「思いつく」ということ。
「思いつく」ってほんと、罪深いよね。
思いついちゃったらもう、それを「やる」か「やらない」かを選択しなければならないのだから。
「やらない」という選択をした日には、なぜだか「あーあ。」って落ち込んだりもするし。
また、
「どうしよっかな」ってずーっと判断を迷ってると、「やってみたらどうなるのかな?」という空想や妄想の景色ばかりが広がって、時間だけが過ぎていく。
確認作業ができないまま一向に進まないなんてこともザラにある。
思いついちゃったら最後、「落ち込みたくなかったら、やれ」と言われてるようなものなのだ。
確認作業をしないと、その先にある景色を見ることはできないのだ。新しいことを考えることができないのだ。
判断には秒速の即決が必要だ。
実行のモチベーションは思いついた瞬間が一番高い。
また、時間が経てばたつほど、熱も冷めていき、やらなくていいかと思うようになる。
不安要素や言い訳などを炙りだし、やらない自分を正当化しだしてしまう。
心の声にフタをしてはいけない。
朝シャワーを浴びているときに「こうしたいな」と思い浮かんだのは事実なのだから。
本心がやってみたいと望んでいるのだから。
いざやってみても、待つ時間を与えられることもあるし、面倒くさくなることもある。
できればこんなこと思いつかないでほしいなとは願うばかりだけれども。
でもそれは、自身が成長するために必要不可欠な要素なのだ。その景色を見たいと思うのには、明確な理由があるのだから。
やってみて、体感して、実感することで、本当のところで望んでいることの解像度を上げるしかないのだ。
でも、
そんなに気負わなくたっていい。実際は、他から見てそんなに大したことではないのだから。やってみると意外とあっさりしてるものだ。
そんなことより、今日がより有意義な日になることを嬉しく思ったほうがいい。
ただ単に、今日が楽しい1日になることを願っているだけであって、「今日も楽しい1日だったな」と思えればそれでイイのだから。