日本語の可能性について話をしようか
個人的に「日本語の可能性」という言い回しがしっくりくる考え方があって。
今回はそれについて言語化することで解像度を上げたいと思う。
例えばね。
「あなた」がどっかの国の人に拉致されたとする。 #物騒だな
あなたは地面に座らされている。
隣にいる男と2人きりだ。
また、両手を縛られていて、頭には銃口を向けられている。
あなたの隣に立って、ピストルを手に持つ男はこう言う。
「なにか言い残すことはないか」
ここで世界線が別れる。
運命から言おう。
あなたは10秒後に撃たれる。
なにも言わなかったからだ。
「なにも言わない」という選択が男を撃つ行動へと刺激したのだ。
ここで10秒という数値を記録としてみようか。
さぁ、あなたは何と言えば、男の「撃つ」という動作までの最も長い時間稼ぎができるだろうか。
例えばね。
「撃てよ。どうせ撃たないんだろ。」
って言うと相手の感情を刺激するから、撃つまでの時間はそう長くないだろう。
でも
「私はあなたの父親の名前を知っている」
って言うとどうだろう。ハッタリでもいい。
「どういう意味だ?」って聞かれるかもしれない。
そこで自分の父親の名前を言ってもいい。
そうすると、
「誰だそいつは」→「私の父親だ」→「ふざけるな」→パァン(発砲)まで時間が稼げる。
ちょっとふざけたけど、言いたいことはわかるよね。
絶対に記録はある。
どの台詞も同じ秒数じゃない。
言葉は影響力で、相手は人だ。
(極限状態にあるからそこまで頭が回るはずがないというツッコミは置いておいてね)
その人が思わず次を知りたくなるほどの台詞ってあると思うんだよ。なんせ言葉は無限だから。
話を変えるね。
「告白」を影響力の行使だと定義しよう。
「好きだ」と伝えて、相手があなたの思いに納得してくれたら、人生は新たな局面を迎える。
でいうと、「あなたが好きです」という言葉には相手に強い影響を与える可能性が秘められていることになる。
言うのもそう簡単じゃないし、いつでも使えるわけじゃないけど、聞かされた相手は「えっ、なに?」ってなるよね。必ず波がうまれる。
それだけ日本語には、いつでも場面を急展開できるような可能性が秘められてるよってこと。
謝るときの言葉だって、相手がどれくらい許すのかを数値化できたとすると、適切な台詞があるのだろう。
「ごめーんね」と、
「ごめん、もう二度としないから、一生にかけて誓う」と言うのでは、全然違う未来になる。
そんな深く考える必要はないんだけど、それを信じてたらいつでも取り返しがつくって思える。
そして、いつでもチャンスが転がってるとも思える。
それが「日本語の可能性」って抽象できる話。
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