マタニティリープマガジン vol.13 お母さんになりたい夢を持っていた女性が抱えた葛藤「妊活やコロナ禍出産、2度の海外赴任、家族や上司・同僚の応援で叶えた夢」インタビュー 2回目/全4回
みなさん、こんにちは。「マタニティを飛躍の機会に」。マタニティリープです。このマガジンでは毎週木曜日にメインコンテンツとして、マタニティ期、子育て期の経験とリープについて伺ったインタビュー記事を連載しています。前回から始まった夏木心菜さんのインタビュー(全4回)の2回目となります。読んでいただいて、共感したり、元気になったり、癒されたりと、みなさんの力となる記事になれたら嬉しいです。
▪️マタニティリープインタビュー 夏木心菜さん
〜夏木心菜さんのマタニティリープジャーニー〜(2回目/全4回)
現在、41歳の心菜さんには2人の子供がいる。同じ会社に働く旦那さんとの4人家族。現在旦那さんの2度目の海外駐在に同行し、育休中。そんな心菜さんのマタニティリープの物語です。前回はお母さんや弟さんに支えられ単身で出産を迎え、旦那さんの海外赴任先のアメリカでの育児の話をお届けしました。今回はその後のお話をお届けします。
前回のインタビュー(1回目/全4回)はこちら
第二回------------------------------------------------
ーー少し話を変えてもいいですか?
ーー会社に入る前のことですが、ご自身がどう育てられたのか、自分が育った環境は、今の子育てなどに影響しているのか聞いてもいいですか?
「自分は自分」と思っていた小学校時代と中学校時代のいじめ
5−8才までアメリカにいて、小学校3年生で日本に戻って、日本の公立小学校に転入したんですけど、横須賀市だったので、日本では珍しく見られていたのを覚えています。
小学校はすごく楽しく通っていました。でも、日本とアメリカの学校のギャップみたいなものを感じたりしました。日本の小学校は和を大事にしていて、ちょっと違うようなことは目立つんだなとか、そういうことを学びました。
そうしながらも、どこかで同時に「自分は自分」と思う自分もいました。そうしたことも影響したのか、私立の中学に入学して、1年生の時、いじめを受けました。
今思うとよくあるような感じなんですけど、ある日突然、親しかった友達が私をいない存在のように無視をして、存在を消されたような感じになったんです。
自分を嫌いになる気持ちを勉強で紛らわす
それで、自分は自分と思っていたところから、私が悪いから、こういうことをされるんだと自分を否定するようになってしまったんです。友達と遊ばず、週末は家に引きこもるみたいな、そんな中学時代を過ごしました。
中高一貫の高校に入って、友達も変わったりしながらも、自分を嫌いになる気持ちは変えられませんでした。大学受験の勉強をすることで、その意識を紛らわすような感じでした。
大学でのアメフト部入部が自分を変えるきっかけに
それから大学に入りました。女子校からいきなり男子も多い学校で、しかも大学では自分で授業について考えていく。全部自由で、あなたが自分で決めなさいみたいな環境に入って、こんな中でやっていけるのかなと思いました。同時に、自信のない自分が嫌で、自分を変えていきたいなって思っていたところもあって、チャンスだなとも感じていました。
そういえば、昨日ちょうど、大学時代の部活の後輩と話していたこともあって、、、。
ーー何の部活だったのですか?
アメフト部のマネージャーだったんです。
そんな暗い自分だったのに、よくアメフト部に入ったなと思います。それはやっぱり自分を変えたかったからというのが理由だったなと思っています。
アメフト部の人たちは、本当にウェルカムしてくれて、こんな自分にも話しかけてくれる安心感がありました。それに、自分達の活動に誇りを持って話している姿がカッコよかったんですよね。それを見て、自分も変われるんじゃないかと思って、入部したいなと思ったんです。
アメフト部に入ったことで自分が変わる最初のきっかけをもらえたな、って今でも思っています。
ーー夏木さんは落ち着いて朗らかで笑顔が明るいイメージがありますが、そういう時代があったんですね。
お母さんになりたいという夢
ーーその後は会社に就職したのですよね。
ーー会社に入る時は、妊娠出産とか、自分の人生をイメージしていたのかしら?
