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MT数学史#2 古代バビロニアの粘土板と六十進法

写真の粘土板は有名なYBC7289というものです。Yale Babylonian Collection の7289番でノイゲバウワーとサックスにより解読されました。(聞き流し推奨)

その大きさは切手大から大判書大まで、形も長方形や丸などありますが、大体は思ったより小さくて手のひらサイズ。

この意味する所は携帯的実用性です。実際、バビロニアでは数表がかなり利用されており、その幅たるや、逆数からn^3-nの表まであったそうな(怪談)

とはいえ日常的に使っていたのは乗数表と逆数表だったと思われます。古代バビロニアでは六十進位取り記数法が使われていて、不完全ながら小数もあったので、掛け算もお手のものでした。

想像以上にこれは先進的なことで、中世までヨーロッパにおいては出来たらドクトルになれた除算でさえも、古代バビロニアでは逆数表で逆数を読みとって乗算になおしていたようです、こちらはエリートと神官ですけれど。マントラ&エルトール。

表にない場合はその場で作っていたか、近似で満足していたのでしょう。古代において近似はどの文明において実用性からしても大切な概念でした。今からすると不正確なような気もするかも知れませんが、古代ですからそこは優しく鷹揚に。



さて、YBC7289(覚えた?)に戻りますと、なにやら正方形の周りに色々と楔形文字で書かれている様子。対角線と思しきものの上に書かれているものを現代の記号に直すと六十進表記で1; 24,51,10と書かれています。;は小数点で、, は各桁の区別のために置いてます。これを十進に直すと
1+24/60+51/60^2+10/60^3 = 1.41421296,,,
であり、
√2=1.414213562373095,,,
ですから結構いい線行っていますね。

なお六十進では小数点3桁だけですが、より精度が良いのは測る尺度が60のべきで、10よりも細かくなっているからですね。

とはいえ近似よさのために六十進を用いていたわけではなく、主な理由は天文からの由来と60の約数が多いことです。

天の観察によれば太陽年が360日近いので印象的にそれを円で表します。それを半径で円周を切り取っていけばちょうど6分割されます。内接正六角形の出来上がり。一つ当たり60日になりますから考えやすいだろう、というわけです。

実際、バビロニアはお月様が好きだったようで太陰暦の方も強く採用していましたが、2ヶ月単位で季節を捉えていた形跡があるそうです。フェアリー・ヴァース。

もう一方の、約数が多いことによる恩恵は、普段使う程度の分数が無限小数にならず厳密値を扱えるということです。

例えば、僕らの十進では1/3=0.33333333,,,と循環し無限に続いてしまう一方で、六十進では
1/3 = 20/60 = 0; 20 とピッタリです。

数学的にいえば60の素因数2,3,5のみを分母にもつ分数は六十進数で有限小数になります。そしてそれだけです。これは僕らの十進において、2,5のみを分母にもつ分母だけが有限であることと全く同じです。

つまり有限か否かというのは進数表現によるもので、一般の理論的にはあまり重要なことではないわけです。むしろ無限有限の違いではなく循環するか否かのほうが重要で、これは有理数無理数の違いです。

ちなみに循環節の長さも進数表現によるものですが、背後にはちょっと群論の初歩があって面白いところです(個人の見解)

さて、こう聞くと「僕らも六十進になって、幸せになろーよ!」という声が聞こえてくるかもしれません。実際、十進一強の現代においてさえ時計や時間・角度などにその名残はあって部分的に馴染んでいるものの、過去に戻る必要はありません。理由は例えば2つほど。

まず第一に、一桁表すのに原理的には60種類の記号が必要になってかなーり面倒です。バビロニア人も各桁の中で十進をおりまぜながら表記していましたが、結局そういうことになりますし、統一性に欠けるのは数学表記として避けたいところです。

60種類を覚えるくらいならまだしも、算術となると絶望的です。位取り記数の計算は便利とはいえ、その円滑な遂行の為には九九表を覚えていることが大前提となっています。みなさんが暗記の苦労を忘れてしまっている小学校時の九九表(ほんとは数学的には十十表)が60×60表になります。これを暗唱できる方は挙手、あなたはバビロニアのエリート高級官僚になれます。

六十進の表記や表はたしかに十進より面倒ですが、古代の秀才は余裕でそれくらいやってのけます。そもそも我々の十進だって二進人間からしたら相当面倒でしょうし、慣れなんでしょうけれど、国民皆教育としては現実的では無さそうです。だからこそのエリートだったわけですね。ベジータも泣きます。

第二に、数学的にいえば何進数をとるかというのは単位尺度の取り方に過ぎず、対数の底の選び方と同じであまり価値がないことです。むしろ進数表現の肩が対数なので同根です。つまり短い定規で測っていくか、どでかい定規で測っていくかの違いに過ぎないわけです。


そんなわけで、

見慣れたはずのバビロニア粘土版の背景にある古代のエリートたちによる高いレベルの数学の素晴らしさを感じ取られたら、この記事は大成功です。いいねとサポートの方も是非よろしくお願いします。

MT

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