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真田家の「白山」とは?

真田家を主人公にした大河ドラマ真田丸。
早、放映から3年が経ってしまった。

振り返れば、真田家発祥の地であり、昌幸・幸村が紀州・九度山に流される前までの、私も含め上田を中心とした小県(ちいさがた)の地の人たちは、大河ドラマの主人公に真田信繁が決まったときは(放映してみれば、昌幸も信幸も主人公だったが)、大変喜んだ。

それもそのはず、母校の同窓会では有志の先輩たちが「真田家を大河ドラマに!」と何年も署名活動までしていたのだから、、、。

放映がされると、信州の人たちの視聴率が飛び抜けて高いとニュースされるほどだったが、その地元の英雄への熱はテレビの中だけでは収まらなかった。

上田城内には、撮影で使った道具、資料、セットなどを展示した資料館が開館し、連日の大勢の人たちが訪れた。

私も家族と一緒に、一度見学をした。

塗り壁で作られたタイトル、オープニングのCGなどのロケ地など、色々興味深かったのだが、一つ気になっていたことがある。

昌幸が息子達と話しをする時の間に飾られいる掛け軸「白山大権現」を見たときだ。

「なぜに、信濃国で加賀、越前の白山信仰なのだろう?」という疑問を持ったが、ろくに調べもしないうちに、記憶の片隅にしまい込んでいた。

ところが、3年経った、先日、春の陽気に誘われて上田から東御へ歩いて帰る途中に、白山の正体がわかった。

祢津街道沿いに上田第一中学の台地に上がる。
街道沿いの水田はまだ茶色だが、水路には水が流され、畑の梅の木は花を満開に咲かせている。

上田市民に親しまれている太郎山は陽だまりに浴している様だ。小県の秀峰で、「あの山に雪が三度降れば、里にも雪が降る」と言われる烏帽子岳も、白化粧を落とし始め、衣替えの用意をしている。

里の山々はみな春にむけて、ひと時のこげ茶色になっているのだけれども、1つの山塊だけが、未だに、冬そのままの白さを誇っている。

そう、それが写真の四阿山と根子岳。小県や山好きの人以外では、ピンと来ないが、裾野にある地名、「菅平」といったら分かる人は多いだろう。

地域の人としては前座に根子岳、真打ちが四阿山と捉えている、標高が高い二座なのである。

それが遠近の関係で、里の山々と同じぐらいの高さに見え、ほかがこげ茶なのに対して、真っ白な山容が目を引く。

昔の小県の人々がその姿を見て、奥にある四阿山に神秘性を感じ、祭り上げた。

そう、真田家の白山は、四阿山なのだった。

ここまでだと、「白山の正体は四阿山でした。」で終わるのだけど、おまけがある。

徳川家が攻めて来た第一次上田合戦の際には、上田の東側を走る川が防衛ラインとして機能した。

場面は合戦の終盤。

上田城を攻めたが、真田親子の戦上手にやられた徳川軍、真田軍の追撃から逃れるベく、攻める時に渡った川を渡り直す。

が、追っ手がかかっている恐怖で足を滑らせたのか、それとも、その日が雨で増水したのだろうか、逃げる徳川軍の兵士が川の水に飲み込まれ、溺れたものが大勢出てしまった。

この損害で、徳川軍は上田城にすぐに攻撃をし直すことができなくなり、応援を待つことになった。
その来援の到着までの間に、豊臣秀吉が仲介に入り、真田家は助かるのである。

川での徳川方の損害がなければ、真田家はどうなっていたのだろうかとも思うのだけれど、
実はこの川の名は神川(かんがわ)と言われ、その源流は四阿山なのである。

はてさて、真田家が代々祭り上げていた、ご利益だったのだろうか?

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