「お笑い」や「ユーモア」にはその人の生き様が見える
「お笑い」ほど深いものはないと僕はそう思っている。
そして僕はお笑いが大好きだ。
芸人の方も尊敬している。
お笑いにナンバーワンはなく、そして正解もない。
つい笑ってしまったらそれは「面白い」であり、とくになんとも思わないのならそれは「面白くない」のである。
お笑いは一人ひとりでオンリーワンだ。
様々なタイプの芸人さんがいて、笑いのとりかたには、その人の個性が如実にあらわれる。
日本のお笑いは、日本人特有の気遣いによって、より深さを増している気がする。
気遣いは絶対に必要なのだ。
その発言で誰かが傷ついているだろうなと思えば笑うことはできない。
片方の人が得をしていても、もう片方の人は損をしている発言は笑えない。
1人だけ楽しんで、周りの人は楽しめていない状況なら、なにを言っても笑えない。
空気を読む。思いやり。このあたりが非常に大切だと思う。
そしてまた、「常識」も必要である。
その行動は失礼だ。
それは周りの人から見ておかしい。
普通はそんなことしない。
多くの人がもつ意見を想像できる能力。これを常識と言っていいなら、それも大切だと感じる。
「共感」や「感情移入」できる力というのもそこに関わってくるだろう。
相手がその状況でどういう気持ちになるかわかるということは、自分も同じような状況になったことがあるという個人の経験がでる。
そして、相手の立場になって考えられる「優しさ」もでる。
そういった「優しさ」からうまれる笑いが僕は大好きだ。
そもそも
辛かった過去の出来事も笑い話にしちゃえばチャラになるよねというヘンテコなルールが僕は大好きだ。
どんなときも楽しんで過ごしたい。
「気遣い」をするには、気遣いをする人が楽しまなければそれは気遣いにはならないし、
面白いことを言うには、その状況を楽しんでいる必要がある。
楽しむことの大切さを忘れてはいけない。