マタニティリープマガジン vol.29 子供たちへの思い「根っこがわかると楽になる」食の探求そして移住、パートナーと築く新しい暮らしのかたち 1回/全4回
みなさん、こんにちは。「マタニティを飛躍の機会に」。マタニティリープです。このマガジンでは毎週木曜日にメインコンテンツとして、マタニティ期、子育て期の経験とリープについて伺ったインタビュー記事を連載しています。今回始まるのは日々の暮らしを丁寧に優しく楽しくするHACHINAの木村陽子さんのインタビュー(全4回)です。読んでいただいて、共感したり、元気になったり、癒されたりと、みなさんの力となる記事になれたら嬉しいです。
▪️マタニティリープインタビュー 木村陽子さん
〜木村陽子さんのマタニティリープジャーニー〜(第1回/全4回)
現在、木村陽子さんには20歳と15歳の13歳、3人の子供がいる。昨年、東京から函南に移住し、パートナーと2人の子供と共に暮らしている。「食を通して子供と家族を守る」を人生の中心に置き、栄養士として、母親として、学びや実践を続けてきた陽子さん。今、長年描いてきた夢が実現しつつあります。三人の子育てを通して何を学び、今、何を思うのか。第1回目の今回は陽子さんがどのように食の道へ入っていったのか、そして初めての出産について伺いました。
三人兄弟の末っ子で自由奔放に育つ
ーー早速ですが、今の家族構成やお住まいをうかがってもいいですか?
木村陽子さん(以下陽子)私とパートナー、中三の次男、中一の娘の4人で一緒に住んでいて、長男は大学生で一人暮らししています。最近、函南に引っ越してきて、その前は東京に20年くらい住んでいました。
ーー陽子さんはどちらの生まれですか?
陽子 生まれたのは横浜の藤が丘で、父が転勤族でいろいろ転勤したみたいですが、幼い頃だったので記憶はなくて、一番長いのは横須賀で20年ですね。幼稚園から結婚するまでずっと横須賀にいました。横須賀も広くて、私の場合、横浜寄りの横須賀なんです。逗子とか湘南の方の横須賀で、お魚とか野菜とかすごく美味しい場所でした。
ーー子供の頃の食べ物の思い出とか?
陽子 しょっちゅう魚屋さんに買いに行って、これどうやって食べるの?と聞いたり、目の前でさばいてもらったり、そこに行くのが大好きでしたね。
ーー陽子さん、ご兄弟はいらっしゃるんですか?
陽子 姉と兄がいて、私は末っ子です。歳が兄とは8歳、姉とは4歳離れています。今、私の一番下の娘が一番上の兄と7歳離れてるので、末娘の気持ちがよくわかります、フフフッ。
ーー下からの気持ちがわかる感じですね、偶然そういうことに?
陽子 そうですね。やはり子供は3人欲しかったです。何をするにも、3はバランスがいいなとなんとなく思ってました。自分も三人兄弟が楽しかったんです。
ーー三人兄弟、楽しかったのですね、どんな思い出がありますか?
陽子 一番下なのでね。私はとても兄に甘やかされて、自由奔放に育てられました。多分、親は大変だったと思いますね。私は結構自由人なので、勝手に自分でいろいろなことやっちゃう子でした。人に言われても自分が納得しないと嫌なので、勝手に動いちゃうんです。
仕事はしなさい、家庭は家庭で守りなさい
ーーお母さんは何をされてたんですか?
陽子 母は家で編み物教室をやってました。家にずっといて、私が家に帰って来ると生徒さんがいる、そういう感じでしたね。母は、セーター、靴下、手袋、帽子とか、いろいろ編んでくれました。編み物以外にもお料理も、手仕事をする人だったので、いろいろなものを作ってもらいました。
ーー陽子さんに受け継がれているところはありますか?
陽子 あります。私の祖母もお料理が得意だったので、そういうところはすごくあります。姉も管理栄養士なんです。やはりそういうのは受け継いでいるような気がしますね。母は、外に働きに行くというより、家庭を守る人だったので、家で教室するというのが母にとっても良かったみたいですね。子供が帰ってきても、家に自分がいるっていうのが良かったらしいです。私は母から、「仕事はしなさい、でも家庭は家庭でやっぱり守りなさい」って、よく言われて育ちました。
ーー陽子さんはその後どうしたんですか。一人暮らしをするようなタイミングはあったんですか?
