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老後の住まい選び:まとめ

 農家の本家の次男坊として生まれた。大家族だった。小学校3年生の頃までは4世代同居で、結婚前の叔父や叔母も同居していた。一番多い時で、12人家族だった。

 大学進学のために東京に出てきてひとり暮らしを始めた時に感じたのは、寂しさではなく解放感であった。

 東京の大学で学び、そのまま大学院まで進んだ。そして、東京の某大学に勤務したので、18歳で東京で浪人生活を始めて以来、約55年間もの長きに亘って東京で暮らした。


なぜ東京を離れたのか

 なぜ東京を離れる決断をしたのか。その理由については、下記の投稿で少しだけ詳しく述べている。

 要するに、東京での生活の大半は亡き妻と暮らしてきたので、彼女の思い出がたくさん詰まった部屋、そして、東京に一人で暮らすことが、とても耐えられなくなったのだ。

 彼女が亡くなってからの生活は、妻に先立たれた夫のまさに典型であった。この状態が続けば、あまり遠くない未来に自分も黄泉よみの国に行くなぁと感じていた。

 彼女のもとに行くには未だ早いと思った。そこで、とにかく生活を立て直すために、東京から逃げ出すことにしたのだ。

 東京の住居をそのままにした状態での転居先探しだった。

 次の移転先が、つい棲家すみかになることは分かっていた。問題は、残りの人生を、とにかくひとりで生き延びなければならないということだった。そのための住居探しだった。

何処に住むのか

 知り合いは圧倒的に東京に多い。それで移転先は、東京へあまり時間と金をかけないで行ける所でなければならなかった。

 持ち合わせの金もあまりなかった。彼女の医療費でかなり使っていた。それで物件の価格が高くないところを重点的に探した。

 夏の暑さも冬の寒さも苦手である。そこで気候が温暖なところを探した。

 いろいろとふるいにかけて残ったのが伊豆半島である。熱海は便利でいいなぁと思ったが、物件価格が高すぎて候補からすぐに外れた。

 いろいろと見て廻って最終的に残ったのが、JR東日本の終点である伊東である。
 南伊東から先は私鉄の伊豆急線になり、伊東駅での乗換が必要になる。お金もかかるし、待ち合わせの時間もかかる。いろいろと不便である。
 熱海と伊東の間の駅の物件も見てみたが、街の規模が小さく、生活するには不便だなと感じた。と同時に、ローカル色が強すぎて、ちょっと馴染なじめないと感じた。
 
 ということで、最終的には、伊東駅周辺の物件を探すことにした。

一般住宅の中古物件を外した理由

 自分の性格をよくよく考えたうえで、住居探しを考えた。
 夫婦での移住ではなく、ひとり暮らしだからである。

 私には社交性が全然ない。人見知りをするし、人付き合いが苦手である。濃密な人間関係が不得意なのだ。

 ということで、まず一般住宅の戸建てを選択から排除した。

 そうすると、候補物件は別荘地の物件か、リゾートマンションになる。

別荘地の戸建てを外したのは

 一般住宅地の物件も別荘地の物件もいろいろと見て回った。やはり住宅探しの一番のネックとなったのは、田舎暮らしというか、地方での生活での必需品である車の免許を持っていないことであった。

 地方での生活、田舎暮らしの必需品は自動車の免許であることを、いろんなところで言われた。私の交通手段は、公共交通機関(バスと電車)と自転車、そして徒歩である。
 
 そして、何よりもこれからはたった一人で暮らしていかなければならない。子供との同居などを考える余地は、少なくとも私にとってはゼロである。子供に頼ることはまったく出来ない状況である。

 以上のようなことを考慮に入れると、別荘地の戸建ては魅力的ではあったが、現実味はまったくなかった。

探し当てたリゾートマンション

 それで最終的には、リゾートマンション一択で物件を探した。

 その時の条件は、下記の投稿でも書いたが、駅近大浴場の温泉が付いていることである。

 探し当てたリゾートマンションの物件は、私の求めていた条件を満たしていた。駅近であるが、繁華街や住宅地から離れたところにある。

 マンションに辿り着くためには、急傾斜の坂を登らなくてはならないが、まぁ、それも一興である。
 
 部屋の広さは、ひとりで住むには十分である。
 
 築60年以上経った物件であり、部屋のリフォームもまったくされていなかったので、かなりいたんでいた。リフォームが必要であった。リフォームに500万以上かかった。しかし、物価価格が手頃だったので、それほどの負担にはならなかった。

 


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