どうですかね、、会社を選ぶ条件や理由になったかは置いておいても、私は小さい頃からお母さんになりたいというのは思っていました。
会社に入るとき、そこまで考えてはいなかったと思いますけれど、将来のイメージにはあったんじゃないかと。
ーー入社から結婚出産というところで、これはリープだったと思うことはありましたか?
最初から人事部門に配属されて、ずっと人事部で、人事の仕事が好きでした。いい部門で、いい友達ができたりして、楽しかったんです。でも、お母さんになりたいという夢はずっとありました。
漠然とした不安、今の生活に不満はないけれど
20代後半は、なかなかいいご縁に恵まれることがなく、毎日充実していて楽しいけど、漠然とした、ずっとこんな感じだったらどうしようという不安がありました。
ーー結婚するとかそういうところにいかないその日常に漠然とした不安感があった?
その時期にお付き合いすらしていなかったので、私はこのまま一人なの?という不安もありました。周りが結婚して、結婚式に参加する機会も増えて、そのうち子供ができたという話を聞くと、自分の今の生活に不満があるわけじゃないけれど、焦りや不安になることがありました。みんなの集まる場に行くのも苦しいなと思うような時がありました。
私、35才で子供を出産すると決めた
私は結構、年を重ねるとか、新しい年になるということを自分の切り替えのタイミングにしていると思うんです。30才になった時にも開き直る自分がいて、30才だから、新しいスタートだ!とその時に思えたんです。
何の拍子かわからないんですけど、突然、「私は35才の時に第1子を出産する」って決めたんです。全然謎なんですけど。(笑)それがどこからきているのかも謎なんですけど、これって決めたら、すごい気が楽になって。「35才でしょう。私今30だし、まだ時間ある」と思ったんです。そこから本当に気が楽になって、周りのことが気になるとか、不安とかそういうものから解放されたんですよね。
一年先のことまでしか考えない
ーーこれまでの話を聞いていると、夏木さんは、吹っ切って変えていくことを何度もやってきたんですね。
そうですかね。それを決めてからはあまり先のことを考えずに一年後のことまでのことしか考えないようになりました。
この一年をどう過ごすか、という考え方に変わった気がします。すごく先の未来のために今どうするかを考えると、自分が制限されたりとか、不安に苛まれたりとか、これでいいのかと考え始めちゃったりするんですけど、一年後のことだったら考えられるじゃないですか。それからあまり先のことは考えすぎないようになりました。
そんなふうに過ごしていたら、夫とご縁があり、結婚して、本当に35歳で出産したんですよ。
ーー本当に35才で出産したんですね!
変化の多い生き方へ
そんなふうに過ごすようになってから、変化がすごい多くなったような気がします。毎年、なんか起きてるんです。結婚した、妊娠した、海外行った、アメリカで一年過ごし、帰ってきて、次の年に復職して、妊娠して、子供生まれて、次の年にベトナムにくる。、みたいな毎年変化が起きて、、。
そういう生き方を自分で引き寄せているのかどうかはわかりませんけど、変わった気がします。
<次回3回目に続きます。>
▪️マタニティリープ情報
「ゆくリープくるリープ」今日開催しました!
マタニティリープでは、妊娠出産後の可能性や選択肢が拡がり、リープ(飛躍)につながるイベントやワークショップを開催しています。
本日「ゆくリープくるリープ」(年末イベント)を開催しました。「ゆく年くる年」にちなんで、今年私たちがリープ(頑張った)したこと、そして来年こんな年になったらいいなと希望や夢を語り合いました。今年の自分をねぎらい、そして来年起きたらいいな、できたらいいなを遠慮なく口にして、実現に繋げてしまおうという濃厚な時間となりました。
出版活動も着々と進んでいます。今はイラストについて進めています。みなさんのマタニティリープのお供になる素敵な本を作成しています。お楽しみに。
<編集>
マタニティリープ合同会社
https://www.maternityleap.com/