手話と落語の共通点 〜デフ・ヴォイスを観て〜
私は以前から手話に何か惹かれるものがあった。
そして娘もNHKの手話ニュースをたまたま見かけて手話に興味を持ち始めた。
手話は会話の中でも特に情報がよく伝わる。
表情、手や指の動かし方、動作の速さ、、
性格やその人の思考まで表しているかのように人それぞれで異なる。
偶然デフ・ヴォイスの裏側のドキュメンタリーを観て、本編に興味を持った。
録画していたものが手話付きのものだったのだが、私はその本編の横で手話通訳をしている女性に釘付けになった。
俳優の声で伝えている感情の揺れを、見事に手話で表されていた。
上司が部下に言う口調、怒りを込めた口調、優しく寄り添う口調、、どれも見事だった。
そして複数の人が話す会話を1人で全部手話にしている様子は圧巻だった。
そしてなぜか既視感があった。
それは落語とよく似ていたのだ。
人を使い分けた動きが、それにそっくりだった。
そうか、手話通訳とは単に言葉を手で訳すだけではないのか。
思いを乗せて、その人の雰囲気も全て手話に込めて初めて通訳になるのだなと思った。
以前テレビを見ていた時に、「震災や戦争の話を手話で伝えていきたい。リアルな状況を手話で伝えたい」と話していた意味が初めてよくわかった。
そして作中の「聾者には聾者の文化がある」というのも納得がいった。
娘が錯覚興味を持ってくれたので、これから機会を見つけて手話にも親しんでもらいたいと思う。