仕事はあると思う。〜海陽町の場合〜
週末になれば植物園や庭園を歩きまわり、綺麗だと思うものの写真を撮ることだけが、ここ数年の楽しみだったが、その週末は違った。
土曜日には徳島県の移住セミナーを聴き、その後ブレイクアウトルームに分かれて海陽町の担当者と個別相談をする。
そして日曜には川本町の移住オンラインツアーに参加し、終わり次第交通会館に駆け込んで、愛媛県の就農相談窓口で情報を収集する。
という計画だ。
どんな情報が得られるか、楽しみだった。
東京しか知らない私が、どこかの地方で広い青空を見ながら、作物や花を育てている姿を夢想した。
そして土曜になり、洗濯や掃除などといった家の用事を済ませたあと、パソコンを立ち上げ、徳島県移住セミナーのオンライン会議URLにアクセスした。
ギリギリの入室だったため、セミナーは程なく開始となった。
まずは講演会だ。
移住したという方の、熱のこもった講演を聞いた。
ただこの方は、移住者ではあるものの徳島県と縁やゆかりのある方で、まったくの無関係な土地に移り住んだというわけではなかったため、参考程度に留めることにした。
ひとつ、とても心に響いた話としては、都会から地方への移住は、決して生活のダウングレードではない、ということだ。
都会での就業で得られる賃金と、地方での就業で得られる賃金とは、当然差が出るので、生活のグレードを落とすイメージが付きまとってしまう。
しかし、都会でうまくいかないと感じている私のような人間は、手に入るお金の額でグレードを考えてしまうようなクセを、そもそもやめたほうがいいな、と講演を聞きながらふと思った。
講演は、演者の熱い思いを残したまま終了し、次に、事前に決められていた市町村のブレイクアウトルームに移ることになった。
前提として、なぜ徳島県を選んだのかということは、以前にも記したとおりだが、その前に、そもそも私は徳島県がなんとなく好きだ。
四国地方、特に瀬戸内海に近いあたりが、好きだ。
色々な地方に色々な文化があり、それがしっかり引き継がれている感じがするし、かといってあまりでしゃばることがない印象も好きだ。
しかし、徳島県の移住セミナーに参加申し込みをし、個別相談にも申し込もうとした際、自分自身の徳島県に関する知識が乏しすぎることに愕然とした。
そこで、申込みの際に「花農園(できればバラ)の仕事がしたい」という希望だけを記し、事務局担当者に海陽町を紹介された、というわけだ。
いざ、ブレイクアウトルームに移って海陽町のご担当者とつながると、先方は、50歳過ぎくらいと思しき男性で、最初はお互いに少し緊張していたが、すぐに気さくに話しかけてくれた。
東京在住なんですね、とか、地方に住んだことはありますか、とか、今の仕事はどういう内容ですか、とか。
いろいろ話をしているうちに、いよいよ、海陽町のバラ農園「岡松ローズ」の話になった。
「バラ農園で仕事をしたいという希望と聞いていますが、海陽町にひとつバラ農家さんがありましてね」
と海陽町の男性担当者は切り出した。
私は、本気を見せようと思い、事前調査済みであることをアピールしようと、食い気味に口を開いた。
「岡松さんですよね。調べました。もともとバラを育てるのに向いていない土地だったにもかかわらず、苦労しながら今のバラ園を作り上げたと、インターネットで拝見しました。」
海陽町の男性担当者は、特に驚いた様子もなく続けた。
「調べていただいたようですけれど、そちらね、人を募集しているかどうかは、確認してみないとわからないもんでね。」
……言われてみればそりゃそうだ、と気づく。
バラ農園があればバラの仕事ができる、わけではない。
私は勝手に、弟子入りさせてもらおうなどと、気安く考えていたわけだ。
「募集しているかどうかは、徳島県のハローワークなどで見つけるしかないですよね?」
急に素に戻って、珍しくまともな言葉が私の口から出た。
すると思いがけない言葉が返ってきた。
「私から聞いてみてもいいですよ。岡松さんに。」
それは願ったり叶ったりだ。
ハローワークに出して募集をかけるほどではないが、場合によっては弟子入りもさせてもらえるかもしれない。
「ぜひ、お願いします!」
私は身を乗り出して、パソコンの前で深々と頭を下げた。
「あと、なにか海陽町のことで、聞きたいことはないですかね?」
海陽町の男性担当者は、もっと何か話したいようだった。
しかし、私は「海陽町のバラ農園で仕事をすることができるかどうか」の1本攻めで臨んでいたため、一瞬言葉に詰まった。
しかし、徳島県海陽町に住む、という選択肢自体は、とても魅力的に思えたため、
「海陽町では、どんな人材が必要とされていますか?」
と聞いてみた。
仕事がなければ移住もできない。
まずは仕事の確保だ。
「そうだね、まずは介護職だよね。あと看護師さんとかね。」
介護の仕事も看護の仕事も、資格が必要な仕事だ。
そうではなくて……と、言葉を選びながら私は言った。
「私、単なる会社員で、そういう資格は何も持っていないんです。」
「ああ。介護はね、ヘルパーさんの資格を持ってなくても、ヘルパー補助の仕事があるから大丈夫。」
海陽町の男性担当者は、涼しい顔で言った。
「バラ農園でアルバイトをして、介護の仕事をいくつか掛け持ちすれば、生活できるんじゃないかな。」
自分が想像していたのとはまったく違う提案があったことに、戸惑い、ひどく動揺した私は、「はぁ……」と口から空気が抜けたような返事をするくらいしか、できなかった。
私の動揺に気づいたか気づいていないか、それでも海陽町の男性担当者は、変わらぬ口調で言った。
「仕事はね、あると思うよ。」
今思えば、私の態度は本当に失礼なものだったと思う。
バラ農園がひとつあるからということだけで、その町の担当者の時間を使い、バラ農園のことは調べたくせにその町のことはほとんど何も理解せず、自分のやりたいことだけを一方的に押し付けていたわけなのだから。
しかし、様子が変わった私に怒ることもなく、海陽町の男性担当者は相変わらず親しみを込めた笑顔で、私に語りかけた。
「どんな仕事があるか、ちょっと調べて見ますよ。岡松さんのことも、あと他に似たような仕事があるかどうかも。まあ、つてはいろいろあるから、なんとかなるから。」
頼りになる町の親分、みたいな立ち位置の人なのかもしれない。
あるいは、そういう気質を海陽町の人は持っているのかもしれない。
こんな、単純な理由だけで移住をしたいという、そこそこ歳をとった単身者にも、最後まで笑顔で、優しく接してくれた。
気づけば予定の時間をオーバーしていた。
私は深々と頭を下げ、オンライン会議室を退室した。