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心願成就を祈る年明け。

年末年始の週に入り、急に暇になった。
仕事は相変わらず気忙しかったが、プライベートが暇になった。

この時期に咲いている花もあまりないので植物園や庭園をめぐるモチベーションが下がり、また、地方移住への期待も下がってしまったため、平日の会社で受けたダメージを癒す手法は、ただ家でぼーっとした時間を過ごすのみになってしまっていた。

ただ、以前、ふるさと回帰支援センターを訪問し、島根県窓口で移住相談をした私の手元には、ふるさと回帰支援センターからさまざまな県・市区町村からの移住セミナー・相談会のDMが届いていた。
それらをいったん開封したものの、傍らに置くだけになってしまっていたが、あるタイミングから、それらの情報を熱心に見るようになった。

それは、年明けの初詣のことだ。

初詣はここ10年変わらず、毎年、高幡不動尊へ行くことにしている。
高幡不動尊がある日野市に特段の縁もゆかりもあるわけではないが、気に入っている。
初詣の時期とは関係がないが、5月にはあじさいが、9月にはヒガンバナがとてもきれいに咲く。
それらが見られる裏山には、「山内八十八ケ所巡拝」があってそこを巡るのが楽しいのだ。
特に今の時期、人が密集するところは避けたいため、護摩修行の御札は申し込むが護摩修行には行かず、裏山を散策して八十八ケ所を巡り、戻って御札を受け取って帰るのが、自分なりの初詣となっている。

今年も護摩修行の御札を申し込もうと申込用紙を記入しようとして、ふと手が止まった。
いつもなら「護摩願意」に「厄災除」を選ぶのだが、一覧に書かれた願意を見たときに、なんだか今年は違うような気がしたのだ。
そして、私の手は自然と「心願成就」に丸をつけていた。

申込用紙を提出し、裏山へ向かい、八十八ケ所をもくもくと歩きながら、そして八十八体のお地蔵さんに手を合わせながら私は、自分の「心願」とはなんなのだろうかと考えた。

しょうもない会社で、上司に疎まれながら嫌がらせを受け続ける日常から抜け出したい、ということならば、「厄災除」のはずだ。
なのに、私は今年「心願成就」を選んだ。なぜか、手が動いた。
一体一体のお地蔵さんの、異なる表情を見つめながら、自分の心を覗き込んでみると、やはり、東京に住み東京の会社で時間を切り売りするような生活をしていくことを、やめたいということなんじゃないかと、思えてきた。

とはいえ、地方だからといってゆっくり過ごせるわけではないだろう。
地方には地方の忙しさがあり、地方には地方の大変さがある。
でも、定年を過ぎ給与収入がなくなった際に、普通に暮らしていけるほどの蓄えもあるわけでない私が、たった1人で、東京で暮らし続けていくことはできないような気もした。
それよりも、会社勤めではない(定年のない)仕事を続けていける生活のほうが、私には合っているのではないか。
東京でそれを実現する手段は、皆目見当がつかないが、地方の暮らしであれば、それほど収入にはならなくとも地域の役に立つことができていれば、なんとか生活していくことはできるんじゃないか。

そういう思いがどんどん大きくなり、八十八体めのお地蔵さんに手を合わせるとき、自然と「地方で仕事が見つかり移住できますように」と祈っていた。

そして護摩修行の御札を受け取ったあと、家に帰った私は、ふるさと回帰支援センターからたくさん届いていたDMのひとつひとつに、再び目を通すようになった。

2021年6月12日撮影 山内八十八ケ所巡拝入口の看板
2021年6月12日撮影 お地蔵さんとアジサイ

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