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【起業家を育てる名著】板倉雄一郎「社長失格」


私が考える「起業家」という人種

私は、1996年に起業家デビューしました。起業家として自分を成長させる上で、とても役に立った名著をご紹介するシリーズを開始します。

「起業家」という定義が、文脈によっていろいろな使われ方をするので、この名著紹介の記事におけるコンテキストをまず最初に明らかにします。

スタートアップ企業のリーダーの3つの顔

私が思うにスタートアップ企業のリーダーには3つの顔があると思っています。

オーナーとしての顔

オーナー=資本家としての顔です。

出資や債務保証などを通じて個人資産を法人に拠出する機能を果たします。
拠出した資本については、会社と夢を共にする胆力が求められます。

個人的な見解としては、事業の「今(As-Is)」の状態に対して投資をするのではなく、「将来(To-Be)」を評価して投資しなければ、オーナーとしての投資額の判断もできず、投資回収(リターン)も最大化できないように思います。

経営者に対して合理的な説明責任を求める姿勢や、起業家の事業化進捗への好奇心も必須でしょう。

(同じ人がオーナーと経営者を兼ねているケースも多いと思いますが、顔は使い分けて判断すべきです)

経営者としての顔

オーナーから委託されて会社の意思決定をする機能です。

様々な意思決定の前提となる経営の結果・数値・期日に対しては、自分の時間や能力を可能な限り全て捧げて、解任されない限りは、結果責任・説明責任から逃げないことを確約することが求められます。

オーナーと合意した資本の範囲内で、人材の調達、人材の最適配置、人材のリテンションを考え、強いチームを作ることが、経営者の最大の付加価値だと考えます。

自分が仕事を頑張ってするのではなく、他人に仕事をさせ切るのが、経営者の力量です。

言葉を変えると、人が輝くように下支えするのが経営者の役割です。

個人資産を拠出する役割をオーナーの役割だとして切り出すのであれば、経営者がとっているリスクは役員報酬としてのサラリー(給与所得)のリスクだけです。

経営者が会社のトップだと考えるのは、僕は偏った考え方だと思っていて、経営者は会社の下働きをしているという意識で謙虚に構えるべきだと考えます。

起業家としての顔


今まで誰もやったことがない未知なる事業に挑戦する機能です。

誰もやったことがないことに挑戦するので、失敗は恐れなくていいが、現実を直視し逃げずに、自分のポテンシャルや才能を捻り出して、やれることを全てやる実行力が求められます。

失敗を恐れずに、やれることを全て実行している限りにおいて、起業家は、事業化する領域については世界トップレベルの専門性がつくはずです。

世界トップレベルの専門性がついてないとすると、参入が遅すぎたなどの言い訳ができるかもしれませんが、結局のところ、起業家としては鍛錬不足だと考えます。

鍛錬不足の現実を受け止め、その世界での挫折を認め去るのか、諦めずに自分を高めるのか、鍛錬不足を放置するのか、いずれかの決断をするのかが問われます。鍛錬不足を放置するのは、人生の時間の無駄なんじゃないかというのが僕の個人的見解です。

オーナーが代わろうと、経営者が代わろうと、事業化を継続する可能性が残される限り、なんとかして事業化をしてやろうという執念が、起業家の本質かもしれません。

ここ10年ぐらいでだいぶ変わってきましたが、私が起業家デビューした1996年ごろの日本においては、ベンチャー企業では、社長がオーナー・経営者・起業家の3つの機能を全て果たすことを期待されていたように思います。

僕は、ベンチャー企業の社長をやってみて、それはまあ無理で、VC、事業パートナー、プロ経営者など、いろんなタイプの組織や人材を巻き込まないと、会社は成長させられないなと実感しましたです。

スタートアップの2つの種類: 新規事業型と暖簾分け型

また、1996年以来いろんなスタートアップをみていて思うのは、(1)暖簾分け型のスタートアップ企業と(2)新規事業型のスタートアップ企業があります。

暖簾分け型

前職で学んだノウハウを土台に同じ業界で起業するパターンです。
前職で学んだ成功の再現性をチューンナップすることで会社を成長させます。
このパターンでは、僕の定義する起業家の顔というよりも、経営者の顔が、勝敗を分けるように思います。
このパターンの起業の価値が低いとは全く思いません。

新規事業型

新規事業という言葉が令和に入り古くなってしまった感があるので、あまり使いたくないのですが、良い言葉が思いつきませんでした。

前人未到の未知の世界を切り拓くパターンです。

ただ、何を持って、前人未到の未知の世界を切り拓くパターンなのかの定義は結構難しいです。

日本企業の創業は、ほとんどが欧米の先行事例を日本流にローカライズしたものが多いですが、それが果たして、暖簾分け型なのかというと一概に全てがそうとも言えません。

NCRのキャッシュレジスターやMicrosoftのMSDOSは、他社の技術を自社で事業化したのですが、暖簾分け型なのか新規事業型なのか考えさせられるところはあるのですが、技術は持っていても事業化できないケースはいくらでもあるので、どちらも新規事業型だと言えなくもない、など判断難しいです。

イーロンマスクは、テスラ・スペースXなどはピュアな新規事業なようにも思います。

究極的には、起業家が独自価値を作ろうとする哲学や精神の強さに行き着くようにも思います。

この記事の「起業家」のコンテキスト


前置きが長くなりましたが、この記事では、新規事業型スタートアップ企業の中で、「3つの顔」の「起業家としての顔」を果たす人を起業家という人種だと仮定して、そういった人種を志している方々に対して、僕が実際に読んで気づきが多かった書籍をご紹介します。

板倉雄一郎「社長失格」

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この本は、僕が起業家デビューをして、2年目か3年目に出会いました。
当時、本屋で山積みになっていました。

当時、社長が書く本は、苦労した創業者が悪戦苦闘を共有するという建前で、成功者が成功体験を世の中に自慢したいだけの目的で書いたんじゃないかと思って、当時若かった僕は穿った見方をしていて、全く読む気になれませんでした。

その僕の浅はかな見解を見事に打ち砕いたのが、社長失格という衝撃のタイトルの本でした。

「そんな本を出すのありなんだ!」と常識を覆され、起業家の自分はテンション上がって、即買いしました。

以来、何度読んだか分かりません。

松下幸之助よりも、本田宗一郎よりも、盛田昭夫よりも、孫正義よりも、三木谷浩史よりも、藤田晋よりも、僕の中では、板倉雄一郎が起業家らしいThe起業家として記憶に定着しました。

人間的未熟さ、経営的未熟さをさらけ出しているところが、非常に学びとなる。

成功者によって、成功体験を自慢するコンテキストで紹介する苦労話よりも学ぶところが非常に多い。

等身大で、起業を学ぶ解像度が圧倒的に高い。

この本を読んで、起業家として何度救われたことか分かりません。

本書を買って、もう卒業できたと売って、「あ、やっぱりまた助けてください板倉様」とまた買って、危機を乗り越えて、また売ってを繰り返しています。3回か4回は買ってます。

人にプレゼントしたこともあるので結構買ってます。

これから家族や友人が起業するときは、絶対に贈ろうと固く心に誓ってます。

何を私が本書から学んだかは次回また書きます。


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