。
賃貸物件は、老人には全然貸してくれるところはなかった。それで中古物件の購入を考えたのだが、一般住宅地の物件は、最初から候補から外した。
なぜか。
濃い人間関係が苦手
30数年ぶりに中古物件を買おうと思ったときに、今まで相談してきた人はもうこの世にはいない。それで、ネットで情報を収集した。YouTubeもたくさん見た。
予想していたことだが、田園地帯だけでなく地方都市であっても一般住宅を購入した場合に、町内会でのつきあいが結構大変で、トラブルもかなり発生しているということが分かった。
一般住宅地の中古物件は、値段も手頃なのがあり、ある意味魅力的であった。しかし、どこでも町内会があり、そして、そこでは、ある種濃い人間関係のネットワークが存在する。
清掃活動までは何とかなるが、祭りなどへの参加の強制などの町内会の活動は、私自身の性格と独り身にはちょっと耐えられないと思った。
お互いのプライバシーについてかなり深いところまで知り合い、そして、親切心からだと思うが、他人の生活にあれこれ干渉してくるような環境は、私には絶対に無理であった。
それで、一般住宅地は、住宅価格手頃であっても購入候補としては排除した。
そもそも社交的ではない
人見知りである。おまけに社交性もない。自分から他人に話しかけたことがない。
生まれてから今に至るまで、友人になった人、親しくなった人は皆、相手から話しかけられている。自分から話しかけたことはただの一度もないと言い切れるほどである。
もちろんこれは友人の話しであって、先輩とか先生とか、関係性が非対称の場合は、この限りではない。
自分の力だけではどうしようもないと思った時には、つまり、煮詰まっていて他人の助けが必要な時、自分にとって危機的状況の時には、本当に遠慮なく先輩とか先生に頼ってきた。今は、従兄弟・従姉妹や年下の先生方に頼っている。そこは、図々しいと思う。
私の人生は、先輩や先生など他人にずっと助けられて何とかなってきたなぁとしみじみそう思う。今は、年下の先生方や従兄弟たちに助けられて何とか生き延びている。そんな感じである。
話しを戻そう。
私は濃密な人間関係が苦手である。だからこそ、熊本の田舎から東京に出てきて住み続けた。東京のどこか他人に冷淡な、人間関係の希薄さは、私のような、社交が苦手な人間にとっては快適だった。
濃密な人間関係を持っていたのは、亡き妻とだけである。これまでの人生での会話の90%以上は、妻とのものである。