何か、したいことはないんですか?
風が吹いて桶屋は忙しくなった。
忙しいのにも、いい忙しさと、悪い忙しさとがある。
チームメンバーが主体的に動き、そしてみんなでアイデアを持ち寄ってプランニングし目標に向かっていく、というような仕事をしているときには、それが相当忙しかったとしても、気持ちが高揚して笑いすら生まれ、充実感にあふれる時間となる。
対して、悪い忙しさとは、例えば「社長のご指示」をパワーワードに、十分検証せず指示出しをする人が複数現われ、それに振り回されるようなときだ。
わけもわからずやることばかりを指示されて、まだできていないのか、遅すぎると急かされ、頼れる人もおらず、ただひたすら孤独に膨大な手作業をしているような状態は、まさに最悪の忙しさだ。
つまり私の忙しさのタイプは後者だったというわけで、毎日下を向いて歩き、夜も眠れなくなり、心の状態としてはかなり危ういことになっていた。
こうなったのには、経緯がある。
この会社は、上場こそしているが個人商店の域を出ない経営・体制をしているので、「社長が絶対」なのだが(だから「社長のご指示」が一番のパワーワードになる)、その社長が、自分の思いを果たすため、中途採用でデザイナーを採用し、私の部署に着任させるよう人事部長に指示を出したのは、確か2020年の初夏だった。
しかし私の直属上司は、社長ではなく別の取締役だ。
その「別の取締役」は、売上責任部門の管掌役員であるため、直接売上に関わらないデザイナーを採用することなど、計画のかけらもなく、かつ社長とは常日頃から折り合いが悪いこともあり、この採用指示に激怒した。
その怒りの矛先は、私に向けられた。
本来なら社長に向くはずだが、「社長が絶対」の会社で、社長に文句など死んでも言えない。
私が社長に人材をおねだりして、採用を人事部に指示したんだろう、と怒りちらしたのだ。
私は、社長と取締役との仲違いでもらい事故をし、その結果、会社内での立ち位置が微妙になった。
重要な会議には呼ばれず、業務指示だけやってきて、面倒で作業が多い地味な仕事だけを押し付けられ、手柄は取締役の子飼いの部署のものとなった。
そうして、1年が過ぎた。
(デザイナーは無事に採用された。しかしこのデザイナー、とんでもない人で、さらに私の心を蝕んでいく原因になるのだが、それはまた別の機会に記す。)
時はコロナ禍により、気分転換に旅行へ行ったり人と会ったりすることもできない状況。相談できる人もおらず、それが積み重なって心の状態はどんどん悪化していった。
夜の道を歩きながら、ビルを見上げて涙ぐんだりしていた。
頭の中には、喜びも怒りもなく、ただ悲しみだけが広がっていた。
危うく死ぬことを考えた。
死ぬくらいなら逃げよう、と思いついたのは、とある土曜日の昼間だ。
私の目に映ったのは、以前ポスティングされていた「SHIMANE life」の表紙だった。
あまりに忙しく、気持ちも塞がり、自宅ではただ呆然と時がすぎるだけの時間を過ごしていたので、冊子を読むような気力はまったく起こらなかったのだが、その日はもしかすると、少し気持ちに余裕があったのかもしれない。
「SHIMANE life」に載っている人たちはみな、すがすがしい表情で生活を楽しんでいる。
とても大切にしているものを大切にしたまま暮らしを営めている。
そして島根県には、移住者に対する支援がさまざまあることを、知った。
島根県は人口減少が課題となっていて、支援金を払ってでも移住してほしい、ということなのだろうと考え、こんな私でも島根県では必要とされるかもしれないと思った。
もっと詳細を知ろうと、冊子に記載のあった情報サイトを見てみると、小洒落たデザインで彩られたなかに、暮らしや仕事などさまざまな情報が掲載されていた。
あちこちの情報を見て回ったあと、私は移住相談窓口の予約を入れた。
翌週末、予約した時刻より少し早く、会場となる交通会館についた私は、驚きの光景を目にする。
交通会館は、さまざまな地方の物産を取り扱う店も多くて人が多いだろうことは想像していた。
しかし、緊急事態宣言解除後だったとはいえ、こんなに人が密集している建物があるとは思っていなかった。
みんな、旅行にも行けずせめてグルメだけで行った気になろうと必死なんだと感じた。
そうか、鬱々としているのは私だけじゃないかもしれない、などとひとり考えを巡らせながら、予約時間まで何かお店でも見て回ろうかと久しぶりに前向きな気持ちになった。
すると急に、お腹が空いたことに気づいた。
交通会館の中の飲食店は人でごった返していたが、それほどたくさん時間があるわけでもないので、行列に並ぶわけにも行かず、ちょうど人が出て空席ができた牛タンのお店に入って牛タン定食をいただいた。
牛タンを噛みしめると、お腹にほかほかとした温かみを感じ、少し気持ちが柔らかくなったような気がした。
食事を終え、エレベーターで上階ヘ上がると、すぐ右手に「ふるさと回帰支援センター」の入口があった。
おそるおそる近づくと、受付にいた女性に「ご予約はありますか?」と尋ねられ、「はい。」と答えると、さらに重ねて「どこの県ですか?」と尋ねられた。
…どこの県?
私は、ここは島根県の移住を相談する施設だと思っていた。
しかしふと見ると、そのオフィス内には、さまざまな道府県の情報が貼られており、そして天井から、さまざまな道府県の名前が吊るさがっていた。
つまり、島根県だけではなく、さまざまな自治体で移住の相談を受け付けており、ここにはその窓口が一堂に会しているのだ、と初めて気づいた。
「島根県です」と答えると、受付の女性は私に、連絡先を記入する用紙を渡してきた。
「記入したらまたお声がけくださいね。」と、女性はまたデスクに戻った。
まるでクリニックの初回問診票みたいだな、と思いながら私は用紙に記入をして、女性に声をかけ、用紙を渡した。
そして、女性が指差して教えてくれた「あっちの奥の突き当り」に向かって歩いていきながら、今日本には、さまざまな道府県の移住相談窓口があるのだと知り、そして圧倒された。
私は、東京しか知らない。
東京だけの情報で、なにかすべて知った気になっていたのかもしれない。
ふといわれのない不安に襲われながら、島根県の相談窓口へ到着すると、ブースの内側から女性が2人、立ち上がって笑顔で迎えてくれた。
ひとしきり挨拶をし、相談員さん2人の自己紹介が終わると、1人は奥のデスクに戻り、もう1人の方が私に言った。
「島根ってどんなところかご存知ですか?」
私は、自分が持つ島根情報をかいつまんで答えた。「日本海側なので雪は多いけど新潟ほどの豪雪じゃない、というイメージです。出雲大社に旅行に行ったことがあります。」
「気候はそんな感じです。晴れの日が少ないので洗濯物が乾かない、なんていう人もいます。」
相談員の女性は、ニコニコしながら私にさらに尋ねた。
「島根県のどこに住みたいとか希望はありますか?」
…島根県のどこ?
そこまでは考えていなかった私は戸惑い、「ゆっくり過ごしたいです。」と答えた。
すると相談員の女性の表情が、(マスクの下で)やや曇った。
「具体的にどんな暮らしがしたい、とかありますか?海の近くがいいとか、山の近くがいいとか。」
具体例を出してもらって想像しやすくなった私は、意気揚々と「海はそんなに好きじゃないので山がいいです。人が少ない所がいいです。」と答えた。
すると、相談員の女性の表情は、(マスクの下で)さらに曇った。
「山の近くで、どんなことをして生活したい、とかありますか?」
…どんなこと?
どんなこと……どんなこと……
島根県で、どんなこと……
そもそも島根県で私でも役に立つことがあるかを相談したかったのに、まさか希望を聞かれるとは思わなかった。頭の中は真っ白になった。そして思わず口走ってしまった。
「東京しか知らないのに、いまさらって思われるかもしれないですけど、東京が合わないんです。東京以外の地方で、人が少ないところで、どんな暮らしができるかを知りたいんです。」
相談員の女性の表情が、少し変化した。
マスクに隠れて目しか見えていないが、そう感じた。
まるで、母親のような表情に見えた。
きっと、こういう相談者を、今まで数々見てきたのだろう。
「東京の、どういうところが合わないんですかね?」
私は、急に泣きたくなり、涙をこらえながら蚊の鳴くような声で訴えた。
「会社の政治に巻き込まれて、足を引っ張られてひどい待遇を受けたりして生きていくのは、もうつらいんです。」
移住相談ではない。もはや、人生相談だ。
こういう人も、きっと多かったのだろう。相談員の女性は私に、優しい声で尋ねた。「そんなことがあるんですね。その会社さんだけのことではないんですか?」
たしかにそうかも知れない。ここまでひどい、でたらめな会社は初めてだ。
だが、多かれ少なかれ、競争社会で人を出し抜いて生きていかねばならないような状況は、自分の社会人経験ではほとんどだった。
「東京ではそういうことが多くて、もう少し心穏やかに生きていける方法を探しているんです。」
気づけば私は、体ごと右に傾いて座っていた。
私は、考えや思いに集中すると体を真っ直ぐに保つのが難しくなり(体幹が弱いのだろう)、頭もろとも上半身が右か左に傾く癖がある。
様子がおかしい相談者を放り出すことなく、相談員の女性は辛抱強く向き合ってくれた。そして私の目を見て言った。
「何か、したいことはないんですか?」
ふと我に返った。
今の生活でも、そういえば好きなことがあった。
それは、今の会社に勤めながらはできないことだ。
それはどうだろうか。
「植物園や庭園で、花や木を見るのがすごく好きで、毎週行っているんです。だからできれば、花や木を相手にする仕事がしたいです。農業もいいかもしれないです。」
私の口から、少しポジティブな言葉が出てきたので安心したのか、相談員の女性は椅子に座り直し、小さく笑顔を作った。
「じゃあ、そういう仕事があるか、私も少し探してみて、もしなにか情報があったらまたメールでお伝えしますね。あと、島根県の採用情報は、ここと、ここと、ここのサイトから見ることができるので、ぜひ登録してくださいね。」
気づけば、他のブースはみな、店じまいを始めていた。
時計の針は17:00をまわっており、予定の相談時間を過ぎていた。
私のしょうもない人生相談で、すっかり約束以上の時間を拘束してしまったことにさすがに申し訳なさを感じ、深く頭を下げてお礼を言って、そそくさと会館をあとにした。
そして相談の際にもらった、たくさんのチラシや冊子を見返しながら、「移住体感オンラインツアー川本町篇」に、参加申し込みをした。