二元論と心理的リアクタンス

僕が、大学生活を過ごす間で、生きていく上で気をつけなければならないと感じたのがこの2点。

これを意識するかしないかで、人間関係のストレスは大きく変化すると思う。

まず、二元論について。

具体例を話すね。

僕は、いまはコンタクトを着用してるけど、一時期はずっとメガネだった。

もちろん大学生活のアルバイトでもそうだった。

アルバイトはレジ打ちをしてたわけだけど、当時メガネをつけて接客していた僕は、少し自信がなかった。

お客さんに「真面目そう」って見られてる気がした。

メガネしてない時と比べると、「ありがとう」と言われる回数も少ないように感じた。

要するに、メガネが自分の顔面偏差値を下げていて、そのせいで見下されている気がした。

それは、バイト中だけでなく、大学へ登下校する時もそうだった。

すれ違う人は、メガネをしてる自分を見て「暗そう」って印象をもったに違いない。って思い込んだ。

ではなぜ。そう思ったのか。ここが重要だ。

これはつまり、「自分が、メガネをかけている人に対してそのような印象をもっているから」だ。

僕の考える二元論はこのこと。

つまり、まずは自分を疑えってこと。

自分が相手をそう見てるから。

これは様々な場面で同じように言える。

しかしそのほうが合理的だ。
相手がどう思うかなんてコントロールできない。変えられるのは自分の捉え方だけだ。

次に心理的リアクタンスについて。

これはみんな経験してるアレだ。

相手のLINEの文章に冷たく感じたり、トゲのある言い方にイラッとしたりするアレ。

相手の言い方がキツければ、自分の言い方もキツくなる。

相手が冷たい対応をしてきたら、自分も冷たい対応をし返す。(LINEとかでも)

でもこんなのには意味がない。

だって本当は、あることについて確認したいだけなのに、感情的になって言い争いをしてたら時間の無駄だ。

言葉尻ひとつでも、LINEの返し方ひとつでも、それによってトラブルの数が増減する。できるだけ事を荒立ててはいけない。

多少自分が我慢してでも、相手を感情的にさせないほうがいいんだと学んだ。

相手をカッとさせない。そして伝えたいことはユーモアを交えて返す。(〜ランキング1位やで。とか)

そのほうが、まわり回って、後で自分が得するパターンが多い。

心理的リアクタンスとは反発心のことだ。

人はみんな自分のことは自分で決めたいという気持ちがある。

それなのに、他人にああしろ、こうしろ、と言われると他人に自分の行動を決められてるような気分になる。

できるなら、自分に決めさせてあげよう。

相手が自己決定するようにうながそう。

と、ここまでなんとなく思っていることを、これから社会人になっても覚えててねという気持ちで書いた。

個人の感覚的なところであって、人生の経験則って感じ。(なので人によります)

せっかく思いを溜め込んでいるのなら、思い立ったうちに書き残しておきたいよねって思って書くことにした。

題名はずっと下書きにあったんだけど、今回やっと内容が言語化できてよかった。

話が急だけど、こういったnoteに書く文章が浮かんでくるのは、シャワーを浴びてる時か、食器を洗っている時が多い。(よく言われてるよね)

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まっち
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