陽子 はい。そうは言いつつも家が厳しかったので、一人暮らしはさせてもらえず、八王子の大学まで通ってました。二時間くらいかけて横須賀から。大学院もそこに行ったので、結局ずっと通い続けました。
子供からみてあげたいと小児栄養の道へ
ーー大学時代は何を学ばれたんですか。
陽子 大学は栄養学科の管理栄養士専攻です。卒業して国家試験を受けて三年間社会人として働きました。それから、私はもともと小児栄養をやりたかったので、もう少し小児栄養を深めようと思って仕事をやめて大学院に入り直しました。
ーー三年間社会人というのはどういうお仕事されたんですか?
陽子 管理栄養士として働いていました。小児栄養を始める前に、人生の全部のライフステージを覗いてみたかったのです。ですから、最初病院に勤めて、その後、高齢者施設に勤めました。それから、健康だけれど病院に入るほどではない何かを抱えている人たちってどういう人なんだろうと思って、薬局のサプリメントコーナーみたいなところにも勤めました。要するに子供を知る前に、大人のライフステージとか、健康な人、病気の人、そういう人たちにも触れてみた方がいいかなと思い、三年間いろいろ勤めました。それで、いよいよ小児栄養を深めようと思って、もう一回大学院に入り直して小児科医の先生にのもとで勉強し直しました。
ーー小児栄養に興味を持ったというのは、なぜですか?
陽子 大人の体の状態や食習慣を見たとき、子供時代のベースが大事で、きっと子供の時の食環境や生活環境が影響しているのではないかと感じていました。でも子供って自分では動けないですよね。大人だと自分で責任を取って行動を取れますが、子供は周りの環境によってずいぶん変わるので、それがそのまま大人に繋がっていってしまうというのがいたたまれない。そういうのがあって、やはり子供から見てあげないとダメでしょ?と思っていました。
私は末っ子で、少し重いぐらいの愛情を受けて育って、若い時はそういうのが嫌な時もありましたが、大人になるにつれて、ありがたく感じることが多くなりました。それも関係していると思います。そういう愛情を受けない子供時代というのは、やはり大変だなという思いがあります。それで、私は食からアプローチしていけたらいいなと思ったのです。
大学院在学中に結婚、やっぱり仕事がしたい
ーー大学院へいってその後どうしたのですか?
陽子 その後、大学の助手をしていました。だけど、いろいろ調査して、データ収集して、統計とって、論文書く、というようなことがすごく苦手で、やはり現場が良くて、、、。そうしていたときにちょうど結婚もしたんですよね。大学院2年目で27歳の時です。その後、大学院を修了して、29歳の時に上の子を出産しました。一年間は仕事と両立できるかどうかわからなかったので、仕事はしてなかったのですが、やっぱりムズムズと仕事がしたくなって。
ーーそうなんですね。それからどうされたのですか?。
陽子 一歳までは仕事しないで家にいましたが、こういう世界は進歩も早くて、少し離れてしまうと、もう栄養学についていけなくなったりします。そういう怖さもありました。大学の先生が、少しでもいいから、世の中に触れるようにした方がいいよ、週一回だけでいいから学校手伝いに来て、と言って下さったこともあり、大学で助手をしていました。本当に細い糸一本で社会につながっているような環境で一年ぐらいはやってました。その後、しばらくしてから自宅で栄養指導の仕事を始めました。母親向けの市民講座の依頼を受け、始めたのもこの頃です。
自由になりたくて「もういいでしょ」と
ーー少し話は戻りますが、お子さんが生まれるまでのことを聞いていいですか?どんな流れで結婚出産ということになったのですか?
陽子 半分は、家を出たかったというのがありますね。それまでずっと実家にいたので、自由になりたくて。もういいでしょ、と。
姉は割と実家でぬくぬくしてられるタイプなんですけど、私はダメなんです。あとは、27歳という、年齢的なこともあったかもしれないです。それで結婚して夫と一緒に東京に住み始めたんです。
ーーその後、子供ができた時どう思いました?
陽子 すごく嬉しかったですよ。三人とも嬉しかったです。自分の仕事がまたストップするなとか、いろいろなことをゴチャゴチャ考えますけど、でも子供を授かるってことは基本的には嬉しいことですよね。夫も喜んでいました。
ーー育児体制はどうでしたか?
陽子 最初の子は可愛いものですから、協力したりもするし、幼稚園ぐらいまでは、二人でやっていました。私が7割、夫は3割ぐらいでしたね。
ママの大変さを実感、一人で肉じゃがが作れた!
ーーお一人目の妊娠、出産で、印象に残っているエピソードはありますか。
陽子 三人とも立会い出産で、私は割と安産らしいのですが、最初は必死で、出産後こんなにぐったりしているのに、先生から安産でしたねと言われて、これが安産なの?!と驚きました。少し大変な人はどうなんだろうと思いました。でも、不思議なもので、そういうことを忘れますね。次も欲しいなって思っちゃう。女性って強いなと思いました。
ーー妊娠時は順調な方だったのですか。
陽子 そうですね。一人目はつわりがひどかったのですが、仕事の人たちも協力してくれてお休みをくれたりしてたので、環境的にはありがたかったです。
ーーその時は自分の食にも気をつけて?
陽子 はい、今まで自分が勉強してきたことを実践できるので、自分が実験台みたいな感じでした。出産してその後離乳食をつくって、全部自分が実践できるというのは勉強になりました。ママ友も増え、机の上だけで勉強できないことが、どんどん周りから見えてくるので、仕事と実践が繋がってきて、とてもありがたかったです。
ーーやってみたことなどで印象に残っていることはありますか?
陽子 ママが大変だということは知っているつもりでしたが、本当はこういう感じなんだと身をもって体験しました。本に書いてあることをやってみると、こんなことできるわけないじゃん!みたいな(笑)。自分もこうやればいいんだと軽く言っていたけれど、実際できない。そういうことも結構あって、一つ一つが勉強になりました。
ーー発見の連続みたいな感じですね。
陽子 一人目の時は、神経質になって、お布団に寝かせてオギャっと泣こうものなら、すぐ抱っこしたりして、ほっとけない。それで、全然お料理ができなかったんですね。三ヶ月ぐらい経って少し落ち着いてきた頃、初めて赤ちゃんを抱っこしないで、一人で肉じゃがを作ったことには感動しました。作れた!って。
ーー陽子さんらしいエピソードですね。
陽子 それまではね。さっと炒めるとか茹でるとか 、本当に簡単なお料理しかできなかったんですけど、それができたのがすごく嬉しかったですね。
▪️編集後記
陽子さんとの出会い
今回からHACHINAを主宰する木村陽子さんのインタビューが始まりました。
陽子さんとの出会いは、あるイベントを開催した時のことです。ケータリングのお弁当を探していて、知人から「食べると体の底から元気になるお弁当を作ってくれる人がいるよ」と紹介され、陽子さんのお料理を初めていただくことになりました。
お料理をいただいてみて驚いたのが、見た目も美しく美味しいのはもちろんのこと、ボリュームもあるお料理だったのに、食べ終わった後に、全く身体に負担がなかったこと。普段、ランチをお腹いっぱい食べたりする、眠くなったり、身体を重く感じたりすることがあったのですが、そういうものが一切感じられない、それが不思議でした。
その秘密が知りたくて、移住したばかりの函南のご自宅へ伺い、陽子さんのお料理講座を受け始めてみると、食についての深い知識はもちろん、暮らすこと全てが陽子さんが食を通して得たこと、生き方の集大成として表現されていっているのだと感じました。
マタニティリープの活動も応援してくださっている陽子さん。食を通してママや子供達と向き合ってきた経験から、多くの示唆に富んだ言葉をインタビューの中で語ってくださいました。これからの連載にご期待ください。
ーー HACHINAのInstagramもチェックしてみてくださいね。
<編集>
マタニティリープ合同会社
https://www.maternityleap.